ほぼひとりごと 2021年7月31日(土)

世代交代

(写真は、閉店になってしばらく経ったクリーニング屋さん。復活は難しいようです)

代々木駅と西参道を結んでいる通りで、世代交代が進んでいます。小田急線が開通する前からあった鰻屋さんを始め、いくつかの店が閉店しました。今のところ、目分量で8割以上が昔からの建物です。

クリーニング屋さんの向かい側は、妙智会という宗教団体の本部です。比較的新しい立派な建物が威容を誇っています。最近は少なくなっているようですが、行事の時には、信者がおおぜい集まります。

クリーニング屋さんの隣は、創価学会の機関紙、聖教新聞の販売店と巴屋という名前のお蕎麦屋さんです。こちらは、昔のままの建物で営業しています。その先の角には、改装した花屋さんがあります。

角の花屋さんが開店して、数年経ちますが、この場所は何回か業態が変わっています。一時期には大手葬祭業が運営する骨壺屋さんでした。いろいろな意匠の骨壺が並べてある光景は壮観でした。

クリーニング屋さん、小杉ランドリーは昔からあったようで、外から業務用のアイロンなどが見えていました。突然、営業を休止したので、しばらくの間、預かっている衣類が店内にかけられたままでした。

いつか改装されるのか、取り壊されるのかと思っていましたが、すでに数年経過しています。シャッターが閉まっている以外は、たまたま、定休日だと言われても不思議ではない状態が続いています。

住宅とお店が混在している代々木の古くからの街が世代交代し始めています。世代交代が進んでも、夏に繁っているプラタナスが似合う街であってほしいと思います。一年一年、街は変化しています。

#代々木 #クリーニング屋さん #世代交代

ほぼひとりごと 2021年7月30日(金)

ATMと公衆電話

(写真は、京王新線新宿駅構内で見つけたみずほ銀行のATMと公衆電話。見慣れた風景です)

公衆電話は電話が創業した明治時代からあったはずですが、ATMや自動販売機の歴史は昭和の高度成長期になってから。それまでは、銀行の窓口や、駅の出札などでの有人サービスが当たり前でした。

公衆電話も急激に増えて行ったのは、電話そのものが増加していった高度成長期になってということではATMや自動販売機と同じような経緯をたどっていたのだと思います。そんなに昔ではありません。

街角の風景として、普通に見られた公衆電話とATMとの並びですが、どちらも、役割のピークを終えてしまったようです。公衆電話はすでに激減し、ATMの台数も少しづつ減少し始めているようです。

災害時などで、一般の電話や、携帯電話がかかりにくくなった時、公衆電話は優先的につながる回線を使っているので、ずっとかかりやすくなります。公共性という意味では全廃してしまうことはできません。

ATMの方も、電子マネーや電子決裁で、現金を持ち歩く必要が少なくなっているとは言え、何かの時には現金頼りになることもあります。電子決裁が機能しない状態に陥ると手も足も出なくなる恐れがあります。

人件費や人出不足などを考えると、減少していくペースはますます早くなると思います。キャッシュレス、チケットレスの動きは速く、どこの駅にもあったJRのみどりの窓口も次々に閉鎖されています。

どこにでもあった公衆電話とATMの並び、あらためて、気がついたのは、実は意外に少なくなっているみたいです。いつの間にか、このような風景に希少価値になっているのかも知れません。

#ATM #公衆電話 #自動販売機

ほぼひとりごと 2021年7月29日(木)

ビル改装

(写真は、改装が進み、新しい意匠が見え始めたフジビル25。どんなビルになるのか楽しみです)

数年前まで、EXILE系のダンススクールが入居していたころは、それなりの賑わいを見せていたフジビル25が落成したのは1974年だそうです。同じころに建ったと思われる向かいのアパートも解体中です。

ダンススクールが中目黒の新築ビルに移転したあと、いくつかのテナントが出入りしていましたが、次第に空室も増え、廃虚のような風情になってしまいました。取り壊す日も近いのかなと思っていました。

予定では、完工は8月だそうです。すでに不動産情報も出ています。新しい働き方に合ったリノベーションを行い、名前もフジビル25から、Lark Building YOYOGI と改名されて売り出されるようです。

オフィスビルにしては珍しく、ウッドのベランダがあり、イメージが刷新されるようです。仮設トイレや足場など工事用の設備の撤去も始まり、少しづつ完成した建物の全貌が想像できるようになっています。

地味な場所ですが、新宿駅や代々木駅まで歩いて20分弱、参宮橋駅や初台駅へは5分と便利です。西参道、甲州街道、山手通りに囲まれ、代々木、初台、初台南の高速入り口へもすぐ近くです。

壊して、アパートができるのだろうと思っていたので、オフィスのまま改装するというのは驚きました。機能が多様になった方が街に活気が出ると単純には喜べませんが、どうなるのかは楽しみです。

となりの古いアパートはつい先ごろまで、民泊で賑わっていました。何年かすると、至近の西参道交差点近くには、65階建てのアパートが2棟建つ計画があります。改装が吉になるよう注目しています。

#フジビル25 #EXILEダンススクール #リノベーション

ほぼひとりごと 2021年7月28日(水)

小田急百貨店

(写真は、下を小田急線が通っている町田の小田急百貨店。クラシックなマークが目立っています)

来年9月、新宿小田急百貨店がビル改築のため閉店すると発表されました。食料品など一部機能は最初の小田急百貨店だった小田急ハルクに移るそうですが、完成後の百貨店復活は未定だということです。

日本橋高島屋は、百貨店を残しながら、ショッピングセンターなどテナントビルとして拡大するという方法を取って、数年前にオープンしました。おそらく、新宿伊勢丹や日本橋三越も同じようになるのでしょう。

こどものころ、おもちゃ売り場と食堂につられて行った百貨店がデパートメントストアという業態で残ることはなさそうです。屋上の遊園地もなくなり、こどもにとってのレジャーランドではなくなっています。

おとなになっても、スーパーマーケット、量販店、ネットが主役になり、百貨店に行くのは、せいぜいがデパ地下だけという状態がなっています。渋谷東急百貨店も同じように、消えることになりそうです。

小田急線の町田駅で降りて、地上から見ると、目立っているのが、クラシックな小田急百貨店のマークです。数年前、電車からバス、不動産、ショッピングまで、CIを統一したので、レアになっています。

ビル内には、ビックカメラや無印良品、ユニクロなど、大きなテナントも入っていますが、ショッピングセンターになってしまった藤沢の小田急百貨店と違い、デパートメントストアの雰囲気を残しています。

小田急線を抱え込むような形で建っているビルなので、電車が吸い込まれていくような感じになっています。だいぶ年数は経っているようですが、新宿駅のような大改装はまだまだ先になりそうな感じでした。

#小田急百貨店 #デパートメントストア #町田

ほぼひとりごと 2021年7月27日(火)

C&C

(写真は、京王新線新宿駅からすぐに復活したカレー屋さん、C&C。京王グループのお店です)

カレー屋さんになりたいと思ったことがあります。基本となるカレールーを用意し、そこにあらかじめ、下ごしらえをした、ポーク、ビーフ、チキン、シーフード、野菜などを入れ、少し煮込んで提供します。

単なる妄想をしただけでしたが、京王新線新宿駅からすぐにあるカレー屋さん、C&Cで食べるたびに妄想を思い出します。このお店、初台の本社から神奈川支店に行く途中、何度も食べたことがあります。

トッピングは、かつ、ハンバーグ、メンチカツ、ごろごろ野菜、ゆでたまごなど、毎回迷います。一番気に入っていたのがらっきょう食べ放題でした。欲張ってたくさん取り、らっきょうカレーみたいにしました。

一時、改装のため、閉店していた京王新線新宿駅からすぐのC&Cが復活しました。味に変わりはありませんが、残念だったのは、らっきょうが有料になっていました。40円で8個くらいでした。

立派ならっきょうなので、十分満足しますが、昔のらっきょう食べ放題を知っていると、どうしても、残念だと思ってしまいます。この間は、ごろごろ野菜、ハンバーグ、ゆでたまごをトッピングした中辛を注文しました。

カレーと言えば、神奈川支店の時、横浜ロータリークラブの例会で、シーフードカレーが出ることがありました。ホテルニューグランドの通常メニューにはなく、10種類以上の薬味が付く豪華なカレーでした。

ひとつのテーブルで薬味を取り分けるので、大好きならっきょうを取り過ぎないようにしました。C&Cのらっきょうは同じように美味しく、ホテルニューグランドに負けていません。有料でも納得できます。

#C&C #カレー屋さん #らっきょう

自分(の仕事)史 2021年7月26日(月)

NTTアメリカ

(写真は、右に見える黒いビル、当時、NTTアメリカが入居していた101パークアベニューの前で、数年前の夏に行った時撮った写真です)

無事にタクシーの支払いを済ませ、ホテルのチェックインをして、ボーイに荷物を持ってもらって、部屋に入り、チップを渡した時のホッとした気持ちとこれからどうなるのかという不安が混じった気持ちを覚えています。

ホテルの窓から見えるのは、ずっと昔から高層ビルが林立していたマンハッタンです。どうしても、不安な気持ちが募ってきました。最初のころ、まわりは泥棒と強盗ばかりではないかと思っていたくらいでした。

たしか、出勤は翌日からということで、NTTアメリカの後輩スタッフを呼び出して、夕食に付き合ってもらいました。この日から、2003年までの7年間を過ごしたニューヨーク勤務がスタートしました。

当時のNTTアメリカは、典型的なリエゾンオフィスで、主たる仕事はアメリカの通信事情や経済情勢などの調査と、アメリカに来るお客さまや出張者のアテンドや対応などが中心でした。

アルコールに弱く、ゴルフもやらず、英語もロクにしゃべれない自分が生きていけるか、自信は全くありませんでしたが、ビザも交付され、準備も着々と進み、ついにニューヨークに来てしまいました。

ニューヨーク勤務は、自分の人生にとって貴重な経験になりましたが、会社のキャリアとしては難しいところでした。当時、海外勤務は特殊な経験でしたので、主流が国内という点では有利ではありませんでした。

それでも、自分で選択した新天地での仕事とくらし、住めば都です。短期滞在とちがって、見るもの、聞くもの、すべてが刺激的な経験になりました。今では、ニューヨークは第2のふるさとと思っています。

#NTTアメリカ #101パークアベニュー #グランドセントラル

一週間(7月18日(日)~7月25日(土))

週刊日記

大阪、京都、奈良で、せっかくの機会だと思って、歩き過ぎたのが良くなかったのかも知れません。日曜日、去年の粽を納めに、新宿の花園神社にお参りした時は大丈夫だった足指は再度、月曜日に痛み始めました。

月曜日は、予定をキャンセルし、蟄居していました。休むと快方に向かうということは歩き過ぎかなと思い、一日おとなしくしていたら、次第に激痛の度合いが減少し、夕方以降は、明日はなんとかなりそうに感じました。

調子に乗り過ぎないようにしながら、火曜日と水曜日は、人の倍くらいの時間をかけたゆっくり歩きで街に出ることにしました。いつもなら気づかないのですが、街には、足を痛そうにして歩いて人がおおぜいいます。

エスカレーター、エレベーターを探し、なるべく歩く距離を短くしようと思っても、なかなか、そうはいきません。車いすの方やお年寄りは大変だと、あらためて気づきました。いつも以上に気持ち良く譲ることが出来ました。

少しづつ面会する機会も増えていますが、緊急事態宣言が出ているので、ビデオ会議をすることもあります。最初のうちの戸惑いはなくなり、接続が問題なく出来るようになっています。使い分けが進みそうです。

メールチェック、ブログ発信のあとの散歩は今のところ、お休みしています。人の少ない時間と場所という点では良いのですが、どうしても、早歩きになってしまうので、自重しています。暑いのもひとつの理由です。

このまま、復活すればと思っていますが、おかげ様で、歩く速度も極端に遅くはなくなりました。引き続き、油断しないよう、良い塩梅の気持ちで、適度に歩き、適度におやすみするようにします。こんな一週間でした。

ほぼひとりごと 2021年7月25日(日)

東京高速道路

(写真は、数寄屋橋近くのビルの11階にある店から撮った、東京高速道路です)

数寄屋橋交差点の上を走る高速道路は、東京高速道路。首都高とつながっていますが、東京高速道路という会社が、銀座に川を埋め立てて建設した一般道路で、有料道路ではありません。

道路の下の建物を、西銀座デパートなどに賃貸することで収益を上げる不動産事業で成り立っているようです。この道路、新橋から日本橋への通り抜けルートになっているので、結構便利に使えます。

事故でもあれば別ですが、普通は混んでいないので、基本一車線でも気持ち良く走ることができます。首都高につながるところは料金所があり、その手前で出てしまえば、無料で走ることが可能です。

新幹線で、新橋を過ぎたあたりから、数寄屋橋交差点までの間、並行している東京高速道路が見えてくると東京に帰って来たなという実感がわいてきます。品川ではなく、東京駅まで行く方が好きな理由です。

日本橋の上を走る首都高を撤去して地下化するという大事業にあわせ、東京高速道路も廃止される計画があるようです。内幸町、日比谷地区の再開発ともあわせ、この景色が見られるのもあとわずかです。

迂回ルートになりますが、汐留から地下になる首都高1号線を競争のように走るより、景色も良く、なんとなくのんびりと走っているクルマも多いので、ゆったりした気分を味わうことが出来ました。

数寄屋橋交差点も、銀座東急プラザに続き、数年後には今、ポケットパークになっているところに、新しいソニービルも建つ計画があります。この店で一番眺望が良い席からのすばらしい景色でした。

#東京高速道路 #数寄屋橋 #首都高

ほぼひとりごと 2021年7月24日(土)

トヨタ2000GT

(写真は、京都四条通に二年ぶりに建てられた長刀鉾とその前で信号待ちをしているトヨタ2000GTです)

トヨタ2000GTが1962年に発売された時の価格は当時のクラウンより高く、普通にはとても買えないクルマでした。芸能人が多く住んでいる成城で、白いトヨタ2000GTに遭遇した時は大感激しました。

京都四条通で、二年ぶりに建てられた長刀鉾の前で信号待ちをしている白いトヨタ2000GTを発見しました。立ち止まって見とれている人も多く、約60年前のクルマが注目の的になっていました。

じっと見てはいけないのですが、このようなクラシックカーに乗っている人は見られていることに慣れているようです。さすがに手を振るなどということはありませんが、オーナーの誇りが伝わってくるようでした。

最近、トヨタ2000GTや、スカイライン2000GTRだけでなく、古い国産車の取引価格が、時計などと同じように高騰し、程度が良く、オリジナルを保っている状態のクルマは信じられない金額だそうです。

トヨタ2000GTが発売された数年後に普通自動車免許を取りました。教習所のクルマはセドリックのコラムシフトのマニュアルでした。半クラッチ、坂道発進、ノンパワーのステアリング、技と力も必要でした。

自分のクルマがオートマチックになったのは、免許を取ってから13年後、パワーステアリングは21年後でした。

ノンパワーステアリングは無理ですが、マニュアルシフトはもう一回操作したいものです。

長刀鉾と白いトヨタ2000GT、良い感じの取り合わせでした。免許を取って50年、そろそろ返納したらとも言われますが、もう少し持っていたいと、トヨタ2000GTを眺めながら思っていました。

#長刀鉾 #トヨタ2000GT #自動車免許

ほぼひとりごと 2021年7月23日(金)

国立競技場前駅

(写真は、都営大江戸線国立競技場前駅のエスカレーター。やっと日の目を見ます)

今から57年前、1964年のオリンピックの時は小学校6年生。幼稚園の時、アジア大会のエキシビションでお遊戯をしたこともあり、待ち遠しい気持ちで開会式の10月10日を迎えることになりました。

まだ、休日ではなかったので、学校は午前中で終わり、午後は帰宅してテレビ観戦をしたのではと思いますが、よく覚えてはいません。行進する日本選手団の赤いブレザーの印象は強く、あざやかでした。

今回の招致の際には、最初からワクワク感がありませんでした。東日本大震災からの復興を加速するきっかけという理由はわからないでもなかったのですが、東京での開催は疑問に思いました。

1年延期した今となっては、多額の費用をかけてオリンピック・パラリンピックを開催するより、その金額を生活支援や復興に回した方が良かったのではと思います。復興のための開催という感じはしません。

リタイアしているので、7月から8月にかけての猛暑の東京にいるより、どこかで避暑をしたいなとぜいたくなことを考えましたが、今日は、散歩コースの交通規制や渋滞の始まった東京にいることにしました。

国立競技場最寄りの、都営大江戸線国立競技場前駅のエスカレーターにラッピングされた東京2020のロゴの出番にはなりましたが、みんなが喜ぶという感じが薄いため、どことなく寂しそうな感じです。

このエスカレーターには新国立競技場に向かうおおぜいの人が乗るはずでしたが、無観客での開催になり、夢になってしまいました。もやもやとした気持ちのまま、開会式を迎えることになりました。

#オリンピック・パラリンピック #東京2020 #1964年