自分(の仕事)史 2021年4月26日(月)

(試行錯誤)⇒山手通り

社内OAシステムの導入は、社内システム担当組織としても初めての経験でした。設備や経理など、重厚長大システムの構築経験はあっても、一般向けではありません。

インターネットやWebとの概念が普及し始めたころでしたが、システム部門には、このような発想は薄く、パソコンを軽視し、シンプルなシステム構築は不得手なことでした。

また、大企業のシステム部門は、ベンダーとの間に入る存在だったため、使い勝手第一の、誰でもが使いやすいシステムを創造するという経験はほとんどありません。

OAプロジェクトチームはユーザー目線に立ち、大変な苦労をしてくれました。社員や組織のデータベースも統合されていない中でのプロジェクトXみたいなものでした。

このようなユーザー不在とも言える課題は、残念ながら、今でも解消されているとは言えないようで、2025年問題と言われる重厚長大システム問題は残ったままです。

会議室予約システムや、旅費計算システムなど、今だったら当たり前のものを作り上げるため、部外のコンサルタントにお願いしましたが、実現はまだまだの状態でした。

間に社内システム部門を入れず、実際に構築をお願いしたベンダーとユーザーサイドが直接意見交換や議論をしておけば回り道にならなかったのではと痛感しました。

自分(の仕事)史 2021年4月19日(月)

(OAシステム)⇒パソコン売り場

通信事業者として、新しいビルに移転するのをきっかけに、当時の言葉で言えば、OA化を推進し、全員がパソコンを使って仕事をするという目標を立てることにしました。

そうは言っても紺屋の白袴、パソコン利用調査の結果は、業務で使っているコンピューターを除くと、研究者や技術系の人がスタンドアローン的に使っているだけでした。

おまけに、そのほとんどが、アメリカではお絵描きマシーンとも呼ばれていたMacでした。OAリテラシーのない総務部に何が出来るか、お先真っ暗とも言える状況でした。

総務部のプロジェクトチームに技術系スタッフに入ってもらい、そもそも論からスタートし、パソコンに通暁している大勢の自称専門家のヒアリングと説得から始めました。

MacやIBMのワークステーションが良いという人も多かったですが、最終的にはウィンドウズマシーンに決め、メールやWeb閲覧、予定表の共有などが実現出来ました。

導入までには、何度も心が折れるような紆余曲折があり、絶望的になったこともありますが、使い勝手はまだまだでしたが、全員の机の上にパソコンが配備されました。

自分(の仕事)史 2021年4月12日(月)

(新しい本社)⇒NTT東日本本社ビル

新しい建物で、最初に困ったのが形でした。ワシントンのナショナル空港などを設計した、アメリカの著名設計者のデザインは、バームクーヘンを切り取ったような形です。

窓際に管理職が並び、各チームはその前に島を作るというのが典型的なフロアプランにすると、弧を描いている窓際スペースが広く、窓際族が増えてしまいそうでした。

加えて、さえぎる建物がなく、明治神宮や代々木公園側にある窓際からの眺望をより多くの人に見てもらえるようにするためには、窓際管理職が邪魔になってしまいます。

窓に向かって、建物の内側に管理職の机を置き、窓際に向けて広がるように島を作り、窓際には、打ち合わせ卓などを置いて、緑の多い景色を見られるようにしました。

これまで、本社勤務者は、内幸町のビルに便利な社宅や、持ち家から通っていました。内幸町や日比谷の他、新橋、銀座、有楽町などいくつもの駅が使えていました。

最寄りの初台駅は京王新線、参宮橋駅は小田急の各駅停車しか停まりません。新宿駅までは歩いて15分以上かかります。初台、参宮橋ともに小じんまりとした駅です。

すべて順調ではありませんでしたが、著名な設計者と折衝し、いろいろな準備が整い、新しいビルの使い方やルールなども決まり、1995年秋に入居を開始しました。

自分(の仕事)史 2021年4月5日(月)

(本社移転)⇒初台交差点

総務部で仕事を始めたころ、1960年中盤ころに完成した、千代田区内幸町にあるNTT本社ビルも30年ほど経過し、新本社ビルに移転する話が出始めていました。

多くは、同じ場所での建替えか、日比谷から大手町あたりまでのエリアでの新ビルへの移転を希望しましたが、諸事情で、建替えは選択肢から消えることになりました。

大手町までのオフィスエリアも、周辺の大規模開発への動きがあり、単独で、分散している本社機能を統合できる新ビル建設の余地を見つけるのは困難だったようです。

そこで、古い建物があり、事業用地として比較的まとまった土地があった西新宿に新ビルを建てるという話になり、そこに本社を移転しようという話がになっていきました。

建設そのものも、電電公社時代から課せられた国際調達義務から、設計や建材などに海外企業を入れるというプレッシャーも強く、簡単には進むことにはなりません。

社内でも、様々な事件の舞台になった日比谷ビルから移転し、心機一転気分を変え、通信事業者として、先端的な機能を持つビルにしようとする声はなかなか出ません。

当時の社長の決断で移転することになりました。気分一新は確かでした。即、変わったわけではありませんでしたが、変わるNTTグループの象徴にはなったと思います。