米国の通信(2002年)

米国の通信(2002年2月)

1. どこでも同じ

アメリカを旅行すると誰でも感じるのが、どこでも良く似ているということ。英語の 教科書や語学学校の設定によく似た町があちこちにある。

ハイウエーを降り、町に入ると大きい小さいとかはあるが、教会、ガソリンスタン ド、デリやドラッグストアなどの店。

日本と違って困るのはおみやげ。名産品というのが少ない。温泉饅頭もないし、そこ だけの食べものもほとんどない。

いきおい、どこにでもあるTシャツ、野球帽、チョコレート、マグカップなどになっ てしまう。

レストランも同じ。マクドナルドなどのチェーン店でなくても、ダイナーと呼ばれる レストランのメニューはどこでも同じ、スクランブルエッグやパンケーキを始めとす る朝食メニュー、ハンバーガー、各種サンドイッチ、スープ、サラダ、ステーキやパ スタなど。

ほとんどの店で朝食メニューがいつでも食べられる。24時間営業の店も多いから、 夜中でも同じ。朝食の量はこちらでは軽食の部類になるから、ボリュームに負けそう な時はありがたい。

どこでも同じものが食べられるから安心だと考える人と、つまらないという人がいる が、総じて、新しいものに対して臆病で、慣れたものを信じるというこの国の人に とっては同じものが快適かも知れない。

個人商店がメインだった頃はそれでもそこで商売をする人によるところがあり、特色 もあったはずだが、いたるところにチェーン店が出来、ショッピングセンターができ るに至って、かすかに残っていた個性が皆無に近くなっているのかも知れない。

確かに旅行に行って、ものめずらしいところに入る喜びと不安を天秤にかけた時、こ の国の人の方が保守的かも知れない。

知らないものはこわいというのは普通の感覚。自らの危険をかけたチャレンジをする 価値のない部分では保守的になったほうが安心というのは理解できる。

もちろん、最近はすしがアメリカ人のメニューの中に入るなど、保守的一辺倒ではな くなったようだが、それでも大勢はアメリカ風。

ワシントンのスミソニアン博物館で売っている宇宙食のアイスクリーム、乾燥菓子だ が、食べると確かにアイスクリームの味。

退屈な宇宙飛行の中でのアクセントとして、なるほどとは思うが、宇宙空間でもアメ リカ風食事を堅持しようとする強い意志に感心。

軍隊でも同様。さらに占領下の日本でもそうだが、アメリカの生活をセットにして持 ち込む。どこにでもあるアメリカの町に限りなく近いものにする。

バブルの頃、至るところに新しい町ができ、ベンチャービジネスが進出し、研究所が 出来たが、そこには同じように、学校、映画館やコミュニティセンター、レストラ ン、シッピングセンターなどのインフラが、きれいな景色、海岸、スキー場などに加 えて、整備されていた。

不景気や産業構造の転換で、それらの要素が一つ一つ抜けてくると、町は一気に崩壊 し、ゴーストタウン化する。

広い国土に中で、古い町を捨て、新しい町が出来ている。しかも、同じような画一的 な構成、イメージで、あらたな場所でも昔からいるような安心感を得られるような仕 掛け満載。

だからこそ、どこに住んでもかまわない。あるいはニューヨークなどの大都市に過度 に集中しない遠因なにかも知れない。

確かに日本でも地方の駅ビルには東京でおなじみの店がならんでいるが、セットでと いうことで考えると、東京との落差が確実に存在する。

どこでも同じというところにアメリカの特色があるのは確か。

2. 画一処理

大量生産のふるさとはアメリカ。きめ細かなことを拝し、極力標準化し、熟練を必要 としない工程で、分業により大量生産をする手法はアメリカのもの。T型フォードな ど初期のマスプロ商品を例にとり、産業発展の教科書となっている。

そこで障害になるのは個別の対応。少量生産をし、個々にデザインや仕様を変えよう となると、手間がかかり、コストも人手もかかることとなるため、大量生産とは相容 れない。

どの地方にもあるのデリやダイナーも同じ、同じようなメニュー、同じようなサービ ス、インテリア、値段。ここからマクドナルドなど、全国チェーンのファーストフー ドができるのは必然的。

同じ味という要素が入れば、さらに安心。同じハンバーガーでも微妙に味が異なり、 好みの問題もあるが、おいしいまずいがあるが、マクドナルドに行けば、同じ味。

徹底的に仕様化し、仕入れから材料、加熱時間、サービスするまでの時間等を標準化 することで、店ごとの差異を最小化する。

冷凍、冷蔵したままの輸送、保存、解凍や調理技術の発達により、海産物などの名産 品でさえ、事実上、イメージ商品となり、せいぜい海をみながら食べるとおいしく感 じるというくらい。

個性を重んじるのがアメリカ、画一的なのが日本と言われているが、こと食事に関す る限り、アメリカの方が画一的。

もっとも、アメリカをドライブして、慣れ親しんだチェーン店の看板を見ると安心。

画一的な心地よさがあるのも確か。どこでも不安なく、マニュアルにしたがって注文 し、同じ味、同じサービスを受けることができる。

一方で、きまぐれな消費者は時として、大量生産に飽き、となりと違うものを求め る。

そこで活躍するのがコンピュータ。同じプラットフォーム、同じ基本で作られ、用意 されるものを個別にデコレーションをし、個別の仕様に応じた最終処理をする時に、 人的な要素ではなくコンピュータが大活躍することになる。

さらに、いくら標準的に町が出来ていると言ってもすべてに同じではなく、大小に よって、地域によってそれぞれに異なる。通信販売やインターネット販売の活躍する 場。車で出かけるショッピングセンターと相互に補完しながら消費生活を豊かにす る。

コンピュータやインターネットで個性に応じた好みに合わせることが可能になること で、皮肉なことにさらに画一的な処理が可能になる。

インターネットショッピングをする場合、顧客は注文という行為を通じ、クレジット カードの番号や住所、電話番号、さらには趣味などについての情報を開示することに なる。

その情報やその後の購買状況に応じ、さらにきめ細かな対応が画一的にできることに なる。

3. きめ細かな対応

全部手作りの商品は高い。丁寧に縫製してある洋服や靴など、サイズにピッタリと 合って長持ちし、修理もできるが、コスト、時間はかかり、ともすると職人が引退す ることにより、商品そのものがなくなってしまいこともある。

大量生産の国であることから、アメリカでは余計に手作りやカスタムメードが珍重さ れる。

通信事業はもともと、国ごとにバラバラで、国際通信だけが国を越え、接続し、二国 間でサービスを提供していたが、考え方はコレスポンデント、相対で、守備範囲は国 境や公海上など、相互不可侵の原則。

つまり、それぞれの国の事情、規制に従い、ローカルルールでやってきた。そのた め、電話機をつなぐ方法も単一ではなく、むしろ国の数よりずっと少ないメーカーの 数に依存。

それが1980年代中盤の規制緩和の動きが、アメリカ、イギリス、日本から次第に 世界中の国に浸透し、国内の規制緩和だけでなく、国際ルールについても同じ基盤と する動きが出てきた。

ユーザーである企業の活動も、国際的になり、一国に閉じるのではなく、多国間で多 角的に活動するいわゆるグローバル化が進み、当然のことながら要望も同じサービス を提供してほしいということになった。

一般の個人にしても、出張や旅行で海外に行くことが増えたため、どこでも使えるセ ルラーホン、統一した電話やLANのジャック、電源など、画一化を求めるように なった。

他の産業からは遅れたが、グローバルな画一処理が必要となった。コンピュータの世 界でのIBMの圧勝。マイクロソフトによる事実上の独占など、アメリカの勝者が世 界の勝者という具合になり、個性が従属することにもなった。

確かにアメリカの標準化能力は高く、異端を許さない考え方でプロセスを決めてい く。例外対応をその中に入れるのは簡単ではない。

そこには違和感を感じるが、うまくいっている時のスムースさ、効率の良さは素直に 認めざるを得ない。しかも責任範囲を限定し、明確にすることにより、隙間でのポカ を最小限にすることが可能になる。

が、例外処理を求められた場合。以外にもろさを呈する。確かにコールセンターや苦 情処理窓口、現場への権限委譲などでトラブル回避や処理を行っているが、想定外の こと、あるいは一定以上の弾力的な対応を求められた時、耐えられない。

日本人が必ずしも弾力的な対応に強いわけではないが、責任の範囲が限定されていな いという効率上のデメリットが逆にメリットとなり、お客様の無茶なこともふくめた 多様な要望に対し、多角的な解決を講じる。根本的ではないが、満足度は向上する。

通信事業の分野も同様。アメリカの持つメリットも大きいが、一方できめ細かなこと が求められているのも確か。特に企業向けのサービスの場合、グローバルに事業を展 開する日系、米系企業の要求水準は高く、標準化したアメリカ風サービスに加え、き め細かな対応をすることが評価された。アメリカをベースにした現地企業の要素を持 ちながら日系企業としての基盤を持つ企業が受け入れられる素地はここにある。

画一性ときめ細かさを両立させた効率性が成功の鍵。情報通信事業者として生き残る ためにはもっとも重要。

 

米国の通信(2002年3月)

1. オリンピックがつまらない

アメリカに住んでいても、TVジャパン(NHKの子会社)やフジTVが日本語の放送をしてくれているのでありがたい。

TVジャパンは衛星放送でほぼ24時間放送し、ケーブルTVでも視聴ができる。マンハッタンのタイムワーナーは、以前朝6時から午後1時まで放映だったのが、ディジタル化地域については衛星同様24時間放送となった。

午後1時に映像がプチっと切れる時のせつなさ、情報から疎外されたようというと大げさだが、そんな感じ。ディジタル地域に引越し、24時間みられるようになった時、日本語ばかりで英語が上達しないと嘆きつつ、本音は幸せをかみしめた。

フジTVは、地元のTV局の枠を使い、朝晩1時間づつが基本。短い時間ながら、ニュース、ドラマ、バラエティとおもしろい。TVジャパンもTVチャンピオンなどNHK以外からも調達しているが、基本はNHK。民放もみられるのだから、ありがたい。

もちろん、昔からこうだったわけではないし、TVジャパンを視聴するのは有料だし、地域も限定されているので、みられるのは大変幸せなことと感謝。

したがって、現地のニュースより日本のことに詳しくなるという事態すら起こる。逆にニューヨークのことは日本でよく報道されるので、日本にいる人にニューヨークのことで教えてもらうことさえある。

唯一不満なことは放送権による制約。つまり、いくら日本人向け放送と言っても、ここはアメリカ。放送権を持たない映像は流せない。

影響が大きいのはスポーツ番組。大リーグは比較的、放映できるケースも多く、イチローや新庄の活躍もみられたが、アマチュアスポーツはほとんどだめ。放送権がアマチュアスポーツの財源になっている以上、仕方ないが静止画像+音声はストレスがたまる。まるで伏字の本を読んでいるみたい。

じゃ、アメリカの放送局をみれば良いが、それはなかなかそうはいかない。言葉の問題もあるが、スポーツにとって言語はそんなに障害ではない。

今回、オリンピック中に日本出張があったので、ニュースで思い切り、日本選手のそれも地味な成績だった人まで、満遍なくみることができた。

つまり、アメリカでは、メダルをとるか、人気種目でない限り、アメリカ人以外はなかなか映らない。

判定をめぐり、地元が有利で不当だとか、いろいろと騒ぎが起こっているが、時差ぼけもなく、言葉も食事も習慣も自前の地元がもともと強いところに、大きな応援を背に受け、どの大会でも地元が、いつもより活躍しやすいのは道理。

オリンピックが政治とは無縁とはとても思えないというのが常識だったので、驚くにあたらないが、それでもアメリカ色が強すぎるという批判もある。

国威発揚の場という古びた表現がまさに当を得ている。特に、今回のようにテロのあとのアメリカで開催ということになれば余計。

アメリカ選手の活躍に歓声を上げ、アメリカ人が団結を強めるのはご同慶の至り。

日本のTVや新聞には日本選手の活躍中心ながら、メダルをとった他国の選手についてもある程度取り上げているが、メダルをいっぱい持っていくアメリカで他国選手の活躍は、問題が起こったり、話題性がないとかすんでしまう。

なんと言っても、オリンピックは自国の選手を応援したくなる。普段、日本よりアメリカの方が良いと言っている人でさえ、アメリカ人より日本人選手の活躍を気にするから、オリンピックやワールドカップなどは母国を強く意識する場だとあらためて認識。

2. グローバルの意味

ここ10年ばかり、グローバルという単語は至るところで頻繁に使われ、国境の中にとどまっていてはだめということを強く言われ続けた。

「青年よ大志を抱け」ではないが、グローバルな視野での活躍を求めるという言葉は、最近話題になる成人式での挨拶には必ず登場しそう。

オリンピックで感じたことも全く異なっている。確かに日本の中でさえ、狭い国の中に、出身県別の県人会が会社や役所で作られ、同郷を意識するのだから、そもそも、国を強く意識する時と、国境という概念を希薄にすることは両立しないわけではないと言える。

むしろ、国境を越える機会が増えれば増えるほど、国を意識するのかも知れない。

そういう意味では、オリンピックで自国の選手を応援するのは、ひいきのチームを応援するくらいに考えておけば良いのかも知れない。

ただ、異なるのは、熱烈な阪神ファンばかりかと思う、神戸や大阪でも巨人ファンはじめ、ある程度同じ母集団ながら多様化しているが、国を越えるとこのようなケースが俄然少なくなる。

多民族国家であるアメリカでは出身国をひいきすることは当然みられるが、アメリカ国籍を持っている人がアメリカはきらいだとは言いにくいはず。

移民してきてアメリカ市民権をとるということはアメリカを選ぶこと。つまり、アメリカを自分の国として忠誠を誓い、自ら守るという意思を明確にしたから、はっきりしている。

一方、企業は国境という制約を越え、世界中に進出し、ビジネスを展開する。自由貿易こそ、世界中が安価で良質な製品やサービスを享受できるという考え方で、生活水準、経済力格差を縮小していくことこそ、世の中が幸せになるという発想。

そこで必要になるのは共通のメジャーメント。つまり、通貨の交換レートや取引に用いられる単位、その他もろもろ。そしてもっとも重要なのは意思疎通を行うための言語。

英語が世界標準語の地位を得て長いが、その地位はますます強固なものとなり、自動翻訳や自動通訳というハイテクノロジーも開発され、大分実用化に近づいているようだが、まだまだ意思疎通には不十分。

弊害は少数民族が使っていた言語がどんどん消滅していくというという事実。ネパールでは自国語で世界史の教科書を編集する力がないため、英国で作られた英語の教科書で教えるため、自然と英語を学べる代わりに自国語での世界史はない。

つまり、グローバルにビジネスを展開するというと、どうしても英語でビジネスをやることが多くなる。悲しいかな、隣国である韓国や中国との間でも共通の言語として英語でのコミュニケーションが必要なケースが多い。つまり、英語国が圧倒的に有利。

戦後、全盛だったパックスアメリカーナが、ベトナム戦争とそれに続く経済の低迷、ドイツや日本の経済的発展で、没落し、アメリカを病める大国と評したのはつい最近のこと。

低迷期に、力のあったアメリカ企業は健全なビジネスを維持発展させるため、世界に踏み出していたということが今さらながら、実感できる。自国の市場を開放しながら、いつの間にかという感じ。

そこで活躍したのが、共通言語としての英語と、テクノロジー、そしてコカコーラやマクドナルドなどにみられる現地化と標準化との折り合い。

とりわけ、情報通信技術の実用化が進んだ1990年代、日本のバブル崩壊、低迷と期を一にし、インターネットの普及とともにアメリカがみごとに復活。

3. ボーダーレス

国際電話。昔は3分話すと1000円以上かかったのが、今やアメリカから日本へ1分13セント(17円ほど)。もっと安い方法もあるし、インターネット電話の普及でさらに下がりそう。物価上昇を考えるとただみたいなもの。

インターネットが安価なブロードバンドでアクセスされれば、世界中を駆け巡る情報量は膨大になる。それが収益に結びつかないところに事業者の悩みはあるが、かつてのように独占や寡占の利益を享受できなくなったのは、社会経済的には好ましいことかも知れない。

それを前提に、今後のサバイバルゲームをどう乗り切るか、情報通信産業にとっても、サービスを利用する企業にとっても死活問題。

電話やテレックスでやっている時にくらべ、会社全体とシステムとがほとんど同義語になりつつある現在とは事情が根本的に異なっている。

そこには国境という概念が事実上存在しなくなる。もちろん、国家からの規制が皆無になったわけではないので、インターネットによる国際送金など、技術的には問題なくても制度として出来ないことも多い。

すでに、製品の企画、部品の製造、最終製品の製造、販売という一連のプロセスが多くの国にまたがって行われている。

NTTCOMが買収したVerio(現NTT/Verio)というのは巨大な会社でないが、世界一のシェアを有する中小規模のWeb Hosting(簡単に言うとホームページのためのサーバー貸しとその運用サービス)は130カ国で展開し、60万のお客様がいる。

このことからわかるように、ボーダーレスが着実に進行し、グローバルな基盤は共通にしながらも、言語や文化、など個々の特色を生かし、その地域にあったものになる。

自動車業界の統合や車台(プラットフォーム)の共通化など、会社や国を越えて、共用できるものは徹底的に共通のものとし、付加価値をどうつけるかがボーダーレス時代の競争のあり方。つまり、個々の会社、国では生き残れない。

そこで問題なのは、高度にシステム化しても必要なこと、大雑把に言えば、コンセントや配線、無線設備などハードウエアの工事や、データの投入やメンテナンス、トラブルシューティング、ウイルスやハッカーの攻撃に対処するセキュリティなど、プ
ラットフォームを維持するためのレイヤーの高くない、あるいは人手のかかるビジネス。

パソコンがフリーズして困惑した経験は誰でもあるもの。そばに頼りになる人がいないと呆然とする。

ボーダーレスになればなるほど、国境を越えて、基盤をメンテナンスしておくことが必須になるし、災害時のバックアップやリダンダンシー(代替手段)の確保が需要であり、死活問題なってしまう。

価格が大幅に下落した回線だけでは成り立ちがたくなっているキャリアも、システムインテグレーションビジネスとしてこの分野に参加。

このように、経済活動がボーダーレスになればなるほど、アイデンティティという概念がよりどころになり、オリンピックでの自国びいきが嵩じそう。

 

米国の通信(2002年4月)

1. 郊外のオフィス

アメリカでドライブしていると目立つのが郊外のオフィス。ニューヨーク近郊にもた くさんある。

ゆとりのある敷地、低層の建物群、広い道路、ちょうど軽井沢や箱根にあるような感 じ。企業に来るビジネスマンをあてにしたと思われる立派なホテルがあったりすると まさにリゾート。

昨年9月のワールドトレードセンター崩壊のあと、重宝されたのがこれらのオフィ ス。バックアップサイトとして使っていたものを急遽オフィスにしたり、不景気で空 いていたところを調達し、間に合わせた会社も多かった。

これらのオフィスの周辺には瀟洒な家々。アメリカの豊かさを象徴するような、広い 庭、芝生、そして空からみるとよくわかる裏庭のプール。

車での移動が前提なので、移動距離に制約もなく、ショッピングセンター、映画館、 学校、すべてが贅沢な土地の使い方をしている。

狭いところにいろいろなものが凝縮した結果、空へ空へと伸びていったマンハッタン とは大きな違い。

かつて栄えた旧市街が見捨てられ、郊外に展開した理由もなるほどとうなずけるくら い、ダウンタウンのせせこましさとは無縁なのが郊外。

ニューヨーク、マンハッタンはそれでも、世界の経済首都として君臨しているが、ロ サンゼルスなどは典型的に、旧市街を見捨て、郊外に伸びた例。夜、旧市街を安全に 歩ける街はきわめて少数というのが現実。

広いからできると言ってしまえば、それでおしまいになるが、それだけでなく、街や ビジネスに対する感じ方の問題かも知れない。

週末、郊外のショッピングセンター。たまにマンハッタンからでかけると、違いを感 じる。ニューヨーク郊外やニュージャージー、コネチカットというトライステートエ リアと言われる地域はマンハッタンの後背地であるベッドタウンなので、マンハッタ ンに通う人も多いはずだが、全体として雰囲気がのんびりした感じ。

マンハッタンを歩くと、歩行者の速度の速さ、一説によると大阪と並んで世界一と か。一心不乱に目的地に早く着こうとしながら、一方で周辺に目配りし、何か異常は ないか、襲われる危険はないかと気をつける。

およそ、のんびりという感じはなく、緊張感があふれる。現在のように安全度ではア メリカの中での上位になっても、高層ビル、多くの人、活気が人々に緊張感を強いる のかもしれない。

マンハッタンでも、一歩通りをはずれると突然危険地域になると言われるのと同じよ うに、今度はマンハッタンを出て、ニュージャージーに出た途端、そこは別世界。森 があり、自然がある。

マンハッタンに住んでいると郊外から戻った途端、ホッとするが、一方で違った意味 の緊張を覚える。

それが、郊外のショッピングセンター。広大な駐車場に車をとめ、歩いている家族や カップルの顔に緊張はない。楽しんでいるという雰囲気があふれている。

通勤に長時間かける、あるいは単身赴任をするというケースは思っているより多い が、それは仕事のため、収入のため、出世のため。本音は職住近接、家族と過ごす時 間を最大限にしたいということ。

さらに安全はコストだと考えているので、マンハッタンのアパートのセキュリティ、 ドアマンなどのコストは惜しまない。住居探しにお徳用はないというのが常識。

アメリカの理想は郊外での生活、職住近接が実現できれば、それが最高。というのが 一般的な傾向と思われる。

2.安全のコスト

スターバックスコーヒーがこれまでのデリ(食料品屋)の値段の2倍から5倍以上に もかかわらず、はやった一つの要因に安全というのがあるとも考えられる。中は安全。

豊かな生活を守るためのコストは良い意味でも悪い意味でも負担が必要になる。

安全のための警察のパトロール、セキュリティシステム、程度が高く通わせたくなる 学校、等々、危険を排除するために必要なコストは払う、と言うか払いたい、払える 人だけでコミュニティーを作るということ。

都市とは全く正反対。特に人種のるつぼといわれるマンハッタンでは考えられない。 あらゆる言葉が使われている。

郊外の街に行くと、落ち着かない場合がある。人種が単一。よそ者として目でみら れ、実際不愉快な経験をしたこともある。

もっとも、コストをかけて危険を排除し、よそ者が入らないようにしている街の人た ちにとって、見知らぬ日本人はインベーダーのようなもの。

世代交替にしたがって、街の構成が変わると今まで入ってこなかった住民が住み、次 第に変わっていくというケースは多く見られる。

危険地域と言われ、現在再開発をしているハーレムもかつては高級住宅地だったとい われている。

郊外のショッピングセンターは自分たちの作った城壁の中の世界。さすがにそこでは よそ者視は感じられないが、自分たちの城という雰囲気は感じられる。

ショッピングセンターも、かつてのオープンな駐車場の回りに店が並ぶものから、雨 にぬれない室内で、まるでテーマパークのようになり、さらに映画館、病院、あるい はオフィスパークともつながっているというケースが人気を呼び、古いショッピング センターが再開発されている。

郊外での仕事、生活が安全のためだけと言うのではなく、城壁の発想、職住近接志向 などが考えられるが、安全、快適に暮らす、人生を過ごすというのが根底にあるとは 言える。

昨年9月以降、マンハッタンのオフィス家賃が上がると予想されたのが、意外に上が らない、あるいは下がっているのは、マンハッタンにこだわらず、郊外や他都市への 展開を決断した例もあったからと言われている。

離れたオフィスに本社が分散している。あるいはリモートオフィス(在宅勤務)など はすでに一般的になっており、集中と分散が同時。

日本では東京、地方でもその中心都市に機能がどんどん集中し、いたるところで、小 さな家やアパートに住み、渋滞した道路を通勤しているが、これは土地が狭いだけで なく、郊外にいると落ち着かないのかも知れない。

郊外にオフィスを構え、職住近接にすれば安全かと言うと、一概には言えないかも知 れないが、通勤時間帯のハイウエイでの交通事故を除けば、都市に勤務し、長時間か けて通勤することにくらべ、あきらかに安全。

そういった環境を守るために必要なコストを負担したとしても、得られる安全と満足 を考えれば、決して高いとは言えない。

リゾート地のような郊外のオフィス、モデルハウスのようにちりばめられた瀟洒な 家々、ショッピングセンター、教会、カントリークラブ等々、これらを維持するため にコストを負担しろと言われ、負担したくなる人だけが住めることになる。

3.オフィスがなくなる

ずいぶん前から、オフィス革命が起こると言われているが、家具がモダンになったほ か、あまり大きな変化が起こったというわけではない。

そのうちに、会社の組織構造自体が変わっていき、ピラミッド型の組織から、フラッ トタイプ、弾力的な組織になり、伝統的なオフィスレイアウトが合わなくなってきて いる。

アメリカのオフィスはかつて個室中心で、外にはアシスタントだけが出ているという イメージがあったが、今は個室の比率が減少し、昔のイメージは法律事務所など一部 に見られるだけ。

特に郊外のオフィスはオープンなイメージで、さすがにアメリカでもスペース効率の 良いマンハッタンと異なり、ゆったりした雰囲気で、余裕がある。

それでも、そこには多くの書類や紙、それを入れるキャビネット、机、倉庫がある。

イメージが変わり、デスクにはコンピューターがのり、紙の枚数は確実に減少したも のの、ストックとしてあったかつての資料、契約書、請求書など、捨てられない紙が まだまだ多い。

オフィスから紙をなくす、ペーパーレスはずいぶん前から言われ、電子決済、電子 ファイル、大きくなったパソコンのハードディスクなど、確かに進んではいる。

ところが、一方で簡単に資料が修正できることになったため、かえって、仕掛かり中 での印刷、修正、再度印刷という事態に陥ったり、逆に紙が増えるという皮肉な事態 も往々にして起こり、資料作成者が決断できない上司のため、泣くこともある。

また、電子ファイルに格納しても、見ないならかまわないのが、検索や読み出しに手 間がかかり、結局ファイルが捨てられなかったという笑えない話も身近にある。

しかも、コンピューター間通信の発達、インターネット化により、大量情報を簡単に 伝送できるようになったため、印刷枚数や、格納するデータが膨大になるという情報 大量消費時代が確実に進んだ。

情報に応じて料金をとれた過去を決別したキャリアにとっては、大量情報を安く、確 実に送ることが求められ、そこから多額の収入を得ることがほぼ不可能になった。

一方で、紙ファイルを預かる倉庫に変わり、電子倉庫、ストレージサービスがいよい よ本格的に普及し始めている。Webベースであるため、検索や読み出し、別のデータ ベースへのリンクも容易と、可能性は大きい。

外部のストレージに預けておき、さらにバックアップをしておけば、いつでもアクセ スでき、簡単にプリントすることも可能。パソコンでもPDAでもiモードでも手段を 選ばない。

ブロードバンドでのインターネットアクセスと組み合わせ、セキュリティを確保でき るようIPVPNを使えば、ほぼ完璧。

もちろん、技術的な完成度、商品としての満足度はこれからも改善されていくが、こ れが実現すると机の引き出しに個人資料を置いておく必要がなく、スペースフリーに なる。

ミーティングもTV会議やコンピューター上の共同作業で済ますことができればオ フィスは不要。

いずれは、快適な郊外のオフィスも不用になるかも知れない。その時、どんなことが 起こるか想像するのも楽しい。

 

米国の通信(2002年5月)

1. 人がいない

アメリカでデパートに行くと、バーニーズニューヨーク、サックスフィフスアベ ニューやノイマンマーキスなどという一部の高級デパートを除き、店員が少なく、探 すのが大変。

何か見ているとすぐに寄ってくる日本のデパートとは大違い。

宝石のティファニーやブランドものの店では、日本同様、ちょっとみていると何か特 に探しているのかと聞く。「ジャストルッキング」、「ちょっとみているだけ」と言 うと深追いはしないが、じっと悪いことをしないか、あるいはご用命を待っている。

単に何かを聞くとき不便というだけでなく、レジの数も少なく、並んでいることも多 いので、とてもお客様志向という感じがしない。

心配になる盗難は、衣料品では無理に取るとインキが出て品物が使えなくなり、さら に外へ出るときに警報のなるタグで予防。プラスティックのタグがウエスト近くに着 いているとサイズが微妙にちがってくることもある。あとは出口での警備員。

盗難の危険を勘案しても、人を減らし、機械やタグ、警備員で守り、全体として人件 費を抑えている。

アメリカのデパートの人が日本のデパートを見学し、どうしてこんなに人がいるのか と感心したという話もあるくらい。

もちろん、丁寧な来店の挨拶、レジでの感謝の言葉、等々、お客様を気持ち良くさせ るという点では圧倒的に日本が上。こちらでも超高級店では、そんな慇懃さ、丁寧さ があるようだから、さしずめ、日本ではすべての消費者がデパートでそれを味わえる と言うことかもしれない。

一方で、日本でファミリーレストランに行った時、感じるのは人が少なく、マニュア ル通り、丁寧に応対はされるが、時によると誰もレストランスペースにいないという こともある。

担当じゃないと返事もしないヨーロッパほど徹底はしていないが、ウエイターがテー ブルを決め、守備範囲内でのチップをもらえる仕組みなので、よく気がきき、さらに メートルDというフランス風に言われる入り口の案内係り、チーフなどにより、結構 目配りもされていて、広い店内でおおぜいの人数が働いている。

これは高級店も中級店も近所のダイナー(大衆食堂)も同じ。さらに、配膳、片付け が別々になっている場合もあり、ますます人数が多くなる。

デパート店員はいわゆるアメリカ人中心で、ある程度レベルの給与水準であるのにく らべ、レストランは大衆に近づくとメキシコ系、アジア系の低賃金労働者も多く、お どろくほどのコストがかかっていないのも原因かもしれない。

アメリカの効率性が良いと言って、店員の少ないデパートを作ったら、日本ではそれ はスーパーマーケットの衣料品売り場だとみなされ、いわゆるデパート値段で買って いく人は皆無かも知れない。

日本と同じように、高級店とディスカウント店だけが隆盛で、中間は苦しいと言われ ている。特にもともと店員が少なく、クリスマスなどの応援のほかはごく少ないス タッフで運営しているのだから、皮肉にみるとさらなる合理化は難しいのかも知れな い。

このような状況をみていると、決してアメリカの景気が順調に回復しているとは考え にくい。

ハイテク化で、景気を担う産業の役割変化が今回起こっているとも言いがたく、バイ オテロ、サイバーテロ対策でIT産業が息を吹き返しつつあると言われても、世の中を 牽引する力強さが感じられない。

無人とみまごうデパートという究極とも言える効率化が、さらなる効率化を阻害する となると皮肉な結果。

2. 結構便利

人が少ないというのは、別のところでも痛感する。たとえば、こちらに最初に来た5 年前、800番の電話をかけると感じたことは、不便。

まず、すぐにつながるということはなく、待たされるのがほとんど、とにかく人が出 てこない。

自動音声応答も聞き取りにくいことが多く。こちらの能力の問題もあって、ついつい かけるのが億劫になってしまう。

不便さで、最高は航空会社の遺失物係り、何度か自動音声応答で失敗したあげく、結 局名前が認識されず、係りが出る方にまわされても、出るまでに1時間以上、という か、出る前にあきらめたというのが真実。あとで聞いたら、アメリカ名前は自動認識 するが、日本人など外国人はインプットされていないので、そもそも無理というこ と。

さんざん、自動音声で、あれはどうか、これはどうかと聞かれた上、結局係りが必要 になって出てくるが、出るまでに時間がかかるし、出たとしても、すぐにはわからな いのは不便。

800番サービスの本場、顧客満足度発祥の地にもかかわらず、サービスが悪いと言 うのが第一印象。英語がわからなかったということもあるが、それにしてもというの が本音。

800番そのものは、至るところで使われており、商品にはほぼ必ずと言っていいほ ど、800番、着信無料の受け付け電話が表示されている。

大概はおわびの言葉やお待たせしましたという言葉すらなく、不愉快な思いをするこ ともしばしば。

それでも次第に慣れて来て、同時に音声応答の技術も進化し、さすがに使いやすく なって、円滑に処理できると大変うれしい。一旦不便を経験したため、うれしさもひ としお。英語にも多少慣れ、次は何を言うか、想像力が少しましになったのかも知れ ない。会話が100%わかるのは無理だと悟り、TPOに応じ、想像すれば良いという のは経験のおかげ。

だから、想定外のことを聞かれるとあ然とし、聞き返してもだめ、そんな時はギブ アップし、別の方向へ会話を持っていけば良いのだが、簡単ではなく、そんな時も恥 と思わないで、わからないことはわからないと納得するのが秘訣。

800番サービスもインターネットによるデータベースや発呼者表示を使い、かかっ てくると同時にかけた人を認識し、自動音声でも確認作業だけで、一気に時間が短縮 したり、すでに履歴等が入っているため、適切な応対になったりと、改善が進んでい る。

電話をかけただけで、おまえは誰と言われるのに気持ち悪さを感じる向きもないでは ないが、それでも顧客データベースで管理されているのが今の常識なら、それを活用 した便利ささえ享受できれば、仕方ないという範囲内。

ニューヨークタイムズの配達を一時止めてもらう時、電話をした途端、どこの誰と認 識され、確認をするとガイダンスに従い、いつからいつまでかということなどを聞い て、完了。

本当に止まっているか、あるいは止まっている間の料金はその分来月で清算するか、 寄付するかと聞く点など、おもしろいこともあるが、結構便利。

駐車場も同じで、電話の自動音声で、顧客番号と時間を入れると、その時間までに車 が出されて待っている。係員には1ドルのチップを払って、鍵を受け取る。

人手を介さないサービスも慣れれば、結構使え、会話をしないですむだけ、気楽。

給料より、チップや歩合で生活するウエイターや配達人などの職種をのぞき、人手は 極力おかず、省力化し、かつ誰でもできるよう標準化したのがアメリカの現実。

3. ビジネスチャンスへ

標準化、省力化の陰の部分も当然ある。高級ブランドや高級ホテルなどのように、 サービスにお金を支払ってくれるお客様がいるところは、良いのがそうはならないと ころもある。

故障には、自動音声では対応しきれないことが多い。それぞれの事情がわからない と、処方箋が作れず、どうしたら良いのかわからない。

基本的に情報通信産業は設備集約産業で、自動化にしたがってオペレーターを削減 し、機械の置き換えて来たし、非常時対応で配置しているわけではないので、急激に 呼が発生した場合、どうにもならない。

Webで情報を流す、音声トーキーで流すという手、あるいはマスコミで周知するとい う手もあるが、ローカルの電話線や専用線が切れるとWebや音声が使えないことも多 い。

携帯電話の普及で、誰もが代替手段を手軽に持てることとなり、確かに集中するとど うにもならないが、格段に安心感が増えたのは事実。

そんな中、お客様の不満は、電話に出ない、ボイスメッセージに残してもかかってこ ない、きちんと対応できるスタッフにたどり着かないということになる。

とりわけ、メールが止まったら、電話が止まったら、仕事そのものが成り立たなく なってしまったのだから、つながらないというのは深刻な問題。

効率化の中で、一部の最高顧客向けを除き、どこのキャリアも徹底的に合理化し、一 般企業や消費者向けには、すぐには出ないのがあたりまえ。

以前はあたりまえだった、きちんとした対応、即答、まちがいのない料金請求、約束 を守るという基本の基本が皮肉なことに強みと言われることになる。

あたりまえとなっていることにメスを入れ、改革をしていくことは発展のとって不可 欠なことではあるが、それによって新たな可能性が生まれるのも確か。

きめ細かなサービスがもともと難しかったアメリカでも、やや行き過ぎという感じと なったほどだから、丁寧な対応に慣れた日本ではなおさら。

マーケティングの観点から、顧客の満足度を上げるというのはアメリカでも当然のこ ととして普及しているが、統計的に数値化することで、かえって本当に満足していた のかどうかがわかりにくくなっているのも確か。

車を買った際、セールスマンから、顧客満足度調査の電話がかかったら、グッドやベ リーグッドではなく、エクセレントと言ってほしいと懇願された。確かに感じは良 かったので、そうしたが、日本のものさしからするとはてなと言うこともあった。

人手をかければサービスが良くなると言っても、問題はコスト。競争した結果、受注 するので、どうしても他社より高い価格は無理、というか、新規参入では安くしない と取れないのが現実。

メンテナンス契約などサービスチャージで回収したいところだが、容易ではない。

そこで考えるのがミックス。理想的にはアメリカ流の合理主義のプラットフォームを 作り、ボリュームを増して、その上にきめ細かさを付加価値として提供できる仕組み を作り、さらに中長期間契約でお付き合いをさせていただき、採算をとるというも の。これが成り立てばビジネスチャンス。目標は高く、お客様満足と採算性の両立を めざし、ニュービジネスモデルの実現に向け、チャレンジ途上。

 

米国の通信(2002年6月)

1. 英語が通じない

彼は英語が大丈夫かという問いに対し、大丈夫、ニューヨークに3年いたから、とい う何気ない会話にはてなと思う。

ニューヨークに住んで、そろそろ6年。たいていの人はそんなに長くいるのなら、さ ぞ、英語が上手になったでしょう。と聞く。

あたりまえだと思う。というのは、こちらに来る前、ニューヨークでもどこでも、海 外駐在員であれば、英語がペラペラ、流暢にしゃべる力がないと、生きていけないと 固く信じていた。

着任した当初、どの駐在員に会っても、大きく見え、自分がそれにくらべて、ニュー スの中身がわからない、店の買い物や、飛行機に乗る時のカウンターでの質問、レス トランで頼んだものが出てこない、など恥をかきっぱなし。

じゃ、今は上手になったかというと、大して上達してない、少なくとも文法や用語、 単語の数、洗練された知的な表現など、とても改善されたとは思えない。むしろ、ど んどん日本語を彷彿させる発音になっているような気がする。

だから、時々、アメリカ人がこちらの発音するロックフェラーセンターを理解でき ず、何度も聞きなおすという珍事が生ずる。LとRのちがい、アクセント、などどれを とっても、彼にとっては、ニューヨークのランドマークと同じとは思えなかったらし く、しばらく、やりとりをした後、理解したあと、二人で大笑いした。

こちらで駐在員をした方の名誉にかけて言うと、当然、英語が堪能な方も多く、ほれ ぼれとする光景をみて、こりゃかなわないなと思うこともある。

が、一方で、初めての海外勤務でニューヨークに来ましたという同じ境遇の人にも しょっちゅう会い、お互いにいろいろな経験を共有することも多い。

こういった人たちとの間では、英語で歯医者や医者にかかるには、とか、床屋でどう すれば良いのか、など、基本的な生活にかかることで情報交換することが多く、時に 失敗談で大いに盛り上がる。

アメリカ人もいる会社で働き、付き合いをする必要もある駐在員でもこういう状態だ から、家を守る主婦はさぞ大変だろうと思うが、順応性の差や、子供や近所付き合 い、あるいは生活の根幹にかかる交渉のため、やむを得ず、使うことも多く、しかも 日常の慣用句など、はるかに豊富な知識を持ち、慣れているというケースも多そう。

もっとも、現地の学校に子供を入れた場合、買い物の時など、はるかに英語が上手に なり、バイリンガル化した子供が通訳をしたという話をよく聞く。

気の毒なのは、うまい、通じないと恥ずかしいという意識の強い人、とりわけ、地位 のある方で、相手も適当に相槌をうたざるを得ない方の場合、会議終了後、同席した 英語のよりわかる人のもとへ、ところで何を言いたかったの、という質問が来ること もある。

だから、最初から、わからなかったら、遠慮なく誰に聞いても良いと言っておくと、 確認の質問をしてくれたり、わからないという露骨な表情をしてくれるようになるの で、かえってありがたい。

この境地に至るには、多少時間がかかった。英語がわからないというのは言いやすい ことではない。

わかったふりをして、ふんふん言っていたら、突然質問され、話の流れを全くわから なくて呆然とし、笑顔でごまかそうとしたり、東京からの来客の前で、格好をつけて 発音したら、全く通じなかったということもあり、英語で仕事したい日は朝から憂 鬱。

6年たとうとしている今でも、特に改善したわけではないが、慣れるというのはどう いうことかと言うと、ニューヨークへ来る前は、一語一句を必死に聞こうとし、少し でも理解できないと、それで思考停止となって、あとはおしてしるべしということ だったのが、今はキーワードとなりそうな表現、つまり、わかる表現を聞けたら、そ こで、大意はこうかなと想像し、満足し、さて何を言うかを考えることにしている。

英語が通じないという状況に大差はないが、わからない分、創造力と想像力、そして 度胸と割り切りはついているように思う。もっとも、全く、手がかりもなくてわから ず、呆然とすること機会も、依然ままあり、一喜一憂。

2. 日本人と韓国人

とにかく、一語一句にこだわって、さらに自分の表現はどうかななどとこだわってい たら、会話にならない。日本語だって、しゃべっているのを本当にそのままに記録し たら、支離滅裂、あちこちに話題が飛び、結論はどっちかな、と迷うことが多い。

記者会見模様をそのまま、文書化したサービスを朝日新聞がやっているが、うなった り、擬音が入ったりしていて、下手な小説を読むよりずっと面白く、なかなか笑える くらい。

それでも中学から英語を勉強しているのだから、通じないと恥ずかしい、格好をつけ なければとかを考えてしまうと、少しでも通じないとがく然としてしまう。

日本人同様、英語が上手でない国民として、韓国人をあげることもあるが、こちらで の経験では彼らの方がはるかにうまいと思う。

韓国人の方はアメリカに多く、特にこちらで成功すると家族を呼んだりするので数も 増えているし、勤勉に働き、食料品店やクリーニング店を経営し、地元に根付いた商 売をしている。

彼らの英語が決して洗練されているわけではないが、堂々としゃべり、堂々と聞き、 堂々と表現して主張するなど、十二分にコミュニケーションをとっている。

もともと、ニューヨークは人種のるつぼ、多くの国の出身者で成り立っている街。そ こでしゃべられる英語も千差万別。いろいろななまりがまじっている。

だから、通じない、わからないことを卑下する必要などなく、どうみてもネイティブ のアメリカ人のように見える人から、空港で今の放送がなんて言ったのかと聞かれた り、地下鉄の車内で、放送に聞き耳をたてるケースも日常茶飯事。

つまり、理解するためには、注意して聞く、聞き返す、確認をするということが必要 だということ、つまり、わからないのは自分たちだけはないという認識、自分の英語 は間違っていないという自信、学校でならったような難しい表現をきっぱりあきら め、単語の羅列とイエス、ノーをはっきりさせることが肝腎。

その意味で、韓国人の英語コミュニケーション能力は立派。

そこにあるのは、言葉でコミュニケーションを取ろうと言う、力強い熱意と情熱、さ らに自信を持って表現すること。

アメリカは主張の国と言われるように、主張せず、黙っていたら、何も進まない。お となしいことは美徳と育てられた日本人にとっては住みにくいところかも知れない。

特に、日本食を食べ、日本人の不動産屋で家を探し、日本人の医者にかかりというこ とが可能であり、英語での生活を最小限にできるという恵まれたニューヨークにいる と、ついつい英語を使うのが億劫になり、日本人だけで固まるということになりかね ない。

日本人相手の商売をしているケースの多い日本人にくらべ、韓国人だけを相手にせず と言うか、それでは成り立たない商売をしている韓国人にとって、英語でのコミュニ ケーションが必須科目。

勇気を持ってやってみれば、なんとかなると言えるのは6年、こちらで過ごしたから かも知れないが、窮すれば通ずとはよく言ったもの、恥をかくのは決して恥ずかしく ない、あたりまえというおおらかな気持ちに変わったのはこちらに来てから、と言い つつも、英語で電話をかかってくると思わず、切ってしまいたくなるのも事実。

3. 英語が共通語

自動翻訳技術や、通訳技術も次第に進化し、笑える翻訳でなく、実用化もそんなに遠 い将来ではない。

言語のちがいというバリアがとれることで、コミュニケーションが格段に発展する、 想像でしかなかった未来の世界がまた一つ現実になる。

もっとも、すでにコンピューターの世界では英語が共通語。急速に国際化が進み、多 言語化しているインターネットも基本は英語。情報通信分野では英語が共通語化して いる。

通訳の方が最も悩むのは、こういった共通語化した英語の翻訳。その分野に通暁して いない通訳だと一生懸命、訳そうとするあまり、全くわからなくなるという事態に陥 ることもあるくらい。

残念ながら、各国ごとに開発していったかつての通信事業が、ボーダーレス化し、一 国主義が成り立たなくなっている。

自動車産業でよく言われるプラットフォームの共通化が、情報産業分野でも顕著な現 象として発生。

プラットフォームの共通化によって、一気に情報共有化も進み、小規模企業や個人が 大きなビジネスを創造することも可能になり、90年代のアメリカのように、産業構 造を一気に変革するような新ビジネスが次々と生まれていくことになる。

通信の基幹であった交換機という概念が21世紀初頭に消えてしまうなど、10年前 に想像できた人がそれほど多くいたとは思えないが、目前の事実として重くのしか かっている。

アメリカにリードされたIP時代のサーバーやルーターを日本だけの仕様として、独自 に商品化するなど、夢物語になってしまったかのよう。

常識を大きく変える新技術は、幾度かの停滞の後、必ずあらわれるという技術楽観主 義にたてば、情報通信分野での技術革新、利便性の向上はまだまだ見込まれる。

ただ、懸念されるのはインターネットでも言われているように、軍事技術からの転用 だとか、先端的な軍事技術が数年後に民間技術となるということ。現に、AOLの本社 があるので有名なバージニアのフェアファックス郡は首都ワシントンDCの後背地であ ることから、テロ後、サイバーテロ防止、バイオテロ防止などテロ関連の政府予算で 潤っているとのこと、盗聴技術やインターネットへの侵入技術など、きな臭さは否定 できない。

猫とねずみ、盾と矛の関係なので、セキュリティと侵入は表裏。相互に関係をもちな がら高度化するもの。問題は個人のプライバシー保護や、インターネット窃盗、政府 による過度の干渉、など。

プラットフォームの共通化を生かし、基礎より応用に強い日本の出番はこれから、英 語を障害と考えない世代が創造力と応用力で、ゲームで勝ったように、勇気を持った チャレンジを期待。

英語の障害を気楽な気持ちで克服すれば、日本らしいきめ細かさでポケモン同様、世 界中で使われる業務ソフトやアプリケーションで席巻することは不可能ではないは ず。

その意味で、英語はわからなくてあたりまえ、という気持ちでおおらかに自己主張す ることが得意分野を生かす基本。がんばれ日本。

 

米国の通信(2002年7月)

1. 地下鉄の風景

ニューヨークを観光するときに、一番便利なのが徒歩。マンハッタンは道路がスト リートとアベニューで碁盤の目になっているところが多く、迷った時も自分の場所が わかりやすく、歩くのに最適。

もっとも、結構、「ここはどこ」という状態になり、アメリカ人(と思われる人)か ら、道を聞かれることも多い。最初は地元人とみられるようになったかなと喜んだ が、その後、単にそばにいる人に聞いているだけとわかったので、感激することはな くなった。

外がみえるバスも便利、路線図を持ち、外の通りに名前に目をこらせば、これもどこ にいるかわかりやすいので安心。

通りの名前が交差点ごとにすべて出ているので、道を聞かなくても、マンハッタンで あれば、大体自分がどこにいるかわかるはず。

それでも、迷ったと思ったら、聞くは一時の恥と思わないのがこちら風。

バスが安心なのは、外がみえること、乗客の人数に限りがあり、運転手がコントロー ルできそうなことなど、すりなどの犯罪もないわけではないが、安心感はある。

問題は渋滞に巻き込まれること、また、車椅子のお客にはきちんと介助して乗り降り をしてもらうなど徹底し、他の乗客も当然のこととして待っているので、決して早く ない。

マンハッタン南端、バッテリーパークの終点で、バスの運転手がもよりのスターバッ クスのトイレに駆け込んで用を済ませているのも、へたをすれば、渋滞で1時間以上 も運転しなければならないので、運転手の仕事は大変だと痛感。

速度が速く、比較的正確で、マンハッタンだけでなく、ブルックリン、クイーンズ、 ブロンクスに行くのであれば、地下鉄。

ニューヨークの地下鉄が怖いというのは定評があり、昼間でも乗れないと思っている 人も多い。日本にいる知人から、地下鉄は絶対にのってはだめという忠告を受けたこ ともしばしば。

企業によっては、通勤経路で仕方ない場合を除き、乗ってはいけないというところも ある。

日本企業や日本人だけでなく、アメリカ人も怖いという思いは同じで、アメリカ人の スタッフから、地下鉄に乗るのは良いが、気をつけろとか、そんなところに行っては いけないと言われたこともある。

確かに、ニューヨークに住んでみて、日本よりは周囲に注意し、そばに危険はないか を常に注意するようになったのは事実。

旅行でニューヨークに来て、地下鉄に初めて乗った10年余り前、周りの乗客がすべ て、犯罪者のように見え、壁の落書きや灯りの暗さなど、乗らなければ良かったとい う記憶もある。

ロンドンではそんな思いをした記憶もないので、ニューヨークの地下鉄イコール怖い というのは常識だった。

確かに今でも、日本とは違うなというところは否定できないが、それでも、ここ数年 で、車両は新しく、日本の電車より照明が明るくなり、駅も改装され、落書きもほと んどなくなり、警官の力によって駅や車内での犯罪も減り、安全な乗り物になってい る。

多くの人種が生活しているニューヨークで、マンハッタンの中心であるミッドタウン 地区では、日本と同じ感じの乗客になっているのが、周辺部になると黒人やヒスパ ニックと呼ばれる、スペイン語を話す人、アジア人が中心となり、しかも車内がそん なに混んでいないと、のどかだなという感じより、気をつけなくてはという思いがす るのも事実。

もっとも、同じ思いは、他の乗客も持っているようで、不審そうにみられることもし ばしば。

ホッとするのは、家族連れが乗っている時、特に小さな子供連れだと一番安心。ベ ビーカーに座った子供の笑顔を見ていると、万国共通。

2. 地下鉄ネットワーク

地下鉄は1ドル50セントで、どこまで行っても同じ値段。最長では1時間以上かか るから、長く乗れば乗るほどお得。

以前はトークンという専用コインを購入し、バス、地下鉄ともに料金前払い、地下鉄 はお金を入れるとバーが動き、一人が中に入れる仕組み。

ここ6年間は値上げなしなので、近場では160円の営団地下鉄より割高だけど、全 体的には乗りやすい。

特にメトロカードという磁気カードを導入し、10回分以上買うと一割引になった り、一月乗り放題や一日乗り放題のカードが出来たり、さらにバスとの乗り換えやバ ス同士の乗り換えが二時間以内であればタダでできるようになったことから、利便性 が格段に増え、乗客増にもつながっている。

安全、便利、格安で地下鉄に乗客が戻って来たようで、資金繰りのため、つぶれるか も知れないといわれているAmtrak(米国鉄道公社)といい対照。

ニューヨークの地下鉄もかつて別々の会社がそれぞれ単独で運営していたのを統合 し、Metropolitan Transportation Authority(MTA)として3社を一体的に運営し ている。このMTAは地下鉄のほか、バスや郊外鉄道も同じように、数社まとめて運営 している。

したがって、乗り換えのたびに切符を買うとか、そういった面倒はなく、しかも均一 料金制であるため、手間がかならない仕組みになっている。その結果駅員が少ないの がかつて犯罪につながったのは皮肉な気もするが。

それより、効率的なのはネットワーク。地下鉄の駅や案内所で無料で入手できる地図 をみると、沢山ある系統がある時は一緒におなじ線路を走り、また別とくっつきとい う具合になっている。

銀座線、丸の内線という具合に線路と系統が同一になっている東京とは異なってい る。むしろ、かつての路面電車のように、複数の系統が同じ線路を共用している。

しかも、かなりの区間が複々線や三線となっておおり、ExpressとLocalに分かれ、さ らに三線区間では、朝はマンハッタン方面行き、夕方は逆方向のみにExpressを運転 するなど、臨機応変。

外の複々線は土地が広いし、安いからとアメリカは良いと思うが、かなり昔に地上か ら浅いところに複々線を縦横に建設した先見も明はさすが。

もっとも、古さのおかげで、今はかなり大規模は改修工事が必要で、時折、駅の営業 をやめたり、運休したりして、リハビリにとつめている。

そんな折、さらには昨年の9月11日で被害を受けた時にも、ネットワークを弾力的 に活用することで、弾力的に系統を再編し、影響を最小限にとどめるようにしてい る。

ここでの発想は線という発想ではなく、地下鉄線路という社会資本を使ったネット ワークを生かすという発想。

同じような地下鉄を利用していても、根本的に日本と違うところかもしれない。

もっとも、良い点ばかりでなく、時間の正確さ、運休や停止などのトラブルの多さ は、日本に遠く及ばす、時には駅や車内で長時間待たされる。

それでも、かつてよりはずっと正確になり、車内での放送も聞き取れれば、きっと状 況を説明しているのであろうというように親切になっている。ただし、結構なまりの ある車掌も多く、しかも車内放送であるため、聞き取るのはアメリカ人でも簡単では ないようで、放送が終わって、あちこちで何といったかという会話がされている。

これも最新型の車両では、スピーカーが格段に良くなり、聞き取りやすくなってい る。

3. プラットフォームとしての社会資本

インターネットの発想が、地下鉄のネットワークに似ているような気がする。つま り、共有して部分がどこに所属するかというのは問題ではなく、始点と目的地が問題 になるということ。

道路にもたとえられるが、むしろ、その上を走るバスに近いかもしれない。というの は、多くの場合、どこを通るかということはオペレーター任せであり、利用者は目的 を達成できれば良いだけ。

自分がEメールを出したり、ブラウザーをみたりした時、プロバイダーまでのアクセ スはともかく、それから先、どこを通っているかということは問題にはならない。

インターネットばかりでなく、他の通信でも経路云々ということは、大企業のリダン ダンシーとしての異経路選択を除き、意識していないが、少なくとも、アメリカを除 いては一事業者で運営していたことから、共有部分を通るということになっていな かった。

規制緩和によるキャリアの競争、新ビジネスとしてのインターネットの出現により、 世界中に利用者からは見えないブラックボックスができたとも言える。

情報通信産業のような資本集約型産業の場合、規模の経済が働き、放っておくと寡占 が進むこととなるが、現在のような回線そのものが、供給過剰な状況になると仮に キャリアやプロバイダーが倒産しても、あらたな参入が容易であり、場合によって は、歴史的な資産を保有するより、あとから来たメリットを生かせることにもなる。

となると、ますます既存の事業者はきびしいということになってしまう。かつては新 規参入事業者の方がきびしかったのが、既存事業者はつぶれないまでも、回線事業だ けでは将来の発展性が失われる結果となってしまう。

東海岸のローカル事業者であったBell Atlanticが独立系の事業者であったGTEを合 併して出来たVerizonが利益を上げていることから、ローカル事業者は安泰という見 方も出来るが、ニューヨークの地下鉄同様、歴史的な資産を多く保有していることか ら、設備投資により、全面的に改修することは容易ではなく、そのインセンティブも 低い。

その結果、光ファイバー化のテンポは遅く、DSLの品質も今ひとつであるため、現段 階では遅れていると言われていた日本より、ずっと価格も高く、普及もしていない。

これには定額制を基本とし、さらには度数制でも一回いくらという料金であるため、 ダイアルアップでもつなぎっ放しが可能であったことも一因と言われている。

IT化、IT革命は着実に進行していても、キャリアやプロバイダーにとっては、冬の時 代。

社会資本としての情報通信は限りなく、低コスト、効率化を迫られ、競争を繰り返し ながら、ある程度の寡占化と元気な後発事業者によって担われることになり、むし ろ、そのプラットフォームを使うビジネスが勝負どころ。

無数の組み合わせが可能なネットワークの中で、どう社会資本を生かし、21世紀の より良い社会を実現するか、容易ではないが、可能性は無限大。