米国の通信(2000年)

米国の通信(2000年2月)

1. もうかった

オフィスの近く、ミッドタウン42丁目から地下鉄にのってイーストビレッジと言わ れる地区に行くことがある。ニューヨーク大学のそば、オフィスのあるあたりとは異 なり、若い人の多い地域。

西に行くとグリニッジビレッジ。東側だからイーストビレッジ。日本人も多く、日本 食レストラン、日本食料品店から、カラオケボックスまである。

地下鉄は1ドル50セント。1996年9月にこちらに来てからそのまま値上げはな し。

ニューヨークの地下鉄の料金はトークンと言われる専用コインで支払うというのが昔 のやり方。今は少数派。ほとんどがメトロカードという磁気カード。

始めは割り引きなしだったのが、1割引にして、10回分15ドル以上で1回分がた だになるという仕組みにした途端、現金なもので一気に普及。その後、1日カード、 月ぎめフリーカードなども出て、今ではトークンはすっかり脇役。

1ドル50セントで、地下鉄全線、バス全線OK、どこまで乗っても同じ。メトロカー ドはこの他、中距離の通勤バスでも使え、その時は4ドルとかの単位で料金が引かれ る。

危なくて乗れないと言われた地下鉄も、最近では安全に。時折、押されてホームから 転落するなど、事件も起こるが、まずは昼間、人の多いところで待ち、周囲に気をつ けていれば、大丈夫。

渋滞ばかりの地上より、地下鉄が便利、しかも均一料金。日本からの便が到着するケ ネディ空港まで、最後は無料バスに乗りかえる必要があるが、マンハッタンから地下 鉄で1ドル50セントで行ける。混雑した時期には、車やバスより、よっぽど早いと いうこともある。もっとも、途中通るところに、やや問題ありだが、旅行客の多い車 両を選べばなんとかなる。乗るラインはAライン。これがジャズで有名な「A列車で行 こう」。

メトロカードは地下鉄とバス、バスとバスの乗換えが一回分無料。2時間以内だった ら、料金は取られない。

イーストビレッジで食事して、自宅へ戻るのはバス。料金箱にカードを入れて、フリ ーと言う表示「XFER  OK」が出ると、2時間以内で無料。もうかったという実感。 ニューヨーク、マンハッタンの移動で地下鉄とバスの組み合わせ、便利なだけでなく 、人物観察もなかなかなもの。かつて有名だった落書きはほとんどなくなったものの 、見ているだけで面白い。バスなら、加えて街角観察も可能。乗っているだけで観光 そのもの。

2. 仕組みがちがう

日本の地下鉄は距離制。乗った区間によって上がる。東京都区部のバスは均一料金だ が、ちょっとでも地方に行くと、距離制も多い。

おそらく、ニューヨークの地下鉄も距離が長いから、距離制にしたかったのかも知れ ない。ワシントンDCでは距離制、しかも時間によって高くなる、ピークロードプライ シングも採用している。

ワシントンDCや最近できた地下鉄は距離制も多いみたい。自動改札と自動販売機で 可能となった。

昔から地下鉄のあるニューヨークは、自動改札や自動販売機のない時代から。しかも 、一時危険が名物のニューヨークでは自動販売機なぞ、街角の貯金箱みたいなもの。 取られないのが不思議と言われたほど。その証拠に日本とのもっとも大きな違いは街 角に飲み物の自動販売機がないこと。

電話の定額制も同じ。マンハッタンの電話はよく日本で報道される定額制ではなく、 回数制だが、地方に行けば定額制、つまり市内通話は無料と言う地域も多い。

マンハッタンで定額制を導入したら、とても電話会社は経営が成り立たなくなってし まうのでは心配。で、現実には回数制。広域時分制を導入した30余年前までの日本 と同じ。市内は1回7円。いつまでかけても同じというもの。

住宅用は1回10セント60、夜間、休日は最大65%引き。いつまで使っても同 じ。

本来は回数制ではなく、日本と同じように時分制を導入したかったという話も聞くが 、市内交換機を単純なものにできるという点では回数制の方が有利。

もともと、電話の使用時間について、日米の格差は大きく。日本が昔から1日10分 ということを言われているのにくらべ、アメリカではこれよりずっと多く、インター ネットが普及する前でも、比較にならないほど。

どうしてこうなるのかというのは、いろいろな面から調査されたが、結局決定的なも のはなし。回数制も理由の一つ。家が離れているとか、部屋が広く、子供部屋にも電 話があるとか、もともとおしゃべりが好きだとか、いろいろな要因が重層的にあるの だと思われるが。

一番大きな理由と考えられるのは、電話が贅沢品と思われていないということ。日本 では回線の制約や、料金、さらには長話は良くないことと言う固定観念が強く、5W 1 Hや用件をメモしてからかけましょうなどという電電公社の広告を覚えている方もい る のでは。

夏のピークにクーラーの使用は控えてと言う広告を出す電力会社と同じ。

そこにあるのは、ビジネスとか商売という概念でなく、水は大事に使いましょうとい う公的なメッセージ。

一方、アメリカはものがふんだんにあるというのが前提。そこへ持ってきてパブリッ クユーティリティは日常の生鮮食料品などと同じに安いという実態。

電気料金は住宅用で日本の3分の1。広い部屋、エアコンディション、電化キッチン 等々にもかかわらず、日本の時と同じかそれ以下の電気料金。

電話も同じ、空気と同じ。電話で失礼という概念そのものがなく、何でも電話。今で は、ボイスメッセージがほとんどの会社に普及し、秘書の数が減り、電話会議が一般 的で、取締役会に使っても法的に有効。

仕組みの違いは歴史的、文化的なものもあるが、どちらが良いか悪いかではなく、も っとも重要なのは現実がそうであるということ。これを無視して、理屈だけで議論し ても平行線。

3. 日本は特殊か

NTTの相互接続料金問題が日米間の課題の焦点。日本の総選挙、サミット、アメリカ の 大統領選、日本に進出をしようとしているアメリカ企業の動向など、いろいろと不確 定な要素があるが、解決は容易ではなさそう。

これまで、何回か相互接続料の引き下げをし、水準的には大分下がってきたと思って いるが、まだまだ不充分との指摘。アメリカからの進出企業ばかりでなく、新電電や NTTドコモ、NTTコミュニケーションズにとっても、この水準如何によって、経営が左 右される。

そこで、問題になるのが、NTTの主張が通るのかどうかと言うこと。

日米の物価格差については、明らかにある。バブル崩壊以後、ずいぶんと価格が下落 したものの、不動産価格は大きくちがう。マンハッタンのど真ん中のアパートの値段 を日本と比べると、日本ではかなり遠い郊外。オフィスも同じ。

アメリカの方が高コストというのもないではないが、少ない。原価計算をすれば、ま ちがいなく、アメリカの方が大幅に安い。

物価の比較は難しい。購買力平価法とかいろいろな手法を用いても、正確に比較する ことは困難だが、今の為替レートを考えるとアメリカのコストが低いというのは事 実。

アメリカ企業の考え方の特徴に、アメリカは絶対であるという唯我独尊。と言うと悪 い意味にとれるが、一方でアメリカのやり方が絶対という絶大なる自信。こちらから みると何だという感じだが、皮肉な言い方をすれば、善意。

好景気を背景に潤沢な資金を持っているアメリカ企業の戦略は大胆。45メガクラス の回線を日米間で持ち、東京都内にはギガビットクラスのダークファイバーかソネッ トリング。すでに価格の下落している欧米間やニューヨークではすでに実現している とのこと。

彼らのねらいはアメリカの輸出。世界中どこにいてもアメリカそのものを実現し、同 じ環境でビジネスをするということ。

世界に冠たる高コストの日本。これまでは、高いのだから仕方ないと言っていたのが 、国境のない競争状態になった現在、コストの差が許容されない分野が出てきたとい うこと。

アメリカ系のホテルチェーンの料金は世界中、物価如何にかかわらず、同じグレード だとほとんど同じと言われている。

世界を駈けるアメリカ人の出張者が多いところにホテルを作り、同じ環境を用意する ということ。それにはコストもかかる。したがって、どこでも同じ水準の料金。いく ら地元の常識と乖離があっても、主たる顧客に合わせているし、その顧客は安いから と言って、地元の宿を使うのは趣味の世界だけ。

現実のコストでやるか、アメリカと同じ考え方でやるかというのがポイント。

アメリカでも、理想通りにではないとか、現実に利用者にわかりにくいユニバーサル サービスファンドなどがあるとかの指摘はできるが、サービスプログラムを利用する と横浜東京とニューヨーク東京の料金が同じ水準という事実、結果としてインターネ ットの普及にとって有効だった定額制、回数制の市内料金という事実を考えると、こ れは大変と言うのが実感。

ヨーロッパの状況もそんなには変わらないはずだが、EUが出来ても、個々の国の集合 。日本はアジアのゲートウエイになっているが、単騎。これまでの歴史的な経済関係 から言って、NTTの相互接続問題が象徴的になるのは不可避。

日本は特殊ではなく、個々の国、個々のキャリアの事情を踏まえた解決をというのが 本音。同時にアメリカのキャリアに伍して、世界中どこででも競争できる体力をつけ るのも課題。

問題の解決そのものも重要だが、そのための体質改善の好機であるのも事実。21世 紀の通信事業は仕組みの違い、特殊性が許されない市場になると考えるのが妥当。 守るべきものを少なくすることがグローバルなメガ市場の指定席への必要条件。

 

米国の通信(2000年3月)

1. 日本のニュースが少ない

ニューヨークタイムズやウオールストリートジャーナルに日本関係の記事が載るのは珍しい。載っても、国際経済に影響を与えるものが 多いのはもちろんだが、ニューヨークタイムズなどは、これが日本と思われてはかな わないというの記事も多く、とても公平な報道とは言いがたい。

アメリカのイメージについても固定観念が日本にはあり、実際にみると聞いているの とは大違いということがあるが、それでもこちらのマスコミで誘導する日本人像より は真実に近いように思える。

日本の新聞、TVでの世界のニュースは結構多く、広範にわたっているように思える。 一方、こちらではCNNが1日中ニュースをしているが、アメリカ中心のニュースであ り、日本のマスコミの価値観と違うということもあり、日本ほど海外ねたが目立たな い。

国そのものとしては、世界の警察官として、軍事力を活用し、世界の動きに対する感 度がもっとも良いと言えるだろうが、ニュースや新聞から庶民の得られる世界の動き はそんなに多くもなく、充実もしていない。

こちらで放送しているNHKの日本語放送ジャパンTVのトップニュースがアメリカの大 統領選挙前哨戦だったりすると、日本にとってのアメリカは特別なものだとわかって いても、何か妙な感じがする。

もっとも、ヨーロッパのニュースでもアメリカの動きと自国の動きということも多い ようだから、どこの国にとってもアメリカの動きを報道するのが当たり前かも知れな い。

が、アメリカ人にとってみれば、アメリカとその他という感じ。外国がどうなるかと いうことは彼らの興味のそんな多くを占めていないのかも知れない。もともとも故国 とアメリカだけが興味の対象。世界の国ではなさそう。

こちらで英語がわからないということもあるが、アメリカで起こっている結構細かい ことを日本にいる人から教えてもらうことも多い。ニューヨークで何がはやっている かなど、日本にいる人の方がよく知っている。

アメリカ人でもやたらと日本のことに詳しい人がいるし、インターネットを通じ、い ろいろな情報を得ている人、日本語を勉強している人も増えているが、それでもまだ 少数派。

超大国アメリカには、いろいろな民族が住み、メルティングポットといわれるくらい にもかかわらず、外国の動きには鈍感になっているのかも知れない。この広さ、規 模、特に好況である今、余計アメリカ以外の世界へ目を向けなくなっているのかも知 れない。

2. セールスマン

一方で、アメリカの輸出には熱心。政府はセールスマンのよう。日米間の貿易摩擦の 歴史を見れば明らか。

固く閉ざされた門をこじ開けるためには手段を許さず、政府を揺さぶり、OKと言うま でがんばる。後ろには具体的な企業、産業界。

米国への輸出を防ぎ、国内の産業を守ろうとした繊維、自動車、鋼板などの例もある が、外への動きも活発。

繊維は結局、デパートやスーパーマーケットで、アメリカ製の衣料品を手に取るのは 至難の技。これは日米ともに製造分野でのイニシアティブはなくし、ブランド商社と して生き残った。

一方、日本ブランドのアメリカ製の自動車が激増し、雇用が守られた産業もある。 いろいろなケースがあるが、基本は門戸開放。実際には規制が皆無ではなく、また事 実上の壁があっても、自由の国アメリカというイメージは定着している。

今度は外国に門戸開放を求め、政府と産業がタイアップして攻める。

結果として開放された後、うまく進出できないで、苦労し、次の手を考えざるを得な くなったり、非関税障壁の議論に持ちこむこともある。うまくいけば、そのままシェ ア争いが続く。

身近なところにもいろいろなケースがある。自動車はうまく行かなかった例。GMも フォードも努力のあとはあるものの、売れない。

趣味がちがうということもある。日本向けに作った商品が、まるでアメリカ人の考え る日本、東洋向けイメージのよう。これは日本人の一番きらいなものかも知れない。 自動車などは、アメリカでの自社製品の輸出を半ば断念したように見え、日本のメー カーの資本系列化、ヨーロッパで獲得したブランドの輸入など、あらたな動きとなっ ている。

こじ開けが効を奏したり、もともとこじ開ける必要のなかった分野でのアメリカの輸 出は活発。出張で帰るたびに、ニューヨークの街角や広告で見かけるブランドが、保 険、銀行、証券会社、コーヒーショップ、ファーストフード、衣料品、文房具など、 さまざまな分野で増えている。

終戦後の占領時代以降、一旦は国産ブランド、ヨーロッパブランドに取って代わられ たアメリカブランドが再度、アメリカに団体で上陸。

他国の産業界の門戸開放をめざしたり、メイドインUSA製品の拡販をめざし、政府と 産業がタイアップしてセールス活動をするということは、他の国でも同じような例が ある。

日本でのかつて、トランジスターラジオのセールスマンと首相が評されたこともあっ た。これは政府の産業、国民に対するサービスとして、アメリカでは当然のこと。

3. 通信分野の自由化

ここ数年の主役は通信分野。特にアメリカの規制緩和が他国より進み、インターネッ トで先行したこともあって、勢いが強い。

この分野でのアメリカブランドのシェアは圧倒的。アメリカの未曾有の好景気を支え ることができたのだから、当たり前と言えば当たり前だが、IT革命と言われるくら い、産業も、社会も、政治もすべてこの分野抜きに語れなくなっている。

日本の通信市場も、1985年の自由化以降、各種の規制緩和が行われ、1999年 夏のNTT再編成、それに先んじるWTO合意を機に、規制緩和が一気に進んだ。
が、アメリカの攻勢はゆるむどころか、ますます激化。他の分野での懸案がさほど大 きく取り上げられないこともあり、余計、目だって見える。

規制そのもので言えば、日本の通信分野の自由化は完成したと言えるはず。

相互接続料金問題には、日本の国内問題が絡み合っているので余計複雑。しかもイン ターネットの普及がアメリカンスタンダードの輸出、つまりアメリカ企業の製品拡販 につながる。

携帯電話のNTTドコモ、長距離国際電話のNTTコミュニケーションにとっても、相互接 続料金が下がれば、NTT地域会社への支払いが減少するのだから、余計分かりにく い。

アメリカ政府の主張の中に、インターネットの普及の障害になっているのが、NTT地 域会社の料金の高さ、それを守っているのが、相互接続料金の高さであるという論調 がある。

その原因が、NTT地域会社の合理化が進んでいないことにあり、相互接続料金を下げ ろという圧力は日本の国民がインターネットを利用しやすくするためとまで言いきっ ている。

このような外圧が、国内の構造改革に影響を与え、結果として良かったということも あるのは事実だが、疑問がわくのも確か。

アメリカ政府の関係者に対し、日本企業が接触していると言われている。日本での政 府発表が即座に英語となって、ワシントンで流布しているが、それを訳して渡したの は日本企業という噂も絶えない。

アメリカ政府にも支障なく日本語を解するスタッフも多く、オンタイムで日本の動き を把握していること自体は不自然ではないが、そのような噂がまことしやかに言われ ることが、この問題の複雑さをあらわしている。

相互接続料金が下がったあかつきに、米国の通信会社が日本に揃って進出するかとい うと、そういうわけでもなさそう。

直接利益を受けるのは日本の企業。NTT地域会社への支払い料金が減少し、財務が改 善されるということの方が影響大。

長距離国際分野での競争が激しく、利益確保が困難になっている今、料金そのものを さらに下げるより、財務改善に向けたいのではないかという予想も理解しやすい。地 域電話も同じ。

となると、アメリカのねらいはインターネットの普及。相互接続料金そのものでな く、インターネット利用料金が下がり、普及すれば、一人勝ちに近いこの分野、アメ リカ企業のビジネスチャンスがますます増えるのは確実。

最近はやっているのは、アメリカのドメインネームの取得。日本のco.jpが企業し かとれないことから、個人名などでアメリカのcom、net、orgをつかって取るという ビジネス。アメリカでは審査もなくとれるということに着目している。

さらにWeb Hostingビジネスの本場はアメリカ。このような小さなことがアメリカの ビジネスにつながっていくことになる。ルールを決めた親がどこまでももうかる仕組 み。

相互接続料金からのアプローチではなく、直にインターネット接続料金を下げろとい うことの方が分かりやすい。

相互接続料金が下がれば、NTT以外でも定額の料金を提供できる機会が増えるという 理屈はわかりやすいが、本当にそこに向かうか疑問という声もあり、むしろ、NTT地 域会社そのものが定額料金を下げたり、別の事業者がDSL等を提供してアメリカ並み の料金にすれば、所期の目的に達したとも言えるかも知れない。

コストダウンとその還元はNTT地域会社だけでなく、グループ会社全体でも行わなけ ればならない話で、アメリカに言われるまでもないことであるが、相互接続料金その ものはアメリカでもそんな極端に安いなどという事実がないということを考えると、 インターネットの普及は日本のためという主張を素直に受け取れなくなりそう。

このようなアメリカ中心主義にとって、iモードの普及で日本独自のインターネット の世界が出てきたこと、これが本当の脅威になるのかも知れない。

 

米国の通信(2000年4月)

1. ニューヨークの春

今年の冬は厳しかった。零下20度、風が強くて体感温度(こちらではWind Chilly )はさらに低いということも何度かあり、顔が切れるみたいで、長いコート、手袋、 帽子、マフラー、さらに顔を隠すマスクまでしてやっと完璧。

重ね着をし、コートのフードを被っていると、動きが緩慢になり、横を向くのも首を 回すのではなく、体ごと向きを変えるので、ぎこちなく、まるで、ロボットみたい。 それでも、4年前の冬と異なり、大雪が降らなかったので、まだ助かったというとこ ろ。それでも数回降った雪は根雪になり、街角や歩道に積まれたまま溶けるのに時間 がかかった。

三寒四温の時期が少し続くと、一気に春。街路樹についた芽が一気に葉をつけ、花を 咲かす。

冬が長ので、余計春が一気に来たような印象が強い。昨日まで着ていた服が急にうっ とうしくなり、暖房の効きが良くなると春が来たということ。

陽射しが寒さに勝つと、人々も春を飛び越して夏になったかのように変身。突然、半 そでや袖なしで街を歩き、外に座って食事をし、太陽を楽しむ。

それでも、夜になれば寒くなったりもして、交差点で信号を待つ人々に、夏と冬が同 居することもしばしば。

目が陽射しに弱く、サングラスをかける人が多いアメリカ人だが、一方で太陽は大好 き。戸外のレストランばかりでなく、階段に座って食事をしたりと喜んで外へ出てく るという気持ちを思いきって表現しているという感じ。

気温に関する感触も異なり、なんでこんな寒い日にと思うくらいの格好をする人も結 構いて、個人差だけでなく、人種差からくる要因もあるよう。

冬から春へ、徐々に変わり、その間に準備ができるという感じでなく、突然春。変化 が凝縮して、一気に出てくる。

春になると数日で慣れ、昨日までの冬を忘れる。夏時間になるのが、4月の第一日曜 日の真夜中。昨日の朝7時が朝8時になるので、時間を1時間損したことになり、眠 い日が数日続くがいつのまにか当たり前に。

2. 変化は急に

気候同様、いろいろな動きが速い。数年で大会社になったり、突然合併をしたり、さ れたり。街角の銀行の看板にカバーがかけられ、そこには新しい名前が。昨日までは 手数料無料だったATMが有料になったり、と変化にとまどうこともあり。

合併発表から実施まで、障害がなければ、すぐに実施。

日本でも13行あった都市銀行が四つのグループだけになるなど、統合や合併の話が 紙面に出ない日がないほど。

悠久の時が続くのを待っていたら何もできなくなってしまいそう。変化が日常化して いくと、いろいろなチャンスも出てくる一方で、取り残されることもある。

バスの広告、テレビの広告にこのところ、変化があった。多くなったのがドットコム カンパニーの広告。今まででもなかったわけではないが、急に増えたような印象。全 部がそうなったと思えるほどのこともあり。

どんな会社の広告にも、ウェブサイトのアドレスがあるようになったのが数年前。電 話番号と同じだったのが、今度はそちらが主役。

着信無料の800番サービスが主役だった会社と消費者のダイレクトコミュニケーシ ョンが、店頭販売、通信販売、果てはコンサルタントなど、いろいろな形態ともども 、ドットコムへと変化。

すべてが一気に変わるというのは極端だが、インターネットが社会のインフラから、 いよいよ、社会の主役にもなりそうなことは確か。

何でもできるというのは大げさだが、高速で情報を伝送できるということになると、 その可能性は大きく膨らんでいく。

インターネットが普及し始めたころ、少しでも重たいファイルや画像を送ろうとする と、長時間かかり、待ちくたびれるだけでなく、他の利用者に迷惑をかける結果とな ったが、そんなことはそろそろ昔話。

Eメール、ネットサーフィンから始まったインターネットの一般への普及がいよいよ 本 格化。生活の中、社会の中、経済活動の重要な主役として定着。

テレビと新聞のように並存できる分野も考えられる半面、取って代わられる分野もあ りそう。

旅行代理店の例。これまで収益の大きな部分を占めていた航空券の販売、ホテルの予 約が直接販売になれば、残るは旅行コンサルタント。事実、アメリカでは航空会社が 旅行代理店への手数料を大幅に削減しているのは、直接販売によるコスト削減が目 的。

したがって、旅行コンサルタントとして生き残るか、少ない手数料で耐えられるくら い、効率的に大量の航空券を販売できるか、つまり団体旅行やパック旅行でいかに売 上げを増やすかということ。

感性に訴える分野、例えばファッションでも、自分のデジタル写真を使って、来た時 の画像がシミュレーションできれば、合成の記念写真を取っているようなもの、いろ いろな修正を加えることにより、実際に試着するより,購買意欲をそそられるかも知 れ ない。

一回計測してサイズを登録しておけば、将来、コンピューター縫製で、それに合わせ た修正をした服が届けられるかも知れない。

自動車メーカーのサイトで、色と形式でシミュレーションをしていると結構楽しい。 欲を言えば、一社でなく、いろいろな車種を一気にできると楽しいし、プレイステー ションのゲームみたいに実際に体感できる、つまり事故の危険なく、試乗できるよう になれば、またまた楽しくなる。もっとも、買う必要がなくなってしまうと困るが。 ショールームや店頭にすべての在庫を置くのは不可能。モデルの着ている写真をみて 、自分が着ている状態を想像するのも時にやさしくない。

通信販売のおかげで、クレジットカードの利用には慣れているし、コンピューターバ ンキングも普及していていることを考えると、決済もそんなに難しくない。 家族を大切にし、帰りに社員同士でのみに行く機会の少なく、しかも家の広いアメリ カで、在宅勤務(テレコミューティング)が普及していることも、発想がドットコム 化するひとつの要素。

もともと、個室中心のオフィスだったアメリカでは個人での仕事が根底にあり、必要 な時に会議をするというのが基本。

島のような机の配置で、グループが常に情報を共有していることが前提の日本とは大 きく異なる。

当然ワークフローもちがってくるし、責任範囲や責任の取り方もちがってくる。
急にみえた変化も、背景と理由あり。そう考えてみると、アメリカでのEビジネスは 必 然。

日本でも確実に変化、責任共有つまり、責任が特定できないという仕事のやり方が確 実に変わっている。会社のEビジネス化がこれを加速。そうなると誰が決め、誰が やっ たかが一目瞭然。ここでも大きく、急な変化の兆しあり。

3. キャリアはどうする

このような変化は大きな影響をキャリアにも与える。これまでより、はるかに大量の 情報がNW上を動くという点では好ましいことだが、一方で市場価格の下落が予想され 、情報当たり単価は大幅に下落しそう。

IP化を議論した時、すべての通信がIP化すると、直接利用者にサービスを提供するこ とはなくなり、兆円規模のビジネスが激減。ISPとの力関係やホールセール販売を考 え ると全体としても悲観的な予測をした。

キャリアとしての道はローカルアクセスとISPへの回線販売だけというのがこの議論 の 基本。ISPを兼営し、収益を囲い込もうとするのは当然の行動。ローカルアクセスの グ ローバル展開とUUNETを通じたISP囲い込みを企図したのがワールドコムMCI。

ドットコムカンパニーという言葉がはやり言葉になると、キャリアとしてもどう対応 していくかが問われる。今のところ、情報通信というくくりの中で、脚光を浴びてい るが、変化の中で生き残れるかここ数年が勝負。

そこで必要なのは弾力的な対応。絶対的なものがなくなっているのはここでも同じ。 どこのキャリアも試行錯誤。いろいろな試みをしながら可能性を探っている。

変わる部分をきちんと捉えながら、一方で変化のスピードが遅く、かつ変化を並存す る分野を持っていくことが必要かも知れない。

NW商売が一晩のうちにIP化してしまうこともないし、NW商売がこのまま続くというこ ともあり得ない。顧客となる企業も同じ。

避けなければいけないのが、中途半端な選択。あれもこれもではだめ。

キャリアの統合が繰り返される中、従業員のシフトも行われている。上級社員の選択 はベンチャービジネス。ドットコムカンパニーへの移動である。そこには大企業には なかった多額のストックオプション、IPOへの期待がある。

キャリアにとって重要なのは、顧客をいかに囲い込んでいるかということ。21世紀 になってそんなに遠くない将来、キャリアの形が大きく変わってくるはず。

何が正しい選択か、回答はまだない。が、顧客を囲い込むということは顧客のニーズ を肌で感じられるチャンス、それをどう生かすかということ。

新聞勧誘の際、忠実な顧客ほど特別な景品をもらえず、しょっちゅう変える顧客ほど 、おまけがたまるということをしては生き残れない。

急な変化の中、どうしても今を忘れがちになる。先をみることと、今を大切にし、顧 客のニーズに弾力的な対応をすること、NW、IPともに重要な商品。キャリアの将来を 決めるのは顧客の動向。供給側が長年持っていた主導権が、需要側に完全に移ったと いうこと。

この変化を見失うと生き残れなくなってしまう。急な変化に惑わされずにしかも、乗 り遅れず。本格的な変化はいよいよこれから。

 

米国の通信(2000年5月)

1. マンハッタンのタクシー

マンハッタンで車を運転するのは怖いとほとんどの人が言う。日本からの旅行者はも ちろん、郊外に住んで車を持っている日本人、アメリカ人でも同じ。

でこぼこの道、水蒸気がガスかわからないようなけむりのたっているマンホール、秩 序なく信号を守らない歩行者。われさきにと突っ込んでくる黄色いタクシー。10分 間でも歩道にたってみていれば、怖くなるのは当たり前。

それでも、この数年で、大きく変わったのがタクシー。まず、でこぼこの車も珍しく なかったのが、きれいな車ばかりになった。

タクシーやパトカーに使われていたいわゆるアメリカらしい、ビッグサイズだったゼ ネラルモーターズのシボレーカプリスというモデルが製造中止になり、同じような大 きさの車がフォードのクラウンビクトリアという車だけになった3年前、ホンダオ デッセイがタクシーに選ばれ、走り始めた頃から、急激に車が新しくなった。

他のアメリカの都市を旅行してみるとわかるが、まちがいなく、ニューヨークのタク シーが一番きれい。

インテリアも大分きれいになり、領収証も印刷されるようになったし、有料道路の自 動支払いシステムであるEZ(イージー)パスという白いタバコの箱くらいのタグを 持っているタクシーも増え、料金所で並ばなくて済むことも多くなった。

悪い方では、携帯電話。日本ほどではないが、小さくなり、電池が長持ちするように なって、料金も安くなったということもあり、ここのところ急に普及したが、タク シードライバーは電話が好きらしく、空港からずっと話しっぱなしということもあ り、最初はびっくりしたが、残念ながら慣れてしまった。お客もドライバーもともに 携帯で話し中ということもあり、安全を祈るばかり。

そのタクシーが主役のマンハッタン。タクシーとバス、リムジンと呼ばれるハイヤー (スターののるような長いのはストレッチ、大概は普通のセダン)、トラックを除く と平日のマンハッタンにいわゆる自家用乗用車はほとんどなし。

とても、しろうとに運転は無理と思われるが、意外にそうでもない。日本よりは譲っ てくれる。前に前にというアグレッシブさは日本以上だが、不思議なことに幅寄せは 途中まで、加えて、駐車禁止場所での駐車は少ない。

もちろん、荷物の積み下ろし、人の乗降で二重駐車も普通だし、全域にわたってパー キングメーターが設置されたり、ある程度は路上駐車を容認しているが、駐車違反の 取締りが極端にきびしいこともあり、不法駐車は日本より少ない。

それと赤信号では必ず止まる。日本で、それをすると後ろからクラクションを鳴らせ るような場面でも止まる。

無秩序にみえるマンハッタンの交通もこうしてみるとある程度の秩序に従って動いて いる。

誰でもが、ドアを押さえて人の通るのを待つ、エクスキューズミーとサンキューを良 く使うなど、多民族が一緒に生活をする上で必要なマナーをみんなで守るということ と同じかも知れない。

これは老いも若きも同じ。えっと思うような感じの人も身についているのか、自然に 振舞っている。

つながりがあるかどうかは疑問だが、少なくとも、マンハッタンの方が東京より運転 はしやすいと感じている。

2. アメリカ人はマナーが良いか

では、アメリカ人はマナーが良くて、日本人は悪いかというとそうとは言いきれな い。

今は日本でも当たり前になっているが、歩きながら食べる、飲む。平気で日本人には 容認できないようなリラックスをした姿勢をとる。等々、数え上げればきりがない。 しかも、もともと秩序がなかったことから、ルールを決めたということもあり、決し て自然だったわけではないはず。

島国であり、長い間、外敵の侵入がないという意識のまま、暮らしてこられた日本人 にとって、自然体では維持できない秩序を守るためのルールを作る必要性が少なかっ たのかも知れない。

マンハッタンで信号を守る、違法駐車が少ないのも決して、法を守ろうという意識が 高いわけでもない。つまり、取締りがきびしく、罰金も高い。見逃さないというこ と。

そのためには警官が多く、コストもかかっているのかも知れない。が、少なくとも効 果はあげているし、譲り合いについては、強制されているものではない。

少しばかり、共同生活のルール作りがこの面では進んでいるということは言える。 しかし、だからと言って、日本人より進んでいると評価することはできない。

ここのところが比較の難しいところ。文化を比較する際には必ず出てくる問題。拠っ て立つ基盤が違えば、そこのは必ず異なった常識、節度、マナーが現れる。

年配のご夫婦がファーストフード店でハンバーガーとフライドポテト、コーラを買っ て食事をするのは、日本人が塩鮭でお茶づけを食べるのと一緒。

どちらが良いかなどという比較をしても仕方ない。

確かに車の交通について言えば、日本より走りやすいのだから、アメリカの方が進ん でいると言えるが、道路の幅、都市の緻密度を考えると、日本とアメリカとをそのま ま比較しても仕方ないとも言える。

そこにアジアの一員とも言える文化的風土もあり、厳しすぎず、適当な頃合で平衡感 覚を保っているのかも知れない。

比較をし、双方の良いところを取り入れるということは意味があるが、正しいとか正 しくないという観点でものをみてはいけないということ。

アメリカに来て最初の頃は、アメリカが絶対的に良いとか、悪いとかという視点で考 えることが多かったように思うし、住む以上、好きにならなければという気持ちが強 かったのも確か。

今でも好きなところの方が嫌なところを多いと言う状態が続いているが、日本との比 較は絶対比較ではなくなっている。

双方に良いところがあり、しかも視点を変えることによって、如何様にも考えられる ということ。おおげさに言えば、歴史の評価。評価基準そのものが変われば、当然評 価が同じということはない。

確かにアメリカ人の方がマナーは良いと言えるが、それは西欧の文化を中心に社会を 組みたてるということが前提になっているから、日本もその一員を自負しているのだ から、確かにそう。でも、そのことを持って絶対的に評価してはいけないと思う。

3. グローバルスタンダードの不思議

一時ほど言われなくなった言葉がグローバルスタンダード。猫も杓子もという感じ だったのがやや沈静化。

グローバルスタンダードと言ってもアメリカのスタンダードだから、従う必要はない という声もあったが、一時のジャパンアズナンバーワンの逆で、グローバルスタン ダードでなければ、生き伸びられないというほどだった。

確かに今、グローバルスタンダードと言われているものの多くはアメリカンスタン ダード。

特にインターネットが世の中の中心に踊り出てからは余計。ネット化が合言葉。組織 の中のIT部門が脚光を浴び、一気に表舞台に。インターネットの普及によってアメリ カが主役に。

バブルのはじけた日本。急速に成長を続けて来たアジアの一時的な失速。欧州統合が 課題であったヨーロッパを尻目に、ブラックマンデーを契機にした不景気を克服し、 さらに規制緩和、ベンチャー育成という課題をいち早く解決したアメリカの構造転換 が成功したと言える。

その基盤の上にたって、ネット化が国境を無くし、ボーダーレス化という概念を現実 のものにしていったことは確かな事実。

天安門事件の際の中国と外部とのインターネットによるコミュニケーションのことは よく取り上げられるが、今や、国境という目に見えない境目は目に見えないネットに よって、縦横無尽に結ばれてしまった。

その場にいるのと同等、あるいは分析があり、比較できる分だけ、濃い情報を得るこ とができる。

仕事も同様。ヒエラルキーに基づき、段階的に処理する必要などなくなってきてい る。上司と部下との情報量の格差がなくなってきているというのが事実。

これはアメリカのたどってきた道。中間管理職の仕事の重要な意味を占めていた、上 司と部下との中継点という役割が確実に薄れている。

現在までを決算すると、アメリカのスタンダードを容認することが国際舞台で役割を 演じるためには不可欠な要素。

国内規制緩和、インターネットの普及こそが発展につながるというアメリカの主張も 理解せざるを得ない。

通信の世界はまさにその典型。規制緩和先進国であるアメリカが一気にその勢いを世 界中に広げ、インターネットの普及を通じ、復活したアメリカ経済をますます強いも のとし、世界の覇者として一人勝ちで21世紀に突入しようとしている。

1990年代中盤までは国内の再編にとどまっていたこの動きが国外に及び、その動 きはとどまるところを知らない。

ITに勝たなければ、産業そのものの中で生き残れないと考える業種が増え、まさにア メリカの思うつぼ。

この動きには反対できない。が、そろそろアメリカの一人勝ちではない動きも期待で きる。マイクロソフトの分割が話題にならざるを得なくなるほど、巨大になりすぎた こと、基盤としてはある程度のところまで来たため、次はアプリケーションや応用な ど、日本やアジア諸国の得意な分野が次のキーポイントになっていること、などが上 げられる。ゲーム、iモードの普及も重要な要素。

グローバルスタンダードと言っても、国際機関で決定したものではない。日本が一人 勝ちしていた時は日本式経営がそうだったし、アメリカが勝っている時はそう。しか も得意分野であればなおさら。

普遍化されるものは従わざるを得ないが、押し付けになってしまうと、しばしば驕り ということになってしまう。これがグローバルスタンダードの不思議。

情報革命の主役はいよいよ日本の番と力強く言いたいというのが本音。実は確信して いるというのも本音。