自分(の仕事)史 2021年10月18日(月)

地下鉄とバス

(写真は、壁のデザインが凝っている地下鉄④⑤➅のブルックリンブリッジ=シティホール駅。ブルックリンブリッジと市役所の最寄り駅です)

ニューヨークの地下鉄はバスや郊外電車と同じに、メトロポリタントランスポーテションオーソリティ(MTA)で運営しています。別々の会社がMTAブランドの元でまとまって運営するという形式になっています。

初乗り運賃は日本の1.5倍以上になりますが、地下鉄同士、バス同士、地下鉄とバスで乗り換えても同じなので、遠距離を乗れば乗るほど、お得で、使い勝手がよくなります。日本ではなかなか出来ません。

早朝まで東京と電話会議をして、朝から仕事というブラック状態の時、往きは地下鉄、帰りはバスに乗って片道料金で一旦帰宅できたと喜んでいたスタッフもいました。申し訳なかったと思っています。

2時間以内であれば、地下鉄とバス双方向で一回乗り換えが出来たと思います。メトロカード(磁気カード)で入出場できれば片道料金でOKです。バスの読み取り機械が不調でタダになったこともありました。

地下鉄は怖いというイメージでしたが、駅のホームも明るくなり、監視カメラも付いたので、路線や区間によっては、日付が変わるくらいまでの時間は安全と言われていました。実際に乗ったこともありました。

最初は、恐る恐る乗っていました。時刻表にあるバスが運休したり、間隔調整のため、地下鉄も遅れると各駅停車が突然急行になるなど。戸惑ったこともありましたが、仕組みに慣れると便利でした。

特に地下鉄では、トラブルがあった時の車内放送の際、インド系の車掌さんだと、インド系の人だけが理解して納得しているシーンや、車内での演奏やパフォーマンスなど、興味が尽きませんでした。

#MTA(メトロポリタントランスポーテーションオーソリティ) #地下鉄とバス #慣れると便利

一週間(10月10(日)~10月16日(土))

週刊日記

(写真は、150年ほど前、ご先祖さまの本籍地だったが静岡市葵区宮ケ崎22番地の今。駿府城から浅間神社への道で、トラックが停まっているあたりだったようです)

10月10日は57年前のオリンピック開会式。数年前まで体育の日でした。10月にしては少し暑かったですが、散歩やスポーツ日和。この時期の開催だったのであれば、素直に応援できたのにと思いました。

先週の地震では、電車が動かなくなり、自宅に着いたのが翌朝だったと知人に聞いて大変だったと思いましたが、10日の日曜日も発電所火災でJRが長時間ストップしてしまったことで、都市の弱さを痛感しました。

国会は初めての代表質問。威勢や歯切れの良さは確かですが、予想通り、肝心な話や知りたい話は避けたままでした。情報公開をしない、嘘でも良いという禁じ手が当たり前になった10年はまだ終わっていません。

今週になって、東京の感染者数が2ケタになりました。専門家も原因はわからないと言っているようです。人出が戻りつつあり、飲食店も再開しているので、その影響がどう出るか、賭けのような毎日が続きます。

衆議院が解散され、10月1日投票で4年ぶりの衆議院議員選挙が行われます。新しい首相が過去を引き連れて、なんとか選挙協力にこぎつけた野党と戦います。投票率にもよりますが、どうなるか興味津々です。

共産党と立憲民主党の間で、候補者調整が成立しましたが、この動きが吉と出るか、凶と出るかと言われています。全体の動きが、戦争はしない、くらしが良くなるということにつながれば良いと願っています。

今年中に谷中の菩提寺にあるお墓の整理をしようと思って、原戸籍や除籍謄本を取ってご先祖さま調査をしています。先週から今週にかけ、高崎市や静岡市などに行って、お寺で過去帳を調べ、歴史探偵をしました。

#衆議院解散 #感染者減少 #ご先祖さま調査

ほぼひとりごと 2021年10月16日(土)

池上線

(写真は、山手線より高いところにある東急池上線五反田駅に停車中の蒲田行電車です)

山手線は五反田駅、目黒駅ともに、品川寄りの車両から乗り降りする人が大勢います。目黒駅は東京メトロ南北線・都営三田線と東急目黒線、五反田駅は山手線の上の高架にある東急池上線です。

五反田駅は目黒駅寄りの地下にも都営浅草線の駅があり、東急池上線の駅との高低差は渋谷駅と同じようにかなりなものです。東急池上線の五反田駅を見上げると、ずいぶん高いところにあります。

以前、西島三重子さんという歌手が歌った「池上線」という曲がありました。中ヒットにはなったと思いますが、同時代的な歌詞やメロディーが受けているのか、YouTubeでの再生やカラオケでは現役です。

しばらく前、蒲田に用事があった時、五反田駅から池上線を全線乗りました。二つ目の駅は賑やかな商店街で有名な戸越銀座。この駅を始め、いくつかの駅は大改装されましたが、ふだん着の街です。

「池上線」という曲の歌詞に描かれているような街が続きます。ホームと改札口、踏切と商店街の距離も近い駅もまだまだあり、携帯電話やスマホがなかった時代の待ち合わせの情景がよみがえって来ます。

池上線の時刻表を見ると、朝夕のラッシュ時間帯には、待たずに乗れるように、3分か4分おきに3両編成の電車が来ることになっています。昼間でも7分半に一本。使い勝手の良い街の電車です。

東横線や田園都市線のような東急電鉄の幹線と違って、池上線は多摩川線や世田谷線同様、短い距離を行ったり来たりし、街に溶け込んで走ります。ています。池上線五反田駅で写真を撮りました。

#池上線 #西島三重子 #五反田駅

ほぼひとりごと 2021年10月15日(金)

自転車預り所

(写真は、高崎線本庄駅前に残っていた自転車預り所。現役で使われていました)

40年以上前になりますが、社会人になって数年、都内から埼玉県の久喜市に通っていたころ、東北本線と東武伊勢崎線の乗り換え駅の久喜駅前には、自転車預り所が軒を並べていることに気づきました。

自転車預り所は、駅前にあった民家がそのまま使われ、自転車が並んでいるのが看板の代わりになっていました。そのころ、電車の本数が今ほど多くはありませんが、朝の自転車預り所は大忙しでした。

その後、自治体が駐輪場を整備するようになると、自転車預り所は次第に数を減らしていったのだと思いますが、お互い顔を覚えている自転車預り所の方が手間がかからなかったかもしれません。

数日前、高崎線の本庄駅で降り立った時、自転車預り所を発見しました。きれいに舗装された通りに面し、駐車場やマンションに囲まれて、一軒だけ残っていました。看板もなく、昔と同じたたずまいでした。

今はきれいに舗装されている通りにも、昔はコロッケやメンチカツを売っていた肉屋さんとか、生活の匂いがするお店が並んでいましたが、今はありません。駅前から郊外へ、どこにでもある風景になっています。

鉄道が開通したころの駅前はバスではなく、馬車が主役で、雨の跡など、舗装されていない道路が、昔、童話で読んだ情景のように泥の海のようだったのではと空想しながら、駅に向かって歩きました。

ホームと外の両側から食べられる駅そば屋さんで、ゲソ入りかき揚げそばを食べて、高崎線の電車に乗りました。ちょうど昼時だったので、外からのお客も結構いて、唯一のエキナカ店は繫盛していました。

#自転車預り所 #高崎線 #駅そば

ほぼひとりごと 2021年10月14日(木)

横須賀線のグリーン車

(写真は、保土ヶ谷から乗った新しい車両E235系のグリーン車。コンセントが付き、サイネージも見やすくなりました)

今日は鉄道の日、149年前の1872(明治9)年9月12日(旧暦)に、新橋から横浜まで初めて鉄道が走った日。国鉄がJRになる前は、鉄道記念日と呼ばれていました。新暦だと今日になります。

最初に開通した新橋と横浜の区間は東海道線ですが、横須賀線も走っています。今は、品川から先、品鶴(ひんかく)線と言われた東海道貨物線を通っていますが、以前は東海道線と線路を共用していました。

横浜から先、大船までは東海道線に並行しています。東京から横須賀線として走っていますが、横須賀線という線の正式な起点は大船、ここから久里浜までの間が横須賀線ということになります。

途中に、鎌倉、逗子などの高級住宅地があり、戦争前は横須賀の海軍施設があったので、グリーン車(昔は2等車あるいは1等車)が連結され、白いカバーのシートに座って通勤出来ました。

沿線の保土ヶ谷に住み始めた1991年、体調の悪い朝、グリーン車に乗ったことがあります。保土ヶ谷駅ではすでに満席。デッキで壁に寄りかかれるだけでラクでしたが、グリーン料金は払いました。

新しくなったE235系になって、グリーン車の座席も座りやすくなり、コンセントも付くようになっています。普通車からボックスシートが消えたので、横須賀線らしい車両はグリーン車だけということになりました。

東海道線、横須賀線だけだったグリーン車も、総武快速線、東北線、高崎線、常磐線でも連結され、中央線への連結準備中です。着席保証ではありませんが、座れる確率は高くなる着席サービスです。

#グリーン車 #横須賀線 #鉄道の日

ほぼひとりごと 2021年10月13日(水)

スタバのバナナ

(写真は、代々木上原のスターバックスで撮った、バナナとマグカップのドリップコーヒーです)

小さいころのバナナは高級品。風邪をひいた時だけに食べさせてもらうくらいでした。アメリカのマンガ映画にはバナナですべって転ぶシーンがしょっちゅう出てきましたが、遠い世界のことみたいでした。

台湾やフィリッピン、南米などからの輸入が増え、次第に値段が下がり、バナナは手軽が存在になりましたが、そうなると有難みがなくなったのか、買ってもなかなか食べられず、黒くなってしまいました。

20年ほど前のニューヨークの屋台では4本で1ドル、1本だと25セントでした。朝、出勤前、コーヒーやベーグルなどと一緒に気軽に買い、ニューヨーカー気取りで、オフィスで朝食をとったこともありました。

スーパーマーケットでも、屋台と似たような値段でバナナを売っていましたが、一本づつ選んで買えたので、毎日ちょうどよく熟すように青さと黄色を見比べて、何本かのバナナを買うことが可能でした。

日本に戻ってから、スターバックスでバナナを売っていることに気がつきました。一本100円とコンビニの1本売りと同じ値段ですが、ちょうど食べやすく熟している美味しいバナナはお気に入りになりました。

置いてある数は多くないので、売り切れていることもあるので、あれば必ず買ってしまいます。スターバックスらしく、苦みのあるハウスブレンドのドリップコーヒーと一緒に食べるのは贅沢な気分になります。

代々木上原駅のショッピング街にあるスターバックスはいつも混んでいますが、何とか席を確保することが出来ました。バナナは最後の一本でした。きっと良いことがあると思って、うれしくなった日でした。

#バナナ #スターバックス #ドリップコーヒー

ほぼひとりごと 2021年10月12日(火)

谷中から

(写真は、菩提寺に向かう通りから入ったところにある初音小路と横にある街中華。谷中らしい風景です)

ご先祖さまは、江戸幕府の瓦解後、静岡に転居し、東京となった江戸に戻ったのは1890(明治22)年ころだったようです。江戸時代に住んでいた家は接収されてなくなり、結構な苦労をしたという話を聞きました。

谷中の墓地のまわりにあるお寺にあるお墓だけが残りました。いわゆるお墓の一坪(畳半畳)より少しばかり広く、鉄柵まで付いています。戦争中の金属供出の際、しっかりし過ぎて抜けなかったそうです。

墓石そのものは100年ほど前に建てられたものです。そのころ、流行った石を贅沢に使っているとのことですが、石の表面が弱く、ミルフィーユのように削られる危険があると石屋さんに教わりました。

谷中の街にはお寺がたくさんあります。江戸幕府はお寺が集まる地域を作ったということで、お寺の多い場所があちこちにあります。お寺には住民登録機能もあったので、今とは役割が違っていました。

旗本の妻女や、江戸城の女中の間では、若い僧侶が人気だったようで、お寺参りと称したレジャーだったという話を聞いたことがあります。確かに若い僧侶をめぐった艶っぽい歌舞伎の演目もあったはずです。

墓地やお寺があったこともあり、谷中のあたりには、何気なく、昭和どころか、江戸時代が残っているようですが、石屋さんの前のお寺の若い住職が樹木葬を宣伝するなど、少しづつ変化はあるようです。

谷中の墓地の最寄りの日暮里駅近くには夕焼けだんだん、谷根千など、観光スポット、入ってみたくなる初音小路や町中華など、楽しい場所やお店が並んでいます。上野や浅草も谷中から遠くありません。

#谷中 #初音小路 #町中華

自分(の仕事)史 2021年10月11日(月)

グローバルビジネス

(写真は、10年ほど前に撮ったグローバル企業のオフィスが並ぶマンハッタンのパークアベニュー。写っているのは、グローバルビジネスという感じの人物ではありませんね)

碁盤の目のように、アベニューとストリートが交差しているマンハッタン中心部のミッドタウン。オフィスの本社が多いのは、唯一一方通行ではないパークアベニューと、北向きに一方通行のシックスアベニューです。

シックスアベニュー周辺には、メディアやマスコミ関係の会社が多く、パークアベニューには、知名度の高い大企業がオフィスを構えていました。金融系のオフィスはダウンタウンのウォールストリートです。

アベニューと交差しているストリートには、ホテルやMOMA(近代美術館)、レストランなどが並び、南向き一方通行のフィフスアベニューと北向き一方通行のマジソンアベニューにはブランド店が並んでいます。

ユダヤ人のダイヤモンド商人が集まっているエリアや、エンターテインメントの中心地、ブロードウエイも、マンハッタンのミッドタウンにあります。エリアごとに変化があるのがマンハッタンの特徴です。

こんな街で仕事できるかなと心配になりましたが、当たって砕けろで、下手な英語を思い切って使い、アメリカ人の体力に負けないよう、大企業のオフィスが点在するマンハッタンを自分の足で歩きました。

時差が13時間(夏)とか14時間(冬)ある関係で、日本との電話会議はこちらの夜中とか、早朝になります。若手や中堅の駐在員やアメリカ人スタッフと対応しましたが、アメリカ人の体力にはかないません。

グローバルビジネスに参加するには、体力が重要な要素です。まずは、心身ともに健康を保つことが第一です。厳しい状況でしたが、一緒に仕事をしたスタッフのおかげで元気を保つことが出来ました。

#マンハッタン #グローバルビジネス #パークアベニュー

一週間(10月3(日)~10月9日(土))

週刊日記

(写真は、金曜日の夕方に撮った西新宿の空。左から2番目がオペラシティビル、3番目がNTT東日本本社ビル(1995年までNTT本社ビル)です)

雨風の強かった10月1日金曜日から台風一過となった土曜日と同様に、日曜日も汗ばむような晴天でした。長く続いた緊急事態宣言が解除され、人出が増えて、高速道路の渋滞も復活と報道されていました。

永い間、囲いが取れなかった新国立競技場の全貌も囲いが取れて、見えるようになりました。出来たばかりで負の遺産と言われるのも気の毒ですが、設計の時からいろいろあり、素直に見られないのも確かです。

月曜日に新首相が誕生しました。新しい内閣のメンバーは、世代や派閥のバランス、忖度が透けて見えるようです。過去を振り返らないという固い決意を感じますが、今月末投票の総選挙がどうなるか注目です。

そうは言っても、ほんの少しですが、アベノミクスの実態や過去の清算、OECD加盟国で最低とか、日本の低賃金の話題が以前より出るようになりました。コロナもふくめた分析と反省と将来に期待しています。

皇室の結婚は10月26日火曜日になったようです。皇室の伝統的な儀式を行わず、コストのかかるニューヨークで暮らすという異例の事態になるようです。強いバッシングの中の結婚、こちらも素直になれません。

木曜日の23時前、東日本大震災から10年ぶりの強い地震が発生し、スマホの警報音と強い揺れにびっくりしました。埼玉県南部や足立区では震度5強でしたが、震度4だった渋谷区もかなりの揺れでした。

時間的に、帰宅していた人が多く、宣言が解除されたとは言え、夜の人出も少なかったはずですが、翌朝まで影響し、運休や混雑で大変な事態だったようです。テレワークをやめた職場も多かったかも知れません。

#新内閣発足 #新国立競技場 #秋たけなわ

ほぼひとりごと 2021年10月9日(土)

マスクの話

(写真は、最近使い始めた高機能不織布マスク。30回使えると書いてありました)

ニューヨークに住んでいたころ、炭疽菌や新型インフルエンザ予防でマスクを探しましたが、普通のドラッグストアでは売っていません。いろいろな店を回って、チャイナタウンの雑貨屋さんで見つけました。

20年前でも、インフルエンザ予防でマスクをしている人が多かった東京と違って、ニューヨークでマスクをしている人はいませんでした。予防でマスクをするという日本の常識は全く通用しなかったということです。

ニューヨークでマスクをして歩くのは勇気がいることでした。幸い、買ったあと、今回のような大騒ぎにはならず、そのまま保存しました。多少の不安もありますが、今でも使えそうなマスクがたくさんあります。

帰国後、SARSなどの時に買い足したので、ある程度の備蓄はあり、昨年春、マスクが買えなくなった時に重宝し、知人にも使ってもらいましたが、自分の好みは肌触りの良い手作りのハンカチマスクでした。

夏になって暑くなると、ハンカチでは厳しくなったので、ガーゼやタオルを使った今治タオル製の市販品を使うようになりました。不織布のマスクをしてほしいという場所もあり、バッグには入れていました。

緊急事態宣言が終了しても、欧米と違って、マスク文化が消えることはなさそうだと言われています。三密回避やうがいともども、自衛状態を続けることで、やっと、お店は開くことになるようです。

効果が科学的に証明されている不織布マスクが推奨されるようになり、備蓄在庫の中で見つけたの洗濯不可の高機能不織布マスク。48時間陰干しをすると30回使えるマスクを使い始めることにしました。

#不織布マスク #マスク文化 #ハンカチマスク