ほぼひとりごと 2021年6月30日(水)

参宮橋駅下りホーム

(写真は、木を活用した小田急線参宮橋駅下りホーム。階段の上に改札口ができました)

数年前まで、間隔は一定ではありませんでしたが、各駅停車が1時間に10本あった小田急線参宮橋駅。今は、1時間に6本となったかわりに、ほぼ10分おき一定の間隔で電車が来るようになりました。

ほとんどの下り各駅停車が、ふたつ先の代々木上原駅で、快速急行に接続できるようになっているので、電車によって、乗り換えの当たりはずれのあった昔にくらべ、使い易くなったとなっています。

各駅停車の編成両数にあわせて、ホームの長さが延長され、バリアフリー用のエレベーターが出来たくらいで、永い間、大きな変化のなかった参宮橋駅が木を使った駅に生まれ変わることになりました。

大改装計画が続いている渋谷区内の公園のように、トイレも改装され、見違えるようになっています。売店がなくなった分、ホームがずいぶん広くなったように見え、駅全体がレベルアップした感じです。

西参道側に新しい改札口が出来たので、下りホームから跨線橋を渡り、上りホームにしかない改札口を出てから、結構、急な坂を上らなければ行けなかった明治神宮や代々木公園へのルートがラクになりました。

酔っぱらった乗客がホームから落ちにくいように向きを直角にしたと言われているJR西日本の大阪地区のように、下りホームのベンチが、線路と平行しての設置ではなく、線路に直角に設置されています。

この間、初めて、下りホームのベンチに座って、電車を待ちました。平行と直角、大した変わりはないかなと思いましたが、今までとちがった景色が見えるようで。参宮橋駅の改装は十分に効果がありました。

#参宮橋駅 #ベンチ #平行から直角へ

ほぼひとりごと 2021年6月29日(火)

談合坂SA下り線

(写真は、だいぶ前に撮った中央道談合坂の下り線SA。ずいぶんきれいになりました)

コロナ禍の前でも、連休など最盛期の中央道の渋滞は以前ほどではなくなっていましたが、20世紀後半、バブルと言われたころのの連休は大変なものでした。確か、五月の連休のことだったと思います。

目的地は蓼科、当時住んでいた飯田橋の社宅を出たのは朝6時前だったと思います。神田から首都高に入り、最初は順調でしたが、次第に渋滞に巻き込まれ、1ミリも動かなくなってしまいました。

最近、たまに渋滞があっても、動かなくなるほどではなく、少しづつ前進します。渋滞標識もわかりやすくなり、あおり運転が話題にはなりますが、以前より無茶な割り込みや路側帯走行も減ったような感じです。

八王子の料金所はほとんど駐車場と同じような状態になっていました。外に出て、クルマを磨く人までいたように記憶しています。早朝のさわやかさもなくなり、太陽の光が次第に強くなっていました。

そのあと、高尾、相模湖、小仏トンネルと牛歩状態が続きました。それでも、少しづつ前進はしていましたので、時々は動くという状態です。目的地に到着予定の時間はとうの昔に過ぎてしまいました。

やっと、たどり着いたのが談合坂SA下り線。ここもクルマと人であふれていましたが、トイレ休憩のためにも入ることしました。すでに午後になっていたと思います。ここまで長い長い時間でした。

談合坂を出て、河口湖分岐を過ぎたあたりから、不思議なことに渋滞が自然に解消していきました。ここまでで8時間以上、都心から時速15キロ、自転車程度の速度、帰りは同じ区間が2時間弱でした。

#中央道 #談合坂 #大渋滞

自分(の仕事)史 2021年6月28日(月)

シンガポールも候補でした

(写真は、赴任候補のひとつになったシンガポール。)

候補にあがったのは、ニューヨーク、ベトナム(ハノイかホーチミン)、シンガポールでした。当時はNTTグループが本格的に国際ビジネスに進出するという話もなく、どこでも良いなと思っていました。

当時のニューヨークは怖いというイメージが払しょくされてはいませんでした。また、アジアは、家事をメイドに頼まなければという話を聞いたこともあり、どこも100点満点ではありませんでした。

そのうち、住めば都と思えばという気持ちになってきました。積極的に主張した記憶があるわけではありませんが、候補の中で、規模が大きいニューヨークに赴任する可能性が高くなってきました。

この間も、総務担当部長として、株主総会の事務局や社長交替に関わる仕事などで忙しい日々が過ぎていきました。気がついたら、ニューヨークに決まっていたという感じだったと思います。

7年在職したポストだったので、余人を持って代え難しとも言われましたが、組織は脆弱ではありません。机を片付け、後任に引き継ぎ、みんなに行って来ますと言って、過去の人になりました。

国内での異動と違って、ビザの取得など単純に勤務地に行けば良いという具合にはなりません。スタッフがサポートしてくれますが、自分でこなさなければならないことも多く、英語と格闘しました。

一時は、本当に行けるかなと自信喪失になったこともありましたが、時間の経過につれ、本当にニューヨーク勤務になるという実感が出て来ました。顔は笑っていましたが、正直言って不安でした。

#ニューヨーク #ベトナム #シンガポール

一週間(6月20日(日)~26日(土))

週刊日記第2回

6月20日日曜日は、一回目同様、幡ヶ谷の健康相談センターでファイザーワクチンを接種しました。少し不安でしたが、幸い、一回目とそんなに違わない痛みだけで、発熱などの副反応はありませんでした。

あまり油断してはいけませんが、2週間経てば抗体ができるということで、少しばかりホッとしました。ワクチン狂騒曲状態みたいですが、安全・危険確率を考えると接種した方が良さそうだと思います。

足指の痛みはなかなか完治しません。昨日の土曜日になっても、歩く速度がいつもと同じに戻りません。だいぶ痛みが引いて、ほとんど普通に歩けますが、一日も早くの復活を願っています。

発熱したら中止する予定でしたが、朝の検温結果を見て、月曜日夕方の大阪での打ち合わせを挙行することにしました。新幹線はガラガラでしたが、大阪メトロの階段昇降には厳しいものがありました。

さすがに、いつもより疲れがひどかったので、1泊することにしましたが、ホテルについて、ベッドに横になった途端、眠ってしまうほどでした。そのせいもあって、翌朝は快調に目覚ることが出来ました。

土曜日まで、歩く練習も兼ねて、数回外出しました。無理はしないようにと心がけましたが、完全回復までにはもう少し時間がかかりそうです。強がりですが、ゆっくり歩きに慣れたように思います。

ほぼひとりごと 2021年6月27日(日)

阪急大阪梅田駅

(写真は、JR大阪駅から撮った阪急百貨店。阪急電車大阪梅田駅からつながっています)

ここ数年で、JR大阪駅がずいぶん変わりました。ホームの上に駅舎が出来て、各線の乗り換えや、阪急、阪神。地下鉄への乗り換えがラクになりました。眺めも良く、そこそこに椅子もあって休めます。

駅周辺の工事はまだ続いていますが、歩道橋も新しくなり、エレベーターやエスカレータ―が設置され、バリアフリーになりました。今は、営業しながらの阪神百貨店改装が最盛期を迎えています。

阪急と阪神との統合からしばらく時間が経ちましたが、阪急電車、阪神電車は昔のままの車両が走り、いつの間にか慣れて、こんなものかなという感じになりました。地下鉄も大阪メトロになりました。

ややがっかりしたのは、阪急梅田駅が大阪梅田駅に改称されたこと。インバウンドが増えたのでわかりやすくしたなどの理由もあるのでしょうが、大阪らしく、それぞれに主張している感じが好きでした。

写真を撮ったアングルで阪急百貨店を見ることはあまりありませんでした。阪急百貨店は昔の建物を活かしながら高層ビルの9階までになり、かつてビル内にあった阪急電車の駅はJRの向こう側です。

伊丹空港を利用した時は、大阪空港からモノレールに乗り、蛍池駅から阪急宝塚線に乗って、梅田に向かいます。ほんの少しの間ですが、品が良いと言われている阪急電車での通勤を味わうことができます。

阪急電車の駅から、JRへの乗り換えの途中、小さな階段を降りると混沌としたお店が並ぶ新梅田食堂街。周辺の建物が整備されても、新宿の思い出横丁同様にしっかり残っています。興味はつきません。

#阪急大阪梅田駅 #大阪駅 #阪急百貨店

ほぼひとりごと 2021年6月26日(土)

京都駅で

(写真は、近鉄京都駅からJR京都駅改札口に向かっている階段とエスカレーターです)

日本ほど、あちこちにエスカレーターがあるわけではありませんが、ニューヨークでのエスカレーターの乗り方は、大阪と同じに左側を空けて乗っていました。東京は右側を空けて乗るというルールです。

JR東日本や一部のデパートなどが、エスカレーターで混雑したり、歩いたり走ったりして、事故が起きないようにないよう、両側を使うように呼び掛けていますが、守られている風情は全くありません。

さて、京都駅で撮った写真。良く見ると、上がるエスカレーターは左側を開け、下がるエスカレーターは右側を開けています。普通、京都は、大阪と違って、右側を開けて乗っていたと思ったのですが。

意識してこうなったのではなく、先頭がどちら側に乗るかによって、そのまま追随してしまったのだと思います。決して、京都が大阪と東京のルールを足して2で割るよう忖度したわけではないと思います。

ニューヨークと大阪が同じように右開けだったので、右開けがグローバルルールなのかなと思いましたが、アメリカでもワシントンやボストンで、左開けで使われているエスカレーターを見たこともあります。

東京からのゲートウエイ、伊丹空港や新大阪駅で、最初に乗るエスカレーターは東京ルール、次に乗るエスカレーターは大阪ルールだと気づいて、思わず笑みがこぼれ、うれしくなったことがあります。

このような経験が何気なくできるところに、大阪の魅力があると思っています。京都駅まで移動すると、不思議と少しだけ東京に近づいたという実感が湧いて来ました。京都駅で感じたことでした。

#ニューヨーク #大阪 #京都

ほぼひとりごと 2021年6月25日(金)

実家のあった街

(写真は、世田谷区にある小さな通り。実家だった建物の屋根が見えます)

大学卒業までの22年間、世田谷区若林にあった実家に住んでいました。10年余り前に転居したので、今は実家ではありませんが、築50年以上になる建物は残っています。2階の屋根はそのままです。

ずいぶん前に切られてしまいましたが、松の木があり、こどものころ、木登りをしました。棕櫚みたいな木が見えるところにありました。舗装される前は、雨が降ると歩きにくくなるような道でした。

小さな道ですが、たまに、玉電松陰神社前からの抜け道で使う人がいたようで、タバコを吸いながら歩く人が結構いました。クルマはほとんど通らず、キャッチボールしたり、いろいろな遊びができました。

このあたりの道は狭い通りが多く、タクシー泣かせと言われていたようです。行き止まりだったり、少し大きいクルマだと曲がるのも大変でした。世田谷区若林という住所も広く迷ったら、大変でした。

小さな道の住人は、我が家もふくめ、ほとんどが代替わりし、そのまま、住み続けている人はほんのわずかになっています。それぞれに、いろいろな歴史が刻まれているのだと思うと、感慨深い感じがします。

近くにあった友達の家が火事になったり、数軒先の人が現役のまま、救急車で運ばれ、帰らなかったりとドキドキした記憶があります。世田谷通りを通る、消防車や救急車のサイレンが恐怖でした。

世田谷通りにあったバス停も、玉電松陰神社前駅や駅に続く商店街も近く、便利な場所でした。環状7号線が開通して、空気が汚れたなと感じることもありましたが、良い場所に実家があったと思います。

#世田谷区 #実家 #若林

ほぼひとりごと 2021年6月24日(木)

新宿の喫茶店

(写真は、甲州街道沿いにある喫茶店。分煙され、喫煙エリアは密になっていました)

甲州街道沿いのビルの2階にある新宿の喫茶店。窓を開けて換気が出来るようにしています。平日の午前中、ゆったりとした空気が流れています。何回も前を通ったことがありますが、今まで気づきませんでした。

新宿駅西口にも、何軒か古くからの喫茶店が残っています。すでに閉店したり、雰囲気が変わった店もありますが、ずいぶんと前からあったのだと思うお店があります。この喫茶店もそのひとつです。

窓際のエリアは閑散としていますが、奥のエリアは満杯です。少なくなった分煙の喫茶店、タバコの吸える席は密になりそうなほどでした。喫煙席は入り口の横なので、煙を吸わないと禁煙席にたどり着きません。

それでも、窓を開けているなので、地下の店にくらべ開放感があり、座ってしまえば、窓際の席は快適でした。結果として、分煙がうまく機能しているお店になっているような気がします。今どき珍しい喫茶店です。

街にはスタバのようなチェーン店のカフェや、コメダ珈琲店のような喫茶店が増え、この店のような個人営業の喫茶店が減っていますが、入った途端に、別世界のように感じる喫茶店の存在は貴重です。

学生時代の喫茶店は長時間粘る場所でした。今は、カフェでのパソコン作業や、井戸端会議のようなおしゃべりの場になっていますが、クラシックな喫茶店で静かにコーヒーを飲むのも悪くありません。

たまたま、見つけた甲州街道沿いのクラシックな喫茶店。愛煙家のオアシスになっていましたが、甲州街道を走るクルマを眺めることができる禁煙席もそこそこに快適でした。また、行ってみたいと思いました。

#喫茶店 #分煙 #換気

 

ほぼひとりごと 2021年6月23日(水)

行幸通り

(写真は、皇居を背にして撮った東京駅丸の内口駅舎。広い通りは行幸通りと呼ばれています)

ここのところ、丸ノ内、大手町地区のオフィスを訪問する時、日比谷駅で千代田線を降り、丸ノ内仲通りを歩くことにしています。以前は、インバウンドの観光客が多く、ブランドの路面店も大賑わいでした。

最近は人通りが戻りつつありますが、最盛期に比べれば、圧倒的に少なくなったままになっています。それでも、一年ほど前の閑散とした状態ほどではありませんが、寂しい様子には変わりありません。

このあたりにあるビルの上階から、行幸通りを走る馬車を見たことがあります。新任の大使が皇居に参内する際、馬車での行幸を選択できるということです。浮世離れしたイベントとして貴重な存在です。

日本の近代化が始まった丸ノ内にも、高層ビル化の大きな波が押し寄せています。行幸通りに面した丸ビルも、新丸ビルも、すでに、昔のイメージを残しながらも高層ビルに建て替えられています。

皇居が見えるから、高層ビルが建てられないのでは言われたのも、ずいぶん前のことになりました。東京中央郵便局も建て替えられた今、昔のまま残っているのは東京駅丸の内口駅舎だけになりました。

丸ノ内仲通り沿いに、中層のまま残っている昭和遺産と言えるような、高度成長時代からの建物がどうなっていくか気になります。高層と中層が混在している今のまま、残しておきたい景色です。

東京駅丸の内口駅舎も、高層ビル化するという計画が報道されたことがあります。紆余曲折があり、建築時の建物を復元するということになったと記憶しています。ひとまずは良かったと思って歩いています。

#行幸通り #東京駅 #丸の内

 

ほぼひとりごと 2021年6月22日(火)

豪徳寺駅

(写真は、高架複々線上にある小田急線豪徳寺駅。各駅停車だけが停まります)

梅が丘から経堂へ向かって、カーブしながら上っていく線路上にある豪徳寺駅も高架複々線になって立派なたたずまいになりました。東急世田谷線との乗り換えが出来る駅なので、乗降客も少なくありません。

東急世田谷線の駅は山下駅。名刹豪徳寺へは、ひとつ三軒茶屋寄りの宮の坂駅が最寄になります。豪徳寺駅と宮の坂駅の間は、狭い道の両側にお店のある商店街。住宅地らしい景色が続きます。

高校には、世田谷線から小田急線の下り電車に乗り換えて通っていました。今でも50年ほど前と同じような面影が残っている、山下駅と豪徳寺駅との間の路地を通り、階段を上がると豪徳寺駅です。

当時から激安だったラーメン屋、人形焼き屋、甘味店など、どこかの参道のような飲食店や、洋服屋、帽子屋、電気店などが軒を並べていました。映画のセットのような街並み、三丁目の夕日の世界です。

豪徳寺駅の両隣の梅が丘駅と経堂駅の周辺も狭い道ばかりでしたが、以前からバスが乗り入れ、今は乗り場も整備されました。山下駅周辺の道はより狭かったのと、世田谷線もあってバスとは無縁でした。

もともと、小田急線は高架だったので、豪徳寺駅周辺には踏切はありません。小田急線の下を走る世田谷線にだけ、踏切が残っています。多少雰囲気は変わっても、大昔から似たような景色のままです。

甘かったり、苦かったり、いろいろな思い出が残っている小田急線豪徳寺駅。高架複々線になり、立派な駅にはなっていますが、雰囲気は当時とそんなに変わっていません。ホッとした気持ちになりました。

#豪徳寺駅 #山下駅 #豪徳寺