自分(の仕事)史 2021年2月22日(月)

(株主総会リハーサル)⇒パミール館

株主総会は、事前に入念なリハーサルをします。会社の会議室での3,4回と、総会前日、すでにセットされた会場でのリハーサルを行います。これも大変な仕事です。

リハーサルでは、報告事項や決議事項のチェックと、答えにくく、株主役の社員からしてもらう意地悪な質問に対し、担当役員が回答する練習を重ねることが目的です。

このころは、特殊株主と言われた、いわゆる総会屋が全盛だった時期です。株主総会専門の弁護士、警視庁捜査四課など、関連のところから指導してもらっていました。

あとに続く、日本たばこやJRグループのためにも、3公社で最初に上場したNTTには特殊株主との関係を絶つというミッションもありました。結構、大変なことでした。

高校野球みたいですが、練習で泣き、実戦で笑うことが出来るよう、リハーサルの質問は、嫌がらせのような質問ばかり用意します。担当役員は大変だったと思います。

質問者がじらしたこともあります。その時、議長(社長)が、質問もないようですのでと言って、議案を決議し、終了宣言をしてしまいました。始まって、15分くらいでした。

リハーサルなので、2時間の予定にしていました。15分で終わったため、次の準備が何も出来ていませんでした。準備までの時間稼ぎが大変だった記憶があります。

自分(の仕事)史 2021年2月15日(月)

第58回(株主総会事務局)⇒新高輪プリンスホテル

マスコミ対応担当として、初めて体験した大規模株主総会ですが、1991年6月の総会から、事務局として関わることになり、1996年まで6回担当することになりました。

事務局として担当した1991年から、新高輪プリンスホテルのパミール館での開催になりました。こじんまりとまとまっているので、運営全般は容易だったのだと思います。

品川駅からは、結構急な坂を上る必要がありますが、途中までは、ショッピングセンターの中を通ることも出来ます。裏の入口から、都営浅草線高輪台に歩いていけます。

大規模な総会を運営するため、株主総会運営システムを導入していました。議長を支援する画面と、答弁する役員にスライドを見せるシステムから構成されていました。

最初は部外で開発されたシステムでしたが、蓄積したノウハウを使って、数年後に自社開発をすることになりました。このようなシステムがないと運営は不可能でした。

事務局は、議長の後に、顧問弁護士と一緒に座り、システムで足りない分、メモを入れることがありました。会場に見えないよう、膝をついて移動する必要がありました。

進行状況に応じ、シナリオを弾力的に書き換え、関係方面に指示を出したり、会場の様子を見て対応したりと、無事終了するまで、事務局は大忙し、緊張の連続でした。

自分(の仕事)史 2021年2月8日(月)

(大規模株主総会)⇒ホテルニューオータニ

最大の年中行事は毎年6月に行われる株主総会。1987年が上場後最初の総会でした。NTT株ブームの真最中、5000人以上の株主が集まりました。壮観でした。

最初の総会の時は、広報部報道担当でした。マスコミにどこまで開放するかなど、事前の段取りから、運営の一端に関わることになり、総務部とももめた記憶があります。

赤坂見附、四ツ谷両駅からのアプローチが出来る、紀尾井町のホテルニューオータニで開催しました。このような規模の会合が開催できる場所は限られていました。

最初のことなので、いろいろと反省点がありました。われわれは、マスコミ対応だけの予定でしたが、体を張って、おおぜいの株主の誘導を行うなど、大変なことでした。

同じ日に、全国幼稚園協会の総会が入っていたため、終了時に2方向に向かう人波が交錯し、混乱しました。事故もなく、無事に終了したことが不思議なくらいでした。

翌年からは、他の行事は入れないよう、貸し切りにするということと、イベント誘導などの専門会社に全面的にお願いするということにしました。やってみないとわかりませんでした。

長時間かかるかと不安でしたが、大きな混乱もなく、2時間程度で終了しました。今までにない大規模株主総会を最初に運営したNTTのノウハウ蓄積がスタートしました。

自分(の仕事)史 2021年2月1日(月)

(いつもの仕事)⇒日比谷駅

株主総会は年に一回、取締役会は月に一回開催でしたので、年間カレンダーとして、決定した日付に基づいて、準備を始め、定例的に仕事が回ることになっていました。

このほかにも、ビル全体の防災訓練や、年末年始の行事。当時、あった図書館や、地下の会議室などの管理など、地味な仕事が中心でした。うまく行って当たり前でした。

株主総会や取締役会の準備は集中的な仕事なので、残業する機会も多く、大変でしたが、マニュアル化された部分もあり、精神的にはそんなに大変ではありません。

これだけで済めば、そんなに大変な仕事ではなかったのですが、時に、突発的な仕事が発生します。他の組織に属さない事項はすべて、総務部ということになります。

着任前に大問題となった事件の後始末や、その関連もあって発生したあらたな事件対応や、社員証のICカード化、本社移転と本社内OAなどが記憶に残っています。

事件関係では、捜査当局との対応がありました。警視庁捜査2課との対応で、資料の提出や調査にあたっての協力をしました。会社を守る、人を守るという思いでした。

守ると言っても、隠蔽をするのではなく、事実を明らかにするということを徹底しました。満点が取れたとは思いませんが、理解はしてもらったと、今も思っています。