自分(の仕事)史 2020年10月26日(月)

(ベストサービス運動)⇒原宿クエストホール

不祥事が発生する前から、民営化の準備としてスタートした社外有識者と社内中堅幹部によるプロジェクトチームを発展させ、いろいろと応援団作りを行っていました。

その動きと並行し、毎月19日をトークの日と名付け、全社的にコミュニケーション型イベントを実施することになりました。東京では原宿クエストホールで開催しました。

トークの日で、一番困ったのは、外国人プレスに説明する時でした。19日だから、トークの日だということを、日本語を話せない記者に理解してもらうことは不可能でした。

ベストサービス運動も、抽象的なものをどう具体化するかが難しく、シールやのぼりを作って全社で展開しても、理解してもらって、浸透していくことは簡単ではありません。

代官山にある、渋谷電話局の外装をお化粧し、若手と女性中心のスタッフで運営することにしました。発想はともかく、当事者のみなさんには苦労をかける結果になります。

その後、ベストサービス運動は、オレンジ活動という広聴活動と、お客様満足度調査(CSR)を行って、具体的なサービス向上を実現しようという動きに発展しました。

いろいろな試行錯誤を行いながら、世の中に役にたつNTTグループになろうと努力をしていきましたが、全社の動きをまとめていくことが簡単なことではありませんでした。

自分(の仕事)史 2020年10月19日(月)

(自動車電話)⇒ドコモショップ

少し、話題を変えて、自動車電話とポケベルの話。一時期、自動車電話アンテナを付けているのがステータスになった時期がありました。ほとんどが黒い社用車でした。

ダミーのアンテナをカー用品ショップなどで買って、飾りとして付けているクルマも結構あったようです。自動車電話を設置するには、30万円近くかかったと記憶しています。

自動車電話が通じるエリアも狭く、都心部でも不感地域があり、広報部へ苦情がありました。都心の不感地域がほぼ解消するまでには、かなり時間がかかったと思います。

移動通信サービスには、自動車電話そのものを外に持ち出した巨大なショルダーホンと、ポケットベルがありました。ショルダーホンが携帯電話、スマホのご先祖様です。

ポケベルは、マスコミなど、急に連絡を取る必要がある職種から普及し、主として、公衆電話とセットで使われました。常時、行動が把握される社会が始まりました。

その後、ポケットに入るような大きさの携帯電話が売り出され、iモードのようなデータ通信も可能になり、通話できるインターネット端末として、スマホになっていきます。

こんな調子でスタートした、移動体通信ですが、便利なスマホは、社会、生活に深く根付くことになりました。20年以上前のぜいたく品から、21世紀の日用品になりました。

自分(の仕事)史 2020年10月12日(月)

2020年10月12日(月)(競争スタート)⇒恵比寿のauショップ

今でも、何かあるたびに、KDDIとソフトバンクの2社は、NTTグループが強大な設備とパワーで、健全な市場の発展を阻害する恐れがあるというコメントを出しています。

1985年の民営化、新規事業者の参入により、NTTでは、競争という言葉があちこちで使われました。実感ではなくても、競争が始まるという意識は浸透したと思います。

時効になりますが、他社を使うという書類を持って、お客様を訪問し、NTTを使い続けてほしいという営業をやったなど、公正競争上疑義のある話も聞いたことがあります。

最初、京セラ系のDDI、JR系のジャパンテレコム(JT)、高速道路系の日本高速通信(テレウェイ)の3社に、国際のKDDや、ソフトバンクが加わり、今に至っています。

最初は、0077などの4ケタ番号を回して市外通話をかけると安くなるという方式からスタートし、契約することで4ケタ番号が不要になるなど、徐々に変わっていきました。

その後、主戦場は固定電話から、次第に携帯電話市場に移り、こちらでのシェア争いはより一層、激しかったものの、成長市場だったので、儲かるビジネスになりました。

競争市場になって、30年以上、様々な合従連衡の末、3大メガキャリアに楽天がチャレンジするという市場が現在の姿です。そろそろ、見直す時期なのかも知れません。

自分(の仕事)史 2020年10月5日(月)

(現場は変わらない)

NTT全体のイメージはガラッと変わり、コマーシャルも洗練されたものになって行きましたが、その後、リクルート事件など、激変のあとの軋みも出て来るようになりました。

現場では、正直なところ、1985年4月の民営化前と同じようなことが踏襲され、電話サービスのアンバンドリングなど、事務処理やお客様対応が面倒になっただけでした。

すべてバラ色ではなくても、半官半民の公社から民営化すると、スト権だけでなく、待遇も変わっていくと期待しましたが、しばらくは、特段の変化を感じられませんでした。

そこに降ってわいたように、後年リクルート事件につながる要素のある不祥事が発覚し、広報部報道担当として、マスコミ対応をしなければならない場面がありました。

現場にとってみれば、本社での不祥事が起こると、お客様からのクレームも増え、大変な時間を過ごすことになります。会社としての希望を示す必要が出てしまいました。

良い方向でのイメージチェンジが急激だった半面、事件が起こった時の反動も大きく、従業員のみなさんのモチベーションをどうやって保っていくかが課題となりました。

リクルート事件発生前、広聴活動として、サービス向上活動を全社的に展開することになり、今思えば、ピンと来ない名前ですが、ベストサービス運動と名付けました。