自分(の仕事)史 2020年6月29日(月)

(民営化へ)

本社係長になったのは29才5か月。電電公社民営化に向けての作業が佳境でした。少しばかりのコスメティックを加え、何度も何度もシミュレーションして作り上げました。

深夜に帰宅した後、電話がかかり、湯上りのまま、寒い冬の夜に関係の部署と延々と議論したこともありました。気力と慣れのせいか、幸い、風邪をひかずに済みました。

大組織にとっても、民営化や競争市場は、未知の世界の話でした。いろいろな条件を設定し、民営化が組織にとってメリットのあるような事業計画が求まられていました。

監督官庁の郵政省は、在来型の自民党国会議員や多くの電電公社幹部などと同じで、民営化に賛成ではありませんでした。これらの人々を説得する必要がありました。

政治的な思惑や力関係もあったとは思いますが、人事や給与決定に関する自由度アップ、政府持株公開による錬金術など、魅力的な条件は効果的だったと思います。

民営化を促進する目的で作った資料です。嘘ではありませんが、やや誇張しているところもありました。郵政省の中には、本音を見抜いていた人がいたのも事実です。

結果的には、民営化して良かったと思います。利用者、従業員、国、株主、紆余曲折もあり、損をした人もいましたが、民営化しなければ、出来ないことだらけでした。

30代になってからの1年、尿管結石の痛みに耐えなければならないこともありましたが、思い切り、印象に強く残る仕事をしました。最高の時期だったと思います。

自分(の仕事)史 2020年6月22日(月)

(ドルの価値)

長い間続いていた、日本の高度成長がひと段落することになったのは、第一次石油ショックに続く物不足騒ぎで、トイレットペーパー買い占めが話題になったころでした。

大学に入ったころ、日本の輸出をバックアップしてきた、1ドル360円、ブレトンウッズ体制、アメリカの金本位制が崩れ、円ドルレートも変動相場制に移行しました。

大学卒業のころ、就職内定取り消しなど、最悪の時期でした。身近な人がそのあおりを受けたと知って、衝撃を受けましたが、このころが景気の底だったと思います。

このあと、円ドルレートは、プラザ合意を経て、1ドル80円ほどの円高になり、今は、輸出応援型の政策の成果もあり、1ドル100円と少しという水準を前後しています。

1ドル80円のころは、日本人の爆買いが話題になり、パリやロンドン、ニューヨークのブランドショップで大行列が出来ました。海外でのショッピングはお得そのものでした。

若い女性が、航空券が安く買える香港で、東京経由パリ往復のビジネスクラスチケットを買い、ショッピングするというのが、普通に行われるようになった時代でした。

こんな時代がもう一度来るとは思えません。円ドルレートに大して変化はありませんが、日本の物価は賃金水準とともに上がっていないため、感覚も変わっています。

ニューヨークの物価は安いと感激した時代から、時間が経ち、東京の物価が一番安いということで、ついこの間まで、外国から、観光客が来るようになっていました。

自分(の仕事)史 2020年6月15日(月)

(ワープロとパソコン)

資料を手書きで清書していた時代、役所に出す書類など公式文書作成に、和文タイプライターのタイピストが職場にいました。小さな印刷屋さんという感じの作業です。

タイピストのみなさんは、ベテランばかり。昔からのいろいろなことや人を知っているので、幹部の若手時代の話など、面白くて役に立つ話をたくさん聞かせてくれました。

そろばん、計算尺から、電卓、電気式計算機になって、コンピューター、パソコンになっていったころ、和文タイプライターに代わり、職場にワープロが登場しました。

最初に、ワープロの存在を知ったのは、1980年ころ、通産省に出向しているころでした。初期のFAX同様、大型で、決して使いやすいものではありませんでした。

普通に使えるようになったのは、電電公社に戻ってからでした。小型にはなりましたが、訂正などに手間がかかり、仕上げはきれいでも、実用的とは言えませんでした。

訂正には、ミステリードラマの脅迫状のように、いくつかの文字を打ち出しておいて、ナイフで切り取り、切手蒐集用のピンセットを使って、切り貼りする必要がありました。

さらに小さく、実用的になったワープロを個人的に買いました。そのあと、あっという間に、個人用パソコンが普及し、自分にも使えるようになりました。短い間のことでした。

自分(の仕事)史 2020年6月8日(月)

(コスメティック=閑話休題)

少し違う話ですが、通産省の時、イランで起こったアメリカ大使館占拠事件を理由に、西側諸国からのイラン向け輸出を全面的に禁止し、日本も、積極的に参加しました。

既契約を除くということだったので、省内に出来た審査委員会での審査を行った上で輸出許可を出すという仕組みでしたが、既契約が増えるのか、輸出額が減りません。

毎月、アメリカ国務省に報告することになっています。担当のワシントン駐在は説明の理由をつけるのに苦労していました。今となれば、申し訳ないことをしたと思います。

輸出統計は、大蔵省(今の財務省)が所管の通関統計と、通産省(今の経済産業省)が所管の貿易統計があります。数値をごまかしたいと真剣に悩んだこともありました。

弾力的な発想の上司でしたが、思い切り叱られました。民主主義の基本には、正確な情報を公開することが大切だということを、役人として覚えておけというものでした。

一回、ごまかすと、とめどなくごまかさなくなってしまい、すべてが信用できなくなってしまい、戦前、どれほど苦労したかと、諭された記憶があります。良い経験でした。

既契約云々という話も、いかがかなとは思いますが、少なくとも、仕事をする上での矜持を教えてもらった気がします。単なる出向者という立場ではありませんでした。

自分(の仕事)史 2020年6月1日(月)

(電卓)

企業財務会計や、減価償却費のしくみ、事業計画策定に必要な統計の基礎知識などがないまま、民営化を想定した、企業会計のにわか勉強の実践が始まりました。

大先輩たちは、当時電電公社が準拠していた官庁会計の専門家です。おかげ様で、企業会計をにわか勉強した、吸収力のある30才前の若手係長の方が有利でした。

今まで、オリベッティの電気計算機や、計算尺、プッシュホンによる電子計算などが主体だった職場に、草創期のパソコンが入り、劇的に処理能力がアップした時代です。

いろいろなシミュレーションを作成することが出来るようになり、人為的なスパイスや、仕掛けを入れての試算も簡単になり、上司に内緒でたくさんケースを作りました。

それでも、机上の主役はカシオの関数電卓。いろいろな数式での計算をする機能が満載で、とても使いこなせませんでしたが、有能な相棒となり、大活躍してくれました。

計算結果がレシートに印字される電気計算機や、プッシュボタンだけが頼りで、間違えて入力しても、わからないプッシュホンの電子計算にくらべ、圧倒的に便利でした。

冷や汗ものの仕事が続きましたが、たくさんのケースの中のひとつが民営化の説明資料になり、いろいろと出回りました。幸い、結果オーライの実績になりました。