自分(の仕事)史 2020年6月29日(月)

(民営化へ)

本社係長になったのは29才5か月。電電公社民営化に向けての作業が佳境でした。少しばかりのコスメティックを加え、何度も何度もシミュレーションして作り上げました。

深夜に帰宅した後、電話がかかり、湯上りのまま、寒い冬の夜に関係の部署と延々と議論したこともありました。気力と慣れのせいか、幸い、風邪をひかずに済みました。

大組織にとっても、民営化や競争市場は、未知の世界の話でした。いろいろな条件を設定し、民営化が組織にとってメリットのあるような事業計画が求まられていました。

監督官庁の郵政省は、在来型の自民党国会議員や多くの電電公社幹部などと同じで、民営化に賛成ではありませんでした。これらの人々を説得する必要がありました。

政治的な思惑や力関係もあったとは思いますが、人事や給与決定に関する自由度アップ、政府持株公開による錬金術など、魅力的な条件は効果的だったと思います。

民営化を促進する目的で作った資料です。嘘ではありませんが、やや誇張しているところもありました。郵政省の中には、本音を見抜いていた人がいたのも事実です。

結果的には、民営化して良かったと思います。利用者、従業員、国、株主、紆余曲折もあり、損をした人もいましたが、民営化しなければ、出来ないことだらけでした。

30代になってからの1年、尿管結石の痛みに耐えなければならないこともありましたが、思い切り、印象に強く残る仕事をしました。最高の時期だったと思います。