自分(の仕事)史 2020年7月27日(月)

(名古屋くらし)

東京からのぞみで1時間半ほどの名古屋ですが、30年以上前に2年半住んだ体験から、名物の違いだけでなく、東京と違う点が多々あり、面白い経験をしました。

まず、新刊の小説が出た時、初版本を買うのが簡単ではありません。堅実な名古屋人は、新聞などで評判が良いと言われて初めて、ベストセラーを買うみたいでした。

次に、お豆腐が東京の倍の大きさだということ。東京の大きさのお豆腐は、郊外の猪子石(いのこし)というところにあった、その手の商品が多いスーパーだけありました。

そのスーパーの駐車場には、品川ナンバーや横浜ナンバーのクルマが多く、品物も青山の紀ノ国屋の商品がありました。今は、閉店してしまったと聞いています。

電車に乗ったまま、混んでいなくても、奥につめず、ブロックしてしまう人が多く、今の電車クレームを先取りした感じでした。電車に乗るにも、東京と違う気を使いました。

ものすごく広い通りや歩道、北陸や伊勢志摩からも入る新鮮は魚介類や、自給自足できる野菜、松阪ブランド牛肉などの恵まれた食材。良いところもたくさんありました。

京都、奈良、伊勢志摩などの近鉄エリアや、木曽、高山など、地の利も良く、日本の真ん中にあると名古屋。民営化だけでなく、いろいろなことがあった名古屋でした。

自分(の仕事)史 2020年7月20日(月)

(名古屋へ転勤)

1985年4月に決まった民営化の半年前、名古屋にある東海電気通信局の営業担当課長、当時の電報電話課長として転勤しました。正真正銘の管理職になりました。

東京出身なので、転勤するなら、東京にある、東京電気通信局か関東電気通信局が希望でしたが、東海道新幹線ひかりで2時間の名古屋へ勤務ということになりました。

入社直後の現場見習いで、東海電気通信局管内の津電報電話局で1年余過ごした縁があったのかも知れません。そのころの知り合いの人たちとも再会しました。

電電公社の組織は、本社の下に、東海などのエリアを担当する電気通信局、県単位にある電気通信部など、さらに現場の電報電話局などがあるという構成でした。

31才でしたが、電気通信局の営業担当課長は、実質的な電電公社のエリア営業の責任者でした。民営化を前にして、いろいろな作業も多く、忙しいポジションでした。

国鉄は大きな鉄道管理局の課長を30代になる前に経験したり、役所は20代で、警察署長、郵便局長、税務署長に就任していました。似たようなものだったと思います。

エリアでの民営化作業や、現場のみなさんへの説明、お客様対応に加え、マスコミと対応することなどもあり、何でも屋みたいな仕事でしたが、やりがいはありました。

自分(の仕事)史 2020年7月13日(月)

(電話130年)

社会インフラの重要な担い手、通信事業は、明治時代以来、国の事業として行われていましたが、利用者の負担により、設備を建設し、提供するというのが基本でした。

創業してからしばらくは、税金で建設し、土地なども国有地だったと思いますが、そのあとは、利用者に支払ってもらうお金で設備を建設する独立採算制をとりました。

税金で運営していると言われたりして、肩身の狭い思いをしたこともあります。確かに公共料金を税金みたいなものと言われることも多いですが、企業ではありました。

電話をひく時、設備設置負担金として加入権取得負担をしてもらったり、電信電話建設債券を引き受けてもらったりと、利用者に負担が必要な、当時のぜいたく品でした。

電話がなかなかひけなかったころ、加入権は市場で売買され、高値になったこともあり、債券は当日売却することで、差損を負担するだけ、差益が出る場合もありました。

利用者の負担で建設した設備や取得した土地を活用したビジネスを創造し、会社、株主、利用者の3者にメリットが出ることが民営化の趣旨だったと信じています。

電話が出来て130年、公共企業電電公社になってから約70年、民営化してからも35年になります。固定電話にとっての大変化は、すぐ目の前になっているようです。

自分(の仕事)史 2020年7月6日(月)

(尿管結石のはなし=閑話休題)

尿管結石は3回経験しました。あの痛さはたまりません。3回目の経験をしてから15年以上、2回目の経験からは40年近く、最初の経験からは約50年になります。

2回目に発症したのは、クルマを運転していた時、つらくて、路肩に停め、落ち着いたら走るということを繰り返しました。目的地で痛み止めをもらい、応急措置をしました。

日曜日だったと思いますが、帰りは電車で帰りました。夜中も断続的に激痛がして眠れず、悶々としたまま出勤し、我慢していましたが、耐えられなくなってしまいました。

説明中、耐えられず、上司に病院に行ってくると言ったところ、頼んだ資料はどうしてくれると誰何され、急いで行って戻りますと言って外出をしました。緊急事態です。

痛みの原因がわからないので、整形外科にかかりました。聞かれたのは何日の病休が希望かということ。治療はレントゲンと湿布薬だけ、病休希望者が多い病院でした。

同僚に、内科で見てもらった方がと言われ、そのまま内科で、副院長に見てもらいました。断続的に痛いのは整形分野ではないと断言され、尿管結石と診断されました。

麦茶、スイカ、ビールの治療で、翌日には治ったと記憶しています。3回とも、いつの間にか、石が出てしまいました。痛い経験、もう勘弁してほしいと願っています。