今日も思いつくまま・・2018年5月28日(月)

1982(昭和57)年2月、電電公社に戻りました。ポストは経営計画作り、特に収支見通しを担当する、計画局総括課収支調査係長でした。通産省では課長補佐の仕事をしていましたが、今度は係長、部下は4名、着任した時には疲労困憊、年始明けからほとんど休んでいなかったということです。この3年後、電電公社は民営化することになります。 “今日も思いつくまま・・2018年5月28日(月)” の続きを読む

今日も思いつくまま・・2018年5月21日(月)

前回の続きの通産省。最初にあったのが、イランのアメリカ大使館員人質事件。結構長く続きました。その前に、親米派のパーレビ国王が追放され、イスラム原理主義者と言われた、ホメイニ師が実権を握ることになりました。第2次石油ショックの始まりです。そんな中、起こったこの事件、日本も経済制裁に巻き込まれ、右往左往することになりました。 “今日も思いつくまま・・2018年5月21日(月)” の続きを読む

今日も思いつくまま・・2018年5月14日(月)

少し、時間を戻します。1979(昭和54)年9月から、1982(昭和57)年2月までの2年5か月、通産省(現在の経済産業省)に出向しました。電電公社の社員のままでの出向で転籍ではありませんでしたが、当時の通商政策局西欧アフリカ中東課中東室というところで、係長と課長補佐の仕事をさせてもらいました。その間、歴史に残る事件がいくつか発生しました。 “今日も思いつくまま・・2018年5月14日(月)” の続きを読む

今日も思いつくまま・・2018年5月7日(月)

そんな中、売り出されたのがNTT株。抽選方式だったことや、バブルの最盛期だったこともあり、フィーバーと言われるほどで、その後に政党幹部になった経済評論家が、売り出し価格が5万円の額面が119万7千円になったことを評し、500万円にもなるので、買わないという選択はないと煽ったのも、当たり前という感じでした。 “今日も思いつくまま・・2018年5月7日(月)” の続きを読む