今日も思いつくまま・・2018年5月7日(月)

そんな中、売り出されたのがNTT株。抽選方式だったことや、バブルの最盛期だったこともあり、フィーバーと言われるほどで、その後に政党幹部になった経済評論家が、売り出し価格が5万円の額面が119万7千円になったことを評し、500万円にもなるので、買わないという選択はないと煽ったのも、当たり前という感じでした。

当時、広報部で報道担当でしたので、民営化で突然注目されたNTTをめぐって、いろいろな記事や報道がありました。株価も売り出し直後、一気に300万円を超え、500万も夢ではないなと思いましたが、終値315万円がピークで、その後は下がるばかり、資産株と言われながら、売り出し後のブームで買い、損をした人も多く、バブルはそんなに長く続きませんでした。

抽選には当たらなかったのですが、持株会に入り、積み立て方式で少しづつ買いましたが、10年以上あと、取締役になって、株価低迷の時に、増額するまでは、購入価格が時価に追い付かず、損をしたままでした。政党幹部になった経済評論家は、株価は上下するのが当たり前、損をしても仕方ないと発言。信じられませんでした。

NTTをめぐっても、いろいろなことがありました。幹部社員の女性問題と、その女性の関連会社への発注の際には、広報部で担当し、今ではとても無理でしょうが、課長補佐である私と、幹部社員の下の広報担当部長で、記者会見を行い、テレビカメラは勘弁してもらいました。今なら、もっと上位職幹部が頭頂部を見せるのが鉄則になっています。

リクルート事件の際には、松山勤務。役目がら、前職の広報部にも関連する話があり、やきもきしましたが、外野のままでいられました。戻って、総務部勤務になって5年目。食堂の食器汚職が発生し、その時は担当部長でした。いまだにわからない話もありますが、NTT株から話が続いていたようです。NTTフィーバーが生んだひずみだったのだと思います。

広報部で2年半、四国の営業部長で約2年、総務部で6年過ごしました。電電公社時代から、2年か3年で異動というのが普通だったので、総務部での6年は異例の長さでした。年齢も40才を越えました。途中、後厄の年に、十二指腸潰瘍で2週間入院しました。ストレスプラスアルファが原因、人生の転機にはなったと思います。

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