自分(の仕事)史 2021年3月29日(月)

(夫婦別姓)⇒渋谷ヒカリエ

夫婦別姓が目の前の課題になったのは、総務部に来てしばらく経ったころ、今から30年ほど前でした。会社では旧姓で通したいという要望にどう答えるかが課題でした。

バブルのころだったので、相続の段階を減らし、節税するため、孫を養子にするという動きがありました。親と兄弟になる、戸籍制度への挑戦なのかなと思ったりしました。

もっとも、今の戸籍制度が確立したのは、江戸幕府から明治政府に変わった以降なので、大名や武士の間では、養子縁組や夫婦養子など、小説もたくさんありました。

社内は、戸籍制度の絶対性や、結婚したら夫の姓になるのは当たり前という声が強く、今の政府部内と似て、特に男性社員の感情的反発が強く、検討は難航しました。

一方、パスポートや自動車免許、社会的な知名度など、姓が変わることによる不利益が多いという声もあり、他社の例を調べるなど、実現する方向で検討を行いました。

結論としては、視点を変え、養子に行った男性にも姓を変えなくて済むというメリットがあるということで、社内での旧姓使用ができるようにし、定着することになりました。

先駆けていたのは、女性専務がいた大手デパート。旧姓使用など問題外ですよねという具申を一蹴し、実現したそうでした。やって良かったなと思える夫婦別姓でした。

自分(の仕事)史 2021年3月22日(月)

(ハンコ)⇒印鑑

30年前は、決裁文書など、正式な書類にはハンコを捺すというのが当たり前のことでした。外部に出す正式文書はもちろん、回覧される文書にもハンコを捺していました。

ハンコが捺してあれば信用できるというルールが成り立っていたことを悪用し、上司のハンコを偽造し、公印私文書偽造にもなるような事件が発生することになりました。

通産省に出向していたころ、役所ですから、基本はハンコ文化でしたが、上司の決裁や回覧などはサインでした。中には、武将のような花押を使っていた幹部もいました。

自分も、格好つけて、花押をまね、自分なりに作ってみました。正式な花押ではありませんでしたが、自分ではそれなりに満足し、今でも時折、サイン代わりに使います。

決裁などは普通のハンコではなく、郵便局の受付印のような、氏名入り日付印を使っていました。新しい職場に着任する時は、今までのものを持参して、使っていました。

通産省は違っていましたが、JR(旧国鉄)やJT(旧専売公社)に聞いても、それ何という反応でした。氏名入り日付印を作っている会社にあいさつをし、早速廃止しました。

今は、電子決裁が主流ですから、サインを使うことはないと思いますが、サインでの決裁は徐々に浸透していきました。もっとも、ハンコ文化絶滅には至りませんでした。

自分(の仕事)史 2021年3月15日(月)

(株主総会)⇒東京証券取引所看板

NTT上場は、バブルの真最中だったこともあり、大きな話題でした。50円か500円だった額面が5万円になったことも、好景気を感じさせる理由だったかも知れません。

以前、株主総会担当の評価は何分で終わるかという時代でした。経営陣からの報告など、必要な議事のあと決議を行うまでの時間が短ければ短いほど評価が高くなっていました。

世間から、特別に注目される存在だったNTT上場後の株主総会は、可能な限り質問を受ける方針で、同趣旨の質問が出て冗長な感じになるまで受けるようにしました。

指導してくれた警視庁捜査四課も、顧問弁護士も同じような考えでした。つまり、短時間で終わらせるために、各社が行っているような努力を止めましょうということでした。

最初の大規模総会を担当した事務局としては、努力をしても、短時間で終わりたいのは山々だったと思います。指導に従う方針を取った事務局や経営幹部に感謝します。

その後、株主総会をめぐる状況も変化し、長時間かける株主総会が珍しくなくなりました。出席する特殊株主の数も減り、総会での質問はより具体的なものになりました。

NTT株主総会がきっかけとなって、徐々に、株主総会は、株主と経営陣とのコミュニケーションの場になっていきました。多少でも関われたことを光栄に思っています。

自分(の仕事)史 2021年3月8日(月)

(株主総会システム)⇒パミール館外観

上場後使っていた株主総会システム更改の際、そんなに難しいシステムではなかったので、使い勝手を中心に創意工夫をして、自前で企画・開発することにしました。

議長用には、議事進行例文の数を増やし、質問や会場の状況を見ながら、議長席のディスプレイに、瞬時に議事進行文が出るよう、スピードアップをすることにしました。

細かいところは、ほとんど覚えていませんが、出席役員席のディスプレイの能力もアップして、使い勝手も向上した上、安定性を高めました。能力的には十分なものでした。

NTT上場のあと、上場を予定していた日本たばこ、JRグループ、NTTデータ、NTTドコモや、原発がらみで出席株主が多くなっていた東電などに売ることを考えました。

総会前日のリハーサルを会場にあった同時通訳ブースから見学してもらい、そのあと、実際のシステムに触れてもらうようにしました。効果的な商談会だと思いました。

結果としては売れました。開発費は十分にまかなえる収益を得たことに加え、会場設営費や、翌年以降への継続など、NTT株主総会システムは大きな商売になりました。

総務部で収益を計上するわけにはいかなかったので、具体的な開発をマネジメントしたグループ会社ブランドで販売をしました。株主総会のおまけみたいな成果でした。

自分(の仕事)史 2021年3月1日(月)

(株主総会余話)⇒柘榴坂

何が起こるかわからない、何が起こっても大丈夫なように準備するため、今から思えば、やり過ぎと思われるような手配をしたように思います。無謬主義そのものです。

悲観的に準備し、楽観的に対応するという原則を守り、避難経路から、役員の安全確保はもちろんのこと、細々とした項目ごとにチェックリストを作り、詰めていきました。

いくら時間があっても足りないほど仕事がありましたが、事務局責任者として対応する大規模総会はすでに5回目、蓄積を活用することで、多少ラクにはなっていました。

悲観的に準備したあと、実際に起こるリスク可能性の判定をすることにしました。今までとは違った目線で眺めるようにすると、可能性の大小が見えるような気がしました。

悲観的にリスクを列挙すると同時に、発生可能性に強弱をつけて準備することで、どこに力を入れて良いのかが、見えてくるような気になり、だいぶ気が楽になりました。

株主総会事務局の仕事を通じて、体験したリスク管理や、大規模イベントの開催に関わる様々な仕事は、このあとのビジネス人生にとって、役に立つことになりました。

株主総会が無事終了したあとの達成感、には格別なものがありました。株主総会に関わる様々な記憶はすべて、良い記憶として残っています。ありがとうございました。