米国の通信(2003年)

米国の通信(2003年2月)

1. 自分勝手

思いがけず、アメリカ、ニューヨークで暮らすことになって6年あまり。未だに観光客気分も抜けず、お客様という気分。

狭い、マンハッタン。地理にも、街の様子にも慣れてきて、まごつくことは少なくなったものの、変化も大きく、あっと驚くこともしばしば。

それでも、この6年間に治安は良くなり、街も、タクシーも、地下鉄もみんなきれいになって、豊かなアメリカの一番豊かな街として、元気でにぎやかで、活気あふれる街へと大変身。

おととしの9月11日を境に、上り調子から、停滞、そして下降ぎみにはなったものの、かつての危険なニューヨークが復活するわけではなく、まだまだ元気。

アメリカそのものも、シリコンバレーを発火点にするITバブル、ストックオプション狂想曲、億万長者の続出など、とんでもなく豊かな1990年代を経験し、一時は日本に奪われそうになっていた経済でのリーダーシップも磐石のものにして、好景気を謳歌。

同じような会社であったAT&Tでさえ、途中で製造研究部門を切り出したルーセントテクノロジーが脚光を浴びたり、全体的な株価上昇の中で、ベンチャーではなかったものの、IT関連として、ここもリッチな社員を生むことになった。

一時はアメリカの時代は過ぎたと思ったのが、どっこい1980年代の不景気、失業者の続出をテコに、軍事技術を転用したインターネットを最大限活用して、産業を創出し、活性化し、さらには、利益至上主義で、あらゆる手段を使い、時には国内での事業や長い間コアだったビジネスを断念してまでも企業としての生存、成長を指向。

とりわけ、インターネットをめぐる市場ではほとんど一人勝ち。全世界をアメリカの常識で覆った。

グローバルスタンダードという言葉が、アメリカンスタンダードの普及という意味を持って、キーワードになった。

世界の警察官だったアメリカは、第二次世界大戦後もできなかった、社会制度の輸出、文化の輸出までもふくめ、世界中どこにいても、アメリカの定めたルールによるインターネットで、どこからでもどこへでもアクセスできる。

こんなに便利なものはないと断言できる。一気にいろいろなことが可能になり、できないと思っていたことができるようになったし、これからもますます便利になっていくはず。

インターネットバンキングを使っていると、国家間で為替に関する規制があるということを忘れてしまいそうになる。あるいはインターネットを通じ、日本のTV番組をそのまま自然に見ることももうすぐそこ。

アメリカはすごいと思う。残念ながら、この面では完敗と言わざるを得ない。

一方で、こう言った経済・社会での主導権を背景に、自分勝手だなと思うこともままある。特徴的なのが、環境保護。

京都議定書の遵守に対する非協力。ニューヨークでの財政的な問題による分別収集の廃止など、広い国土、ありあまる未利用地。アメリカは環境問題で困らないし、仮に困っても、自己解決できるという自信。

今、問題なのは、アメリカだけのことでなく、地球全体。温暖化、オゾン層の破壊など、国のレベルではない。

攻撃するより他にイラク問題を解決する術はないのかというのも同様。先に結論を、それもアメリカの出した結論があり、みんな従うべきと言っているような気がする。

自分勝手と言って、片付けるのは単純すぎるが、一方で、これはグローバルスタンダードだから従えと言われても素直になれない。

2. 相手の力を利用する

柔道の基本に相手の力を利用し、小良く大を制す。つまり体格が悪くても、相手の力を利用して技をかけることで勝つことができるというもの。

もっとも最近の無差別級は体格がすべてみたいになってはいるが。

今のアメリカは両方の特徴をうまく使っているような気がする。

国内の工場は、採算がとれなければさっさと閉め、むしろ、海外に進出して、コストの低いところで生産し、同時に投資促進をして、外資による工場建設を行い、国民の雇用は確保。

世界の警察官であるということや、アメリカ資本が圧倒的に強い、石油や金融などの力を活用して、政治、経済両面から、いろいろな圧力を加え、アメリカのために投資し、アメリカのために生産してお金を儲ける仕組みを作っている。

経済学的には、最適化を進めることになるわけで、悪いことではない。

が、いつの間にか、アメリカンブランドが世界中に席捲し、どこでもコカコーラが飲める。

地方区で愛用されていても、資本力、広告力、政治力の面でグローバルブランドにするのは容易ではない。

加えて、アメリカ人は、アメリカの生活が一番。それを普及することがすべての幸せにつながるという強い信念を持っていると思える。

確かに、安全、衛生などの面では、画一化された仕様、管理された生産の中で、アメリカ的大量生産のメリットは大きい。

一方、国内では嫌煙権が強くなり、禁煙世界で、飛行機もレストランもタバコが吸えなくなり、タバコ会社には巨額の賠償が求められているが、海外へはしっかり輸出し、儲けているため、多角経営の効果もあり、タバコ会社が破綻したという話は聞かない。

自分でできない、ないしはやらないと決めたことは、別の国で実現する。

スーパーマーケットやデパートの衣料品。実用品はほとんどが、中南米、中国、アジア、一部にはアフリカで生産している。高額品はイタリアとかスコットランド。

メイドインUSAは数えるほど、おかげで、安く、しかも仕様がアメリカだから、きちんとした品物を得ることができ、しかも大量にある。

国民はアメリカ以外の資本で、雇用が確保され、アメリカ以外で生産された商品を買って、そういっためぐりめぐった中で、アメリカの税収が増え、アメリカ企業の収益が増大し、株価が上昇し、ストックオプションや投資信託への投資で、億万長者や大金持ちが続出。

まさに相手の力を使った戦い。それも体格の大きなアメリカがやるのだから、圧倒的に有利。

そのバブルがはじけ、ニューヨーク市では公共料金値上げの動きがあったり、失業率が上昇したり、景気が上向きの時は大歓迎だった移民が足かせになったり、など不安材料はあるものの、インターネットが象徴的であるように、アメリカ中心の世界が一気に崩れるとは思えない。このサバイバルゲームの中での展開を注視。

3. ジャパニーズドリーム

失われた10年を経験した日本からみると、アメリカ経済のバブルがはじけ、同じようになるのを待っていると気持ちになる。

日本でも同じように、不景気とは言っても、高級ブランドは大人気というだけでなく、決して、この国の活力がなくなったわけではないと感じる。

確かに成長が減速したり、景気が停滞するということはあるかもしれない。

が、インターネットで世界を変えたという自信。ライバルであった日本の失速など、あくまでもアメリカ中心で世界が動くという確信がある。

ゲーム、アニメなど日本が圧倒的に強かったり、ついにビッグ3の背中にトヨタが迫ったりと、アメリカの好景気にもかかわらず、日本が元気を示す分野がある反面、産業の基幹部分であるITと金融はますますアメリカの力が強くなっている。

ITと金融での主導権を握っている限り、アメリカはまだまだ元気な面を持っていられるし、うまい具合に相手の力を活用することで、アメリカ国民の幸せは確実に向上するはず。

では、日本は負けたままかというとそうではないと確信している。確かに不良債権問題はなかなか解決せず、決断に時間がかかったりと、流れに追いついていけない側面があるが、IT関連の分野では確実に大変革が始まっている。

数年前のITブームの際、予算をふんだんに使って作った基盤をベースに、少ない予算で、いかに効率的、効果的な結果を得、生産性向上、収益性向上につなげるか。

不便だとみんなが思うものはかならず便利になるのが技術革新の考え方だと思うが、いよいよ、日本企業もITのためのITでなく、活用側面に本格的に入っていると言える。

これまでの1990年代が、アメリカ主導の量的な成長だとすると、これからは質的な面。

基盤がグローバルスタンダード化したことを前提にし、今度はその基盤の上で何ができるか。

IT化のおかげで、熟練の必要性が減少し、組織がフラットになり、フールプルーフ化し、誰もがある程度のところまでできるようになったが、今度はそのプラットフォームの上で、いかに日本人、日本企業でなければできないことを育て、しかもそれを新たなグローバルクオリティとして、価値を認識してもらうことができるかどうかが鍵。

日本では当たり前の対応やサービス、品質が、アメリカでは付加価値となる。確かに、最初は新規市場に入るため、そういった付加価値ではお金をとれないが、故障しない自動車から、Lexusブランドを立ち上げ、付加価値にお金を払ってもらえるようになったトヨタはわれわれの誇り。

こちらで営業していると、どこの日系企業も同じような問題を抱え、それを克服し、さらに市場を拡大し、大きなビジネスにしようと努力。

現在、多くの日系企業がシステム全体を見直し、コストを下げるだけでなく、生産性を向上し、成長できるITにしたいということで、熱心に改革を指向している。すでに進んだところ、これからのところもあるが、業界を越えた連携、共通のプラットフォームなど、新しい動きも盛んだし、必須。

日系企業共通のニーズを答えるのがソリューション事業者の課題。NWをベースにしたソリューション事業者である当社も、ここでがんばり、より満足してもらえるサービスを提供できれば、21世紀のジャパニーズドリームが実現できると確信。

 

 

米国の通信(2003年3月)

1. 流行りすたり

たまごっち。ニューヨーク最大のおもちゃ屋で、行列が出来たのはいつだったのか、思い出せない。そんなに昔ではなかったはず。

その頃、一緒に日本へ仕事で行ったワシントンの弁護士、たまごっちを探して、東京の休日を歩き回り、結局、プレミアム付で買った。

コンピューターアニマル。大人も子供も、熱心に育て、成長し、また、サボったために、すねたり、育たなかったり、と感情移入。

おそらく、まだまだ多くのたまごっちが机の引出しの奥にしまわれたまま。

ダッコちゃん、フラフープというと、もう40年以上前の大流行。それからもいろいろなものが流行っては消え、なぜこんなものを手に入れるために、あんなに早起きし、行列に並んだのか、並んだ事実さえ忘れている人も多いはず。

流行に左右されないという信念を持ち、かつ実践している人だって、少なくないとは思うが、全く、影響を受けないというのは至難の技。

自分が欲しいかどうかより、人と同じことがしたい。人が持っているから欲しいという心理。しばらくたってみると、欲しかった理由はあいまい。

最初から、そうなるとわかっていれば、買わないのに、買うのに長時間かけないのにと思っても、後悔先に立たず、だから流行になる。

日本人は人と同じことが好き、迎合しやすく、アメリカ人は個が確立して、流されないなどとうことを言われるが、決して、そんなことはない。

むしろ、アメリカ人は流行っているという情報には敏感で、映画もテレビも、本も評判が良くなれば、ますます良くなり、ヒットするというのが普通。人気映画をみるのは行列覚悟。

携帯電話も、アジアの国とちがい、浸透していない。理由は何かと言った時期もあったが、結局はローミングがどこでも出来るようになり、値段が安くなって、電話機も小さく、電池も持つようになれば、同じように普及。子供部屋に専用電話を持っていた子供も持つように。

日本のゴールデンウイーク、お盆、年末年始のように集中的に移動するということはないが、月曜日を祝日にしている3連休、こちらの言葉で、ロングウイークエンドには必ず、空港は混み、道路は渋滞。どこも同じ。

大雪になれば、雪かきの必要のない、マンハッタンのアパート暮らしの人たちは、プラスティックのそりを持ったり、中にはスノーボード、スキーを持って、あるいはそのままで、セントラルパークで遊び。

いつもより、ずっと多くの人が、あちこちへ、どっと繰り出す。ひさしぶりに大雪が降り、零下20度近くにもなった今年も同じ。

人と同じことがしたいというのではなく、自分のしたいことをしたら、たまたま同じだったということでは、たまごっちやポケモンとはちがっているかも知れないが、知らず知らずのうちに、というのが流行という現象。

しかも、そこに入ってくるのが、マーケティング。自然発生的にみえるものであっても、必ず仕掛けがあり、それがたまたま、どこかで爆発的なものになっただけ。

 

米国の通信(2003年4月)

1. アラート

厳戒態勢(アラート)が続いている。ニューヨーク、マンハッタンの中心、通勤電車の始発、グランドセントラル駅など人の集まる主要な施設には、自動小銃の引き金に手を添えた迷彩服の兵士が警備。

トンネルや橋の入り口では、トラックを重点的にチェック。当たり前になった空港の警備同様、次第に平気になり、アラートレベルが低くなって、迷彩服の数が減ったり、ピカピカ、ライトを光らせているパトカーがいなくなったりすると、ほっとすると同時に寂しさと不安を感じる。

2001年9月11日以降、ずっと厳戒態勢を続け、ことに今年になって、イラク攻撃のため、再度大規模なテロを想定し、特にきびしさをましている。

オレンジレベルのアラート、国土安全省(Home Security)が定める第二段階が事実上の最高。もっともレベルの高い、第一段階、レッドレベルは外出禁止など、戒厳令なみ。

ニューヨークは怖いはというイメージは、日本のニュースを見ていると痛感する。確かに、9月11日以降、安全という言葉の尊さを見にしみて感じるようにもなった。

が、日常は日常。厳戒態勢の中でも、人々は普通に生活をし、兵士の横で、楽しそうにおしゃべりをしたり、買い物をしたりもしている。

9月11日も、日本での報道のように、品薄になったスーパーや、現金のなくなったATMばかりでなく、レストランや食料品店は開いているし、銀行も営業をし、品物も十分にあった。

あれで、店が閉まったりしたら、さぞかし不安だったろうと思うが、むしろ、どこの店でも、無料で飲み物や食料を避難する人たちに差し入れ、教会は扉を開けて、休息場所を提供したりして、安心を提供した。

豊かな国、アメリカだから可能なことで、余裕のなせる技かも知れない。閉店した食料品店から捨てられる大量のパンや食べもの、食べきれない量の料理などを見ると、もったいないというより、罪を犯しているような感じさえする。

どこかでバチが当たるのではないかと心配もするが、ものが十分にあり、容易に調達できるのは、住んでいるものにとってはありがたい。

もっとも、このような状態が続くと、慣れも生じてくる。最初はびっくりした迷彩服と自動小銃も当たり前のことになって、普通の景色になってしまってもいる。

なくなってみるとありがたさを感じるのが安全。当たり前の時は気にしない。何もないのだから、しばらくすると、危険な経験は次第に薄れる。

空港のチェックも日常化すると、次第にマンネリ化し、形式的なものになってしまう。面倒でも、丁寧にやってくれる方が安心。だが、自分が対象になると、やだなと思うのも事実。

ベルトを取れ、靴をぬげ、などと言われ、ボディーチェックをされると決して良い気持ちはしないが、これで安全を多少は保障されると思うと、仕方ないというか、協力しなくてはという気持ちにはなる。

パスポートや免許証による本人確認のためのIDチェックをしていない日本の国内線より安心な気もする。 厳戒態勢のニューヨークは却って安全とも言えるが、それでも、慣れは慣れ。ニューヨークは怖いでしょうと聞かれても、そんなことはないと答えるのが日常。

もっとも、外国で、言葉も不自由という状態だし、もともと、日本より危険という意識なので、周辺に注意し、ひったくりやすりの被害にあわないようにするので、くたびれるのは確か。マンハッタンのような大都会での安全は与えられるのではなく、自分で守るもの。

2. 自己責任

すれ違う時に、肩が触れてもエクスキューズミーと声を出し、アイアムソーリーと簡単に謝りもするが、これはありがとうと同じ、人間関係を円滑にする生活上の慣用句。

あまり、そういうことのない日本の街角に戻ると、違和感を感じ、黙ってもくもくと自分の道を行く、大勢の人に囲まれると、却って怖くなってしまう感じがあるのは、ニューヨーク生活が長くなった証拠かもしれない。

もっとも、賠償や責任の対象になる恐れのある時には、決して、自分の責任を認めない、とにかく主張するのがアメリカ人。

言ってみなければ損というのが、こちらでの基本。マクドナルドのハンバーガーを食べて太ったのは、マクドナルドの責任として訴えた人のことが報道され、なるほど、アメリカとは妙な国だ、すごいとも思うが、さすがにこれは例外。こんなことがあちこちにあるわけではない。

それでも、返品とか、値段とか、言わないと損。言えば、それだけのことがあるケースも多い。

とにかく、自分でやってみないといけないのがアメリカ。黙っていても、何かしてくれると思ったら、大間違い。

言うと気を悪くされるのではと気にすることはない。もちろん、失礼な言い方をしてはいけないが、礼儀を正しくすれば、かなりのことは平気。

他人を過度にあてにしてはいけない。自分でやらなければ、何も進まない。甘えは禁物。

戸締りをしなくても大丈夫というのはないということ。もっとも、アメリカでも地方によっては鍵などかけたことないということもあるということなので、都会ではという注釈が必要。

基本は自己責任。自分で自分を守るということ。ここはアメリカの方が徹底しているように感じる。自国だけでなく、地球を守るのは自分だけという意識も強いので、時に、傲慢さを感じるが、自分で守るという意識は強烈。

宇宙からの攻撃と戦う地球防衛隊に命令を出すのは決して国連事務総長ではなく、アメリカ大統領というのが、SF映画がハリウッド製というばかりでなく、アメリカ人にとっては当たり前のこと。

怖いのは、味方と敵を峻別すること、アメリカの正義に反すれば、守ってなどくれない。時にアメリカの正義に疑問符がつく。

セキュリティは、自己責任で守るというがアメリカの常識。

矛と盾ではないが、兵器の性能は次第に改良が加えられ、高性能になっていくので、とめどなく、より性能の良いものを作り続けることになる。

安全は次第にコストが高く、しかも賞味期限、有効期限が短くなり、常に意識しなければならないことになる。

確かに、開拓時代のアメリカ、自分しか頼るもののいない、人里離れたところで生活したら、常に警戒し、外敵に襲われないようにする動物的本能が必要。

これはまさに、大都会に生活するものの常識。鍵をかける、周辺に目配りをする、何かあれば逃げられるようにする。

3. セキュリティ

ここ数年で、目に見えないネットワークの中を情報が世界中をかけめぐっている。年々高速化し、とんでもない分量になっている。

そこには、善人も悪人も、会社も、個人も、商店も、子供も、大人も、いろいろなつながりが無数にある。

当然、良いことばかりでなく、事故も事件も犯罪も起こる。ウイルス、ハッカー、書き換え、クレジットカード番号盗難などいろいろなことが発生。

ところが、国家機密、企業機密、プライバシーなど、鍵をかけて、金庫の中に閉まっておかなければいけない情報が、ネットワークのどこかでつながっている。

物理的なお金はなくても、ネットワーク上の商取引、銀行取引、株式売買など、電子マネーもいつの間にか当たり前に。

地中に埋まっている有線のケーブルだけでなく、無線ネットワーク上の情報もたくさんあるので、もし、目でみることが出来たら、とんでもないことが見えるはず。

必要なのは、どうやって、脅威から自衛をするということ。ネットワークにつながっているということは、外敵の多い戦場に裸で放り出されたのと同じかも知れない。

インターネットは限りなく、高速化し、便利に、どこでも、誰でも、何でもできるようになり、不可能を可能にする。

時代は逆行できないという当たり前のことを当たり前と考えると、矛と盾の理屈で、永遠にアタックから自衛をする必要がある。突然、自分の口座に大金が振り込まれたり、残高ゼロ、あるいは大借金を抱えるということにならないよう、どう守るかが必須。

残念ながら、これで永遠に完全ということはなく、今時点では、より安全ということになるのは、人間ドックやアパートの鍵と一緒。

必ず、どこかで破られるという覚悟が必要。しかもパソコンの高速化で、かつてのスーパーコンピューター以上の性能があるので、毒にも薬にもなるということ。

インターネットが本格的に企業活動に組み込まれたのは、そんなに昔のことではない。当初は全社的な取り組みではなく、オフィス単位で、アドレスをとったり、あるいは絶対にインターネットにつながないという会社も多かった。

が、ビジネス自体がインターネットにつながっているということを前提に進み、企業を超えたサプライチェーンマネジメントや顧客管理など、自社だけではどうにもならなくなっているのが事実。

社員がポルノサイトにアクセスしたり、会社のパソコンから、映画や音楽をダウンロードしたりすることをどうやって防ぐか、これも大きな課題。

そこでは、著作権や、プライバシー、モニターという名前の盗聴、記録を残すことによるチェックなど、今までの常識を超えた対応が必要。

個人だけ、パソコンだけ、一社だけでなく、システムとして、セキュリティを確保していくかが課題。

今、できることを最大限やっておかなければいけないのが、矛と盾の論理。コストも手間もかかるが、仕方にないのがネット社会の宿命。セキュリティをふくめ、すべて任せるというアウトソーシングが流行るのも当然。一社で追いついて、対策を講じるのは限界あり。

だが、もっとも肝腎なのは、自己責任。自分で守るということで判断し、任せるものは効率的に任せるというのが基本。

 

米国の通信(2003年5月)

1. 若葉の頃

ニューヨークの気候は青森とほぼ同じ緯度で北国、冬の寒さが終わると急に暖かくなり、いっせいに花が咲き、一気に初夏。

寒々しく、雪景色になじんでいたモノトーンの枯れ木に若葉があっという間に見え始め、花が咲くのは感動的。

今年の冬は例年になく寒く、マンハッタンにも雪が結構降り、4月初めの雪で、ヤンキ-スのニューヨーク初試合が中止になったほど。

ここ数年、暖かく、雪の少ない冬が続いていたので、余計に寒さを感じた。

零下20度近く、しかも風が吹くと、さらに体感温度は確実に10度くらい下がることになって、帽子、手袋は必需品。そんな日が何日も続くと、気分は次第に内向きとなり、重たい感じ。

厚いコートを脱ぎ捨て、軽装になり、色もカラフル。半そでもノースリーブもOK。気持ちもウキウキとしてくるし、陽射しの明るさがまぶしくなる。

お昼時の公園やオフィスビルの前の広場は、屋外でランチをとる人であふれ、レストランの屋外席がうらやましいと思う頃になると、冬は完全に終わり。

昨日までのありがたかった防寒具が、突如暑苦しく感じるのは、毎年のことながら、不思議。

三寒四温が繰り返され、徐々に気候が変化をしていくという点では東京と同じだが、春のおとずれを感じさせてくれる春一番とかはなく、季節の変化は突然。

良いことづくめの若葉の頃、風もぬるむと、街を歩く足取りも軽くなり、健康にも良い。

一方、寒い中、ビルの前で、肩をすぼめながら、タバコを吸っていたスモーカーも一安心。

3月末から、事実上、人の集まる屋内では一切吸えなくなり、バーやクラブみたいなところでもシガーバーなど、ほんの例外を除き、全面禁煙。

従業員の健康保護のためというのが理由だから、仕方ないのだが、ジャズクラブのように紫煙が似合う場所でも禁煙で、タバコは外。スモーカーとのみに行くと、全員が揃ってテーブルにつく時間が少なくなるという奇妙なことも起きる。

タバコを吸わなくなってしばらく経つので、ありがたいのだが、少しやりすぎかなという感じ。

結構、極端なことをするのが、この国の特徴の一つ。かつての禁酒法も同じかも知れないが、抜け道のなさは今度の方。

きびしいことこの上ない。これで、千代田区のようなポイステ禁止条例があると、吸えるところがほとんどなくなる。

若葉の頃は、何もかもが良いことばかりということではなく、今年は、地下鉄、バスの値上げが5月に実施。1回1ドル50セントから、2ドルへ値上げ。

メトロカード(地下鉄、バス用のプリペイ-ドカード)の普及で、歴史のあるトークン(代用硬貨)も廃止。

景気の低迷、失業率の上昇など、明るい要因の見つからないところに、値上げは気分的にも元気がなくなる。

タクシーとかの連鎖値上げも想定されることから、メトロカードの割引が15ドル以上から10ドルになるなど、緩和策があるものの、家計負担は大きい。

今のところ、戦勝ムードは全く感じられない。まだまだ、テロ警戒を緩めるわけにはいかない状態だし、もともと、ニューヨークで目立ったのは、攻撃開始前後からの断続的な反対運動。

ホームレスの姿も一時期よりは増え、警察予算、消防予算も財政逼迫の影響で減ったため、治安がどうなるかが不安。いくら、1990年代より格段に良くなったので、まだ、大丈夫と言われても、心配の度合いが増すのは、ありがたくないし、安心して歩けなくなる。

2. 産業の冬

日本にくらべると、株価の下がり具合が、ピークにくらべ、小さく、アメリカの方が、政策的にもうまくやっているように見える。

ところが、株価は、企業の体力回復に連動しているとも言えるので、それだけアメリカでは、リストラが進んだということ、つまり、失業者を増やすことで、一旦は個々の企業の株価が下げ止まり、評価されるということにもなる。

が、失業者増えると景気が良くなるというわけにはいかず、結果としては、需要が減り、企業の売上げ、投資意欲にも影響が出て来るはず。

特に、海外への生産、販売のシフトなどが行われると、企業栄えて、国不振という結果になってしまう。

情報通信関係産業は、一時のブームが去り、一部の例外を除き、供給過剰、新ビジネスの不振など、課題をやまほど抱え、解雇者も多く、産業の牽引車から、一気に21世紀初頭のお荷物と言われるようになってしまった。

もともと、インフラ産業として、公益性が強く、景気に左右されることが少なかったこの分野が、1990年代、インターネットの普及、規制緩和による新技術、新サービスの台頭、技術革新そのもので、一気にハイライトを浴びたのが、夢のよう。

同じ、公益性の高い事業だった電力も、エンロン破綻、カリフォルニアの電力危機など、規制緩和の否定的な側面がクローズアップされることになった。

鉄道も、日本では明るい側面もあるが、公共財として、公的費用で支えられるべき部分もあり、イギリスの事故で見られるような基盤投資の軽視などが指摘されている。

1980年代中盤からのトレンドとなった民営化、規制緩和の動きは、それでも着実に動き、高速道路、公共住宅、地下鉄、水道など、いろいろな分野で、検討され、実施されている。

基本的には、不必要な規制を取り去り、競争を導入して、サービスを良くし、さらにコストを下げるという発想に間違いはないし、進められるべき。

現在のリセッションは、一過性。ネガティブな部分だけを見て、指摘し、全体を否定すべきではない。

確かに部分的には、いろいろな問題もあるが、規制緩和、民営化の過程で、得られたものも大きい。

電話機につながっているコードを抜いただけで違法だったという状態から、卓上のパソコンでインターネット経由のTVをみるなど、想像もできなかったこと。

便利になればなるほど、また、使う人が多くなればなるほど、問題も起き、残念ながら、事故も起きる。自動車の運転免許を飛行機の操縦免許並みに難しくしたら、おそらく、運転者は激減し、事故も減るはずだが、そんなことは冗談にもならない。

確かに、今、情報通信産業分野は冬状態。元気な企業は、いまだに規制をかけられている地域通信会社くらいというのが現実。

ところが、企業では、大きな変化が発生している。いつの間にか、オフィスの中にブロードバンドの種が植えられつつある。

パワーポイントの資料、動いたり、写真や動画を貼り付けたりが簡単にできるようになると、情報量は格段に増える。

建築や設計図に使うCADCAMだけでなく、三次元のカタログ、ビデオメッセージ、ストリーミングのよる訓示など、いろいろな使い方が日常になっている。

とりわけ、インターネットを通じた商取引が本格化し、調達の電子化(SCM=サプライチェーンマネジメント)が一般化することで、企業の壁を越え、一気にコネクションが拡大する。

どうも、ある企業だけが幸せになるという構図から、くもの巣のように、はりめぐらされたネットの中で、考える必要がある。

ここに着目し、這い上がってくる企業が現れると、産業の春が近づく。

3. シームレスビジネス

開放的で、接続が容易、セキュリティが強固、信頼性が高く、早い、安い。というのが一般的なお客様の要望。

一社だけで成り立つのが難しく、ビジネスに必要な情報量が格段に増えた現在、ダイナミックに動くネットの中にとどまることが生存のための必要条件。

コスト削減は大きな目標だが、そればかりではなく、生き残りをかけ、投資できるところだけが、次のステップに駒を進めることができるという考え方が、徐々に一般的に。

これまでは、社内だけのITだったのが、社外、業界、お客様のシステムと連動し、どんなことにも対応できることが必要となりつつある。

人事や経理など、管理業務のアウトソーシングが進むということは、その部分で、外との互換性のあるシステムが必要だということだし。仕入れも卸も、台帳ではなく、システムを通じて行うことになる。

かつての旅行代理店の店先のように、航空会社や鉄道会社、ホテルごとに端末が異なるということであると仕事そのものが成り立たなくなってしまう。

共通化、標準化の動き、あるいはインターネットの基盤を使った、異なるサービスとの互換性など、なんらかの方法でネットに組み込まれなければ生きていけないというのが現実に。

さらに、重要なのはセキュリティ。大事なお客様の情報、取引先の情報が簡単にもれてしまうような状態では、仲間に入れておくわけにはいかなくなる。

処理スピードも同様。遅いシステムが全体に迷惑を及ぼすことになってしまう。

やや、希望的観測もあるが、一旦はバブルがはじけるみたいに、元気がなくなった産業が、バブルによるネット化、高速化を基盤に、さらなる発展をすることは必至。

住宅に普及してきた、ADSLやケーブルTVによる高速インターネット、ブロードバンドを使い慣れると、オフィスで使うと遅いという感覚にもなる。

オフィスでは、文書中心だから、ブロードバンドはいらないのでは、普及しないのではとおもっていたのが、重いファイル、カタログなど、いつの間にかブロードバンドが必要に。

それも、おそらく、今までより、格段に安く、便利で、安全性も高いものがオフィスに入り込むことになる。

これまでの取引関係に安住せず、あらたなビジネスが至るところで、発生するのがネット社会。ITバブルの時の夢が、いつの間にか、一旦冷えたあと、着実に浸透し始めている。

もちろん、明るいことだけでなく、ネットでつながり、取引も顧客情報も、いろいろなことが行われるようになると、安全性、信頼性、あるいはあらたな犯罪の可能性など、影の面も見逃せない。

影の面ばかりを強調するのでなく、どう防御するが、解決するかが鍵。

前向きに考え、ネット社会にフィットしたビジネスのやり方で、徹底的に効率化し、競争力を高め、これまでの問題をリセットすることも可能に。

寒い冬には想像できなかった若葉のように、産業再生の芽が出始めたというのが、希望的観測から、そろそろ正夢になりそう。

 

米国の通信(2003年6月)

1. ブランド

ニューヨーク、マンハッタンはマジソンアベニュー、セントラルパークの東側、有名なフィフスアベニュー、五番街のひとつ東の通り。

双方向に東西を抜ける通りとしては、42丁目のひとつ北側にある57丁目あたりから、72丁目と少し上、ホイットニー美術館くらいまでに、世界中の有名ブランドの店が揃っている。

最近、フィフスアベニューに本店を移すところも多く、プラダやカルチェ、ルイヴィトン、フェラガモ、ブルガリなどはそちらにもあるし、さらにはティファニーは57丁目とフィフスアベニューの交差点にあるが、ブランドの店のメインはマジソンアベニュー。

日本ブランドも、虎屋の喫茶室があったり、お茶の伊藤園のレストラン、保谷クリスタルなどがある。が、中心はヨーロッパブランド。

一方、街をにぎやかにさせているのは、コピー商品の露店。特にフェイクを作りやすいみたいなのは、プラダやケイトスペードの布のバッグ。少なくとも、一見してはわからない。それが本物の100分の1とか、10分の1くらいの値段。

時計もアタッシュケースに入れて売っているが、これは一見したにせもの風。一説によると、チャイナタウンの時計宝石店の奥からは本物そっくりで、本物より正確なセイコーなどのクオーツを使ったロレックスが出て来るとのこと。

映画は封切りと同時か、へたをすると公開前にDVDやビデオが出現し、CDも登場。安くて早い。もっとも、ヤミなので、妙な録画もあるのでご注意。

最近は、ブランドというより、若者や芸術家の街だったソーホーにも、ブランドショップが続々と出現。雰囲気も変わり、混沌から整然になりつつある。

アメリカのブランドでは、ティファニー、コーチ、ケイトスペード、カルバンクライン、ダナキャラン、ラルフローレンなどが有名。 こういったブランドショップに行くと、日本人、中国人、韓国人が目立つような気がする。ルイヴィトンのバッグの半数以上が日本人によって買われるという話が本当だと疑わなくなりそう。

もっとも、アメリカ人のブランド好きも負けず劣らず。大学でさえ、ランキングをつけ、人気と実力をはかるのが好きなお国柄、当然、ブランドは大好き。金持ちの住む、ニューヨーク郊外の街のファッション、車、時計、どれをとっても、ブランド品ばかり。

日本のように、他を節約しても、ブランドのバッグを持つということはあまりなく、そういう意味では、それなりのレベルでコーディネートされ、統一されているのは事実。

ヨーロッパで上流階級の持ち物だったブランドが、アメリカでは成功と富の象徴、日本では一点豪華主義から、誰でも持つものになっているのは興味深い。中国、韓国も日本と似ている感じがする。

一旦、ブランドとして認知されると、評価が高くなってくる。しかも、品質や人気が落ちたりすると、次第に見向きもされなくなるから、ブランドイメージの維持は容易ではない。

一時、ヨーロッパブランドが、ライセンスを乱発し、ブランド物のトイレ用スリッパなどが出現した結果、大衆的になり過ぎ、イメージが落ちたため、ライセンスを引き上げたケースもあるくらい、知名度とイメージは時に裏腹に。

日本ではスーパーでも見られるブランドの直営店に行って、あまりにも雰囲気が違うので、戸惑うこともある。

一方で、敷居が高そうな店が意外にフレンドリーというか、気楽でしかも丁寧、親切だったりすると、宝くじでも当たったら、ここで買おうかなと思う。

あまりにお高くとまっていると、いつか、顧客が高齢化し、誰も来なくなるのにと言いたくもなるが、お金持ちはいつの世でもたくさんいるよう。

2. 新ビジネス

伝統の分野ではなく、新しく出現した分野でもブランドが次々に生まれてくる一方で、せっかくの名声を失うということもある。

サービス業である電気通信、情報通信産業など、長い間、独占だったこともあり、顧客を失う恐怖にさらされることなかったのは、世界中、どこも同じ。

最近、ニューヨークタイムズの記者が記事を捏造したということが話題になり、ニューヨークタイムズ社が謝罪し、原因を究明していたが、信用が崩れると、それを再度築くことは簡単ではない。

どうしても、独占とか、定評があると、知らず知らずのうちに、慢心や油断がとりつきやすくなる。

モノについても、一気に評判を落とすことの怖さは雪印乳業の事件で、痛いほどわかったが、サービス業も同じかそれ以上。

とりわけ、これまで参入が困難であった分野で、新ビジネスの可能性が増したのだから余計。

コンピューターがパーソナル化した以降に生まれては消え、残った企業の一部は一気に巨大化し、産業の主役交替を果たすことになった。

通信事業者も同じ。ローカル事業者の牙城はなかなか崩せず、相変わらず、寡占状態による利益を享受しているが、一方で、新規分野への進出は意のままにならず、しかも、回線開放により、投資意欲が減退し、企業そのものの元気という点になると疑問視せざるを得ない。

期待の星、モバイル分野も、急速な拡大の末、世界中、飽和状態の国や地域が増え、よほどの新製品が現れない限り、夢をもう一度は難しい。

ソフトウエア、オペレーションシステム、ゲームなど、バージョンアップと同時にシステムそのものを更改していく必要があるものは、まだまだ成長可能だが、簡単ではなさそう。

永久になくならないのではと思っていた電話も、携帯電話、IP電話の前で、今までのシステムの将来性がなくなったとさえ言われている。

何かがなければ通話できないので、端末機はこれからも売られつづけることになると思うが、それも、今までの常識ではなく、変わり続けるはず。

バッグやファッションのブランドイメージの維持。古くからの顧客層のニーズに応えながら、あらたな層へ食い込み、ビジネスを刷新することも容易でなく、顧客の高齢化、固定化に苦しんでいるところもあり、一方で新ラインアップの追加により、イメージを一新し、若年層に受けたコーチのような例もある。

サービス業である情報通信分野において、古くからのビジネスはいくらでも、数え上げることが可能だが、そのモデルチェンジだけでは成り立たなる。

既存の分野以外に、あらたな可能性を探すことが必要になってくる。

駅で鉄道会社が直営のコンビニを開業すると、駅前の店に影響が出て来るように、既存のニーズに食い合いになることも十分予想できる。

ところが、新ビジネスに進出する必要性は供給側だけでなく、顧客の側にもあり、その意味で、情報通信分野がお先真っ暗ということではなさそう。

3. あらたなブランドへ

通信事業者のイメージは安定、品質、堅いなど、おそらく世界中そんなに違いはないはず。

そんな中で、どの分野があらたな分野となるのか。ソリューション分野、アウトソーシングなど、考えられることは、ソフトウエア、メインコンピューター、通信機器メーカー等々も、同じように参入を試み、草刈場。

そんな中、後発の情報通信事業者が競争するのは容易ではない。

特徴のうち、活用できるイメージは安定、品質、つまり信用。堅いイメージは決して良いことばかりではないが、信頼される方に持っていくことも不可能ではない。

官僚的、責任をはっきりさせない、などなど典型的な独占の弊害と言われることがないとは言えないし、中にいても実感せざるを得ないところもある。ブランドの価値があるうちに変革できるか、それが成功の鍵。

プラットフォームであるネットワークを提供し、24時間監視し、顧客のシステムを保守しているという事実、電話局でのノウハウを最大限生かしたデータセンターなど、実質的なサービスを提供していること、先端分野には鈍感であっても、一旦会得すれば、結構役にたつ柔軟性は新技術の導入に慣れているから。

そんな特徴を生かし、回線から、顧客のルーター、サーバーとその範囲を拡大していくことで、顧客の方も、それなら、いっそ、全部見てほしいということになる。

確かに慣れない分野でもあるし、パートナーに外注すると言っても、何をどうすればがわからなければ、外注すら、容易ではない。 なんとかなると簡単に考えても、気合だけではどうにもならないが、そこは層の厚さを活用し、責任感と熱意と理論で、問題を解決し、徐々に変身することが可能になる。

必要なのは、プロジェクトをマネジメントし、ヒト、モノ、カネをいかに有効に使うか、ということ。

通信設備を作り、運用し、保守してきたプロセスを使えば、できそうなものだが、サーバーやアプリケーションなど、新しいものが入ってくると簡単ではないが、逃げていてはできない。

コアではない部門を持つことから、アウトソーシングして効率化する、以前なら、最重要部門でも今ではオペレーション効率化のため、外に出す。人事、経理、総務などもその対象。

そんな風潮の中、ソリューション、ソフトウエア、機器メーカー先行のアウトソーシングビジネスに、通信事業者がネットワーク監視を武器に参入することで、あらたなビジネスにつながるかも知れない。

巨大な通信事業者から、あらたなブランドとしてソリューションビジネスを成り立たせることが可能かどうか、すべてはこれから。

ネットワークそのものの高速化、高度化、大衆化により、ひとつのオフィスでやり取りする情報量はかつての電話局以上に。

通信事業者の信用とブランドを最大限活用し、あらたなビジネスで成功できるかどうか、コアであるネットワークビジネスに基盤を置き、顧客のニーズを的確に実現し、満足度を高めることは何より大事。その意味で、通信事業者もコアビジネスに特化し、ノンコア部門をアウトソーシングし、率先して効率化し、あらたなブランドに変身すべき時。

 

米国の通信(2003年7月)

1. バレーパーキング

最初、この言葉をみた時には何だか、わからなかった。バレーは踊ったり、バレー ボールではないことはVALETというつづりから、なんとなくわかったが。

VALETとは「仕える」という意味。つまり、誰かに任せて、車を駐車してもらうとい うこと。

映画のワンシーン、車をレストランやホテルの前で、さっそうと止め、そのまま、鍵 もかけず、何もせずに、女性をエスコートして、中に入る。格好良いなと思った、そ れがバレーパーキング。

あとで、引換証はテーブルやフロントに届けられ、車を出す時、それを見せると係員 が取ってきて、チップを渡す。ホテルでは、事前に電話をしておけば、指定の時間に はすでに出ているという仕組み。

街中の駐車場でも、同じような仕組み。つまり、自分で駐車スペースに入れる必要は なし。

もちろん、郊外のショッピングセンターやオフィスでは、自走式。それでも、ショッ ピングセンターでは、便利な場所を区切り、この仕組みを取り入れているところもあ る。

駐車代金に加え、出すたびにチップを支払う必要があるが、一回1ドルが相場。レス トランで、冬、コートを預けた時などと同じ。

1ドルで、気持ち良く持ってきてくれるので、高いという感じはしない。

もっとも、最初の頃は、大事な車を誰かに任せきってしまうのは不安で、心配しなが ら見送ったこともしばしば。

それでも、駐車券を見せると、係員が全力疾走で、車を取りに行くので、チップも気 持ち良く払える。

家の鍵をかける必要さえないと言われるほど、治安の良い地域なら、いざ知らず、マ ンハッタンの真中など、ダウンタウンでも、バレーパーキングがあるから、最初は不 思議。どうして、安心して任せられるのか、理解し難い感じ。

同じことが、いろいろとある。たとえば、スーパーマーケットで買い物をし、それを そのまま配達してもらうとか、あるいは部屋の掃除や洗濯、子供の世話など、鍵を預 け、留守中にやってもらうなど、任せるということが結構多い。

もともと、使用人に任せ、自分では家事とか、面倒なことをしない、ということか ら、共稼ぎの人のための便利な仕組みになっているのが現実。

どうして、任せることができるのか、鍵を預けて、ものを盗られるなどということが 本当にないのか、心配はキリがない。

それでも、マンハッタンのアパートでは、出勤のため、出て行く住人と、出勤のため 入ってくるメイドやナニー(子守り)がすれ違う。それも、超高級アパートだけでな く、いろいろなところで日常茶飯事。

スーパーやデリ(食料品店)の出前など、固定給はなく、届けた時のチップだけが給 料。ニコッとして、少しでももらえないと生きていけない仕組み。

何かの意図があってなら別だが、この仕事から、自分なりのアメリカンドリームを実 現する。まじめにやらなければ落伍者。下手をすると逮捕される。

それだけで犯罪が防げるわけではないし、事実、犯罪率は日本よりもはるかに多い時 代が長かったが、そんな中でも、不思議とバレーパーキングやメイド、ナニー、配達 という仕組みが続いている。

任せるということ、それによって対価を得るという契約と信頼関係があって、成り立 つ仕組み。

子供を連れていけない場所、たとえば、レストランや劇場、パーティなどあるので、 子守りを頼まざるを得ないことはありそうだが、日本人で、配達や掃除、洗濯を任せ るというケースはそんなに多くなさそう。

アパートの洗濯場(どういうわけか、各戸に洗濯機、乾燥機がなく、地下室にまとめ て共同であるケースが多い)の昼間、いるのはメイドと日本人の奥さんだけという光 景や、公園で子守りに間違えられた奥さんなど、いろいろな話を聞く。

2. 信頼関係

こちらでビジネスを始めて、戸惑ったのは契約。日本ではさほど時間をかけず。場合 によっては、すべて終わった後で、時間をさかのぼるなどという禁じ手もしばしば。

あまり、うるさいことを言うと信用していないのかということさえ言われそう。

ところが、こちら、口頭で受注してやれ良かったと思った途端、契約交渉が双方の契 約部門にいる弁護士の間で始まる。

弁護士同士で、やらないと交渉にならないし、また、すべてを外部の法律事務所にお 願いすると、とめどなく費用がかかるので、ある程度の規模になったり、契約仕事が 多いと、社内に弁護士を抱えるのが当たり前。ニーズが多くなるはず。

わかりにくかったのは、避け難い理由により、事業の状況が悪くなって、契約期間満 了前に、キャンセルをしなければならなくなった際、ペナルティを課さないようにと いう条項など。

一言で言うと、泥棒と詐欺との折衝。つまり、お互い、全く信用していないというの が前提。

したがって、細かいところまで徹底的につめることになる。シミュレーションかと思 うくらい、いろいろなことを想定し、詰めていく。

もっとも、一旦契約をしてしまうと、そこに生まれるのが信頼関係。そこからは別に 日本との差はなく、むしろ、アウトソーシングの概念がこちらで生まれたように、全 部任せてしまうことになる。

バレーパーキングに預ける際、念入りに契約をするわけではないが、信頼を前提とし た仕組み。

一番、嫌がられるのは、任せると言いながら、ああでもない、こうでもないというこ とで、あとで注文をつけること。

オーダーをするということは、その通りにしてもらうこと。あとでごちゃごちゃした ことにならないように、きちんとつめておくのは必須。

当初、どれがわからなくて、任せるからとアメリカ人の部下に言ったものの、実際に はあとでいろいろと注文をつける結果となり、もめたことも。

最初に、細かな話を決め、具体化しておくと、その範囲内で、いろいろな工夫もし、 仕事をやり遂げる。

もっとも、注文した通りにならないとか、品物が届かないとか、文句を言うと言い訳 ばかりということもままあるので、すべてにおいてきちんとしているわけではない が。

それでも、信頼する、任せるということについては、日本での考え方とちがってい る。

そう考えないと、係員にすべてを任せるということを理解しにくい。すべてが帝国ホ テルのようなところであれば、信頼しても当然だと思うが、ショッピングセンターや 街の駐車場だと、心配は尽きない。

さまざまな考え方の人がいて、利害関係も異なるのだから、責任範囲をきちんと決め ておくのが当たり前というのが、こちらの考え方。何も決めず、信用するなというの が基本。

ビジネスの関係に、あの人は良い人だから、とか、信用できそうなどという感情は不 要というより、邪魔になるだけ。

あいまいなことを許さないのがビジネス。と頭で理解をしていても、実際に実行する のは容易ではない。

3. コアビジネス

任せるところは任せる。そのためには、詳細が詰まった契約をする。

とりわけ、企業の命運をかけるITシステムの導入やアウトソーシングになるとすべて のことを心配し、徹底的に明確にしておくことが当然。

そこでの考えは、大事なこと、手放してはいけないことは自ら実施するが、そうでは ないことは任せるという考え方。

レストランやホテルでのパーキングも、掃除や洗濯も、任せることによって、時間を 節約できる、仕事や買い物、食事、観劇に集中できるため。

こちらでのExempt Employee((労働法)適用除外社員)という人たちは、時給で給 与をもらう社員である Non-Exempt Employeeと異なり、成果主義で、勤務時間と いう概念がない。

だから、理屈から言うと、定められた成果を上げている限り、始業時間に出社しなく ても構わないという理屈になる。

実際には、極端なケースばかりでなく、通勤をしてくることになるが、考え方は時間 主義ではない。

長く、会社にいることで評価をされる時代は、日本でもすでに過ぎ去ったが、それで も、成果主義が徹底されているかというとそうとも言えない。

お客様の企業での話になるが、徹底的に仕事を見直し、自社の発展のために必要な最 低限の機能を残し、ITは当然としても、人事、経理などすべての間接業務をアウト ソーシングし、経営者の時間をコアビジネスに集中するということが行われている。

アウトソーシングは流行りの概念なので、日本でも行われているが、下手をすると、 同じような機能が発注側に残り、仕事のやり取りや検収の手間がかかるということさ えありそう。

社員に着目すると、アウトソーシングをすることで、職を失うのでは気の毒と考えて しまうが、企業存続、コアビジネスへの集中と考えると仕方ないと思わざるを得ない のかも知れない。ワープロの発展によってタイピストという仕事がいらなくなったよ うに、アメリカの会社の中で、間接部門の仕事は次第に少なくなっているのは事実。

そのためにも、何をどう出して、どういう基準で成果を測定するかをきちんと決めな いと全く機能しないことになってしまう。

一方で、何をコアビジネスにするということが、会社として明確に共有されていない と、残った部門がそれぞれに活動し、結果としてまとまりを失ってしまう。

かつては単に情報を載せて運んだだけの通信が、手段だけではなく、機器やアプリ ケーションと組み合わされ、企業の根幹を支配するようになってしまっている。

情報の共有、決断や決定の仕組み、成果の測定、結果のフィードバックと修正など、 すべてが、システム上で、人の判断をサポートし、手間を省く。

もともと、雇用の流動性が高く、弾力的な雇用調整、やコア部門の選択と資源の集中 がやりやすかったことに加え、さらにITを駆使し、コアに集中。

単に回線だけ売る、機器だけ、ソフトウエアだけを売るということでなく、企業のコ アをよく認識し、中長期的な展望を持って、提案できる実力が21世紀のキャリアに は必要。一社ではとても無理。

任せられる、信頼をされるということがお客様のコアビジネスを支える間接業務を一 社だけなく、パートナーと連携し、システムとして受注する鍵。それが、キャリアと してのコアビジネス。

 

米国の通信(2003年8月)

1. 1996年

一番、ニューヨークらしいというと、やはり夏。冬の雪景色やクリスマスツリー、大 晦日のカウントダウン、短い春と秋の気持ちよさも格別だが、一番は夏。街自体がき らきらと輝き、楽しめる。

夏の風物詩、独立記念日の花火、ストリートフェア、にぎやかなパレードなど、健康 的で気持ちよいイベントも多く、セントラルパークの休日、芝生で寝転んだり、犬と 遊んだり、平和そのもの。ニューヨークに住み始めた1996年も同じ。

ガイドブックの文句のように、ニューヨーカーは生活をエンジョイしているというの がまさにそのまま、目の前にあるという感じ。

一番にぎやかなフィフスアベニュー、経営不振と言われていたデパートや一旦は倒産 したデパートも人であふれ、決してさびしいイメージではなかった。

高級ブティックの並ぶマディソンアベニューには着飾った人たちが歩き、まるで映画 をみているよう。

それは7年間、同じ感覚。そこに根付いて生活しているという実感より、映画の一 シーンに紛れ込んだような感覚。ニューヨーク全体が映画村のよう。

あちこちで映画の撮影をしているし、事実、撮影中の有名スターをちらと見ることも ありなので、現実とイメージがごっちゃになっているのかも知れないが。

それでも、1996年、今より緊張感が必要。来たばかりだというだけでなく、街が きれいになったと言っても、まだまだ、ホームレスの数も結構いて、夜のさびしい場 所で、ビルの陰から引っ張られるというのも想像できる雰囲気だったのも確か。

1996年、ニューヨーク。イメージはまだまだ危険。検察官出身のジュリアーニ市 長の努力で、警察官が増え、街がきれいになったと言っても、イメージ払拭には至っ ていなかった。

好景気に支えられ、市の財政も拡大でき、ニューヨークを再生しようという意欲も強 く、最悪の時代は過ぎ去り、安心して街を歩けるようにはなっていたものの、その頃 世界一安全な都市と言われていた東京に比べると、周囲に気配りをしながら、歩く必 要があるので、家に帰った時はぐったり、無事で良かったとほっとした記憶あり。

過ぎているとあっという間の7年間も、断片を見ていくと、確かにいろいろなことが 起こり、いろいろなことを経験した。

それでも、大きなトラブルや、事故に巻き込まれたり、周囲でもそんなことが起こら なかったのはラッキー。

地下鉄の象徴だった落書きも、ステンレス車両の増加と、消す努力で姿を消し、ホー ムレスの数も減り、あちこちでリノベーションが行われ、街じゅうが建設ラッシュと いう感じだったのも1996年。

アメリカの景気も上昇機運。シリコンバレーから始まったハイテク産業、ITバブル まっしぐら、ストックオプションで突然億万長者が続出し始めたのもこの頃。

情報通信産業で、画期的だった通信法改正がこの年。これまでの長距離、市内という 区分を見直し、さらに新規参入を促進しようとするもの。1984年のAT&T分割に続 く、大改革。通信事業の枠組みを変えるということでは、最大の改革。

2. 通信法改正は失敗か

AT&Tなど長距離事業者の地域通信参入、地域通信事業者の長距離、国際分野への進出 による事業区分撤廃、競争の活性化が狙いだったこの改革は、移動通信分野での電波 入札などと並び、産業インフラである通信事業活性化の切り札として、期待が大き かった。

ところが現在、改革の旗手であったワールドコムは幾多の買収を繰り返し、MCIを合 併して、大事業者になった末、粉飾決算で倒産し、あるいは出資者を集め、世界中に 光ファイバーを設置しまくったグローバルクロッシングも倒産。

地域事業者の長距離進出も成功したとは言えず、むしろ、地域通信を事実上独占して いるという状態がなくならなかったため、財政基盤は安定し、合併で数が減った今も 携帯電話もふくめ、安定した会社となっている。

AT&Tの地域進出は、結局、無線アクセスやケーブルTVの買収などいろいろと試みたも のの、うまくいったとは言えない。

それでも、ライバルの倒産や失速など、地域事業者ともども、なんとか、生きながら えているという状況。

そこで、一般的に評価すると、通信法の改正は失敗だったのではないかということに なる。

ここで生活し、通信事業をやっていると、果たしてそうかなという疑問がわく。

1996年、メールアドレスを名刺に刷っていないアメリカの会社もあり、まだまだ 一般的ではなかった。

パソコンを持って出張するというのもまだまだ一般的ではなく、しかもダイアルアッ プも遅く、今のダイアルアップの10分の1以下の速度である4.4キロビットの速 度でいらいらしながら、メールを読んだ。

今はどうか、パソコンを持って出張するのはあたりまえ、仕事の多くはメールですま せ、ホテルでは高速インターネットとVPN(仮想専用網)によるセキュリティによ り、職場と同じ、あるいは職場より快適な環境で仕事ができるようになっている。

もっとも、乱立していたインターネット事業者は競争の末、数社になり、しかも独立 採算とはならずに、地域通信事業者の一部門になったり、ときびしい状況。さらに、 データセンタ事業者やホスティング事業者も淘汰され、寡占とは言えないものの、倒 産会社の山であることも確か。

おいしい市場に群がった結果、失敗したり、構造転換ができずに失速したり、事業者 というより、出資者集めに長けていたため、実際の事業が成り立たなかったり、な ど、厳しいことを言えば、自業自得。

全米に敷設された光ファイバーの使用率がわずか数パーセントだということでは、今 後、この事業が儲かるということになるとは到底、想像できない。

どうしても通信法改正の評価と言うと、事業者サイドにたった見方になってしまう が、実際にはユーザーがどうか、あるいは社会全体がどう変わったかという視点で見 る必要がある。

いくら、事業者が健全であっても、ユーザーに不便を強いたり、価格が高かったりし たら、全体として成功したとは言えない。

もともと、インフラとしての通信基盤を整備することと市場性をは相容れないものが あるため、アクセスチャージやユニバーサルサービスファンドとして、極端なクリー ムスキミングを避け、平等にサービスを受ける権利を担保する必要はある。

民営化の議論の際、民間会社になると通信の秘密が保てない、という議論があった が、競争市場が存在する限り、品質が悪いということは致命傷になり、成り立たない のは明らか。

淘汰の末の寡占や独占を許容するのか、あるいは競争の行き過ぎにより、投資意欲減 退、サービスの低下も考えられるが、現在、そのような状況は一国では解決できない ことになっている。

つまり、ボーダーレスで企業そのものの国籍や収益源があいまいになり、販売、生 産、流通が一国で完結しないのは、スーパーマーケットに並んでいる商品の原産地を 見ればあきらか。

その中で、鎖国のように、高い価格、劣悪なサービスでは、追いついていけない。

3. グローバル化

通信法の改正によって、事業者が一方的にハッピーになったわけではないが、イン ターネットの発展、技術革新、利用者の意識の変化、ボーダーレス化などにより、 ユーザーサイドでの変化、社会の変化は大きく、止まらない。

通信法改正だけが原因ではないが、加速要因になったのは確か。

その意味で、通信法改正は決して失敗ではないし、当初の目論見とは多少違っても、 技術革新を背景とした便利さの追求は続き、どんどん便利になる。

確かに事業者やメーカーにとっては破滅的な競争にも思えるが、ユーザーが主役の世 の中、かつての供給者の論理は成り立たなくなっている。

グローバル化という言葉の持つ、魅力的なイメージが実は企業にとっては競争が無限 大に拡大するという残酷な結果になるということが、ここ数年の動きではっきりとわ かった。

そこで、重要な役割をするのが情報通信分野。各国で独占状態を享受し利潤を得てい た頃から、まだ20年も経っていない。これはアメリカも同じ、銀行や保険、証券な ど、他の規制業種も似たようなもの。

弱肉強食の理論が、一国の中にとどまらず、グローバルに展開するということがはっ きりと理解できる、あるいは理解を強いられるようになってしまった。

通信法改正の1996年は、社会の仕組みを変え、一時のITバブルによる浮かれ状態 を現出させ、一気に駆け上がった記念すべき年。

ユーザーサイドでの変化を考えると、失敗したというより、変化のきっかけとして、 まさに偉大なことだったと思える。

高速化、ブロードバンド化の波がとどまることなどありえないし、より安く、より早 く、より便利でかつ安全になっていく。

インフラとしての資産を持っている、持てる、あるいは活用できるという国、企業が 勝者になるはず。

そこで不要であり、害にもなりかねないのが、規制による保護。強いものの力を削ぐ のではなく、競争事業者や新規参入者を応援し、元気にさせるポジティブな促進策が 有効。

1996年からの7年。区切りと言えるかどうかはわからないが、規制によって守ら れていた企業は、世界中で失速しているのは事実。

民営化した企業が倒産したから、民営化が失敗だと判断するのではなく、競争社会の 中でいかに特色を活かし、生き抜いていくかを考え、実現する企業だけが生き残れる というのが現実。

日本が強いのはアニメとゲームだけという理解ではなく、特色があり、付加価値があ れば生き残れるというところに着目すべき。

7年間、ニューヨークで仕事をし、残念ながら自立化はできなかったが、一方で生き 残れるであろう企業のバイタリティ、改革意欲、自分へのきびしさ、などを目の当た りにし、このような企業にサービスを提供することとの光栄さとともに、使命の重さ を実感。

情報通信事業がグローバルな市場で成り立つのか、これからが正念場。ライバルは情 報通信事業者だけでなく、コンピューターメーカー、ソフトウエアベンダー、コンサ ルタントなど、多種多様。

1996年から7年、この時期はいろいろな意味で忘れられない時期。もっとも、印 象的なことは選択するのはユーザーだという事実。あたり前のことを実感できたこ と。