ほぼひとりごと 2021年8月31日(火)

車内広告

(写真は、中央・総武各駅停車の車内広告スペース。中吊り広告も空きスペースが増えていました)

東京の電車の中吊り広告の花形、週刊文春と週刊新潮の広告がこの秋からなくなるということがニュースになっていました。週刊現代や週刊ポストの中吊り広告はすでになくなってしまいました。

東京の電車の車内は広告媒体としては価値があり、掲出料も安くはありませんでした。終点に着くと、係員があざやかな手さばきで、期間の過ぎた中吊り広告を外し、新しいものに変える作業は見事でした。

週刊誌自体の発行部数増だけでなく、スマホに熱心な人が増えたことなど、電車の中吊り広告の注目度は下がりました。相互乗り入れで、地域密着型の広告が出しにくくなったということもあるようです。

数年前、山手線の新車235系が登場する時、すべてデジタルサイネージに切り替えるという話がありましたが、紙の広告は全廃にならず、中吊り広告は残ることになりましたが、先行きは難しそうです。

中央・総武各駅停車は、三鷹から千葉までの間を走り、混雑も激しく、広告媒体価値は低くはなかったと思いますが、ある日の車内を見たら、網棚の上のスペースには、まったく広告がありませんでした。

電車の中のデジタルサイネージ化が進み、情報メディア化として活用されることになるかも知れません。個々人のスマホと連動したデータのやり取りなど、新ビジネスが創造されるかも知れません。

相変わらず、居眠りしている人は見かけますが、電車の中で、紙の本や新聞を読んでいる人はめっきり少なくなり、スマホでゲームをしている乗客が主流になるなど、車内の光景が変わりました。

#電車内広告 #中吊り広告 #週刊文春・週刊新潮

自分(の仕事)史 2021年8月30日(月)

小切手

(写真は、新宿のSMBC信託銀行プレスティア。数年前まではCITI(シティバンク)新宿支店でした)

ニューヨークでお世話になった銀行はシティバンク。帰国しても口座を持ち、海外に行った時にはATMを使い、重宝していましたが、数年前、日本から撤退し、SMBC信託銀行プレスティアになりました。

今夏で、営業譲渡時の条件だったシティバンク時代からのキャッシュカードが使えなくなるということで、SMBC信託銀行プレスティアのキャッシュカードに変更しました。ニューヨークが少し遠くなったみたいでした。

シティバンクで取引を開始した時に貰ったのが小切手帳。いろいろな支払いに使いました。自分の名前が印刷された小切手に支払いをする金額を書いてサインをし、直接渡したり、郵送で送ります。

面白いのは、クレジットカード支払いにも小切手を使うことでした。請求書を確認し、間違った請求がないことを確認したあと、小切手に金額を記入し、サインをして封筒に入れ、シティバンクのATMで入金します。

日本で一般的な銀行の自動引き落としはなく、小切手が大活躍します。それだけ、請求額に間違いが多いのかも知れませんが、小切手を切る前にはきちんと金額を確認するので、確実だとは言えます。

クルマを買う時には、ローンを組まず、一括で支払うことにしたので、ディーラーの指示に従い、銀行に行って、支払い専用の小切手を作ってもらいました。結構、緊張をした手続きでした。

20年以上経った今でも、アメリカでの支払いの主役として、小切手が残っているみたいです。便利過ぎて、いくら支払ったか、明細に関心を持たなくなってしまう電子マネーより良いのかも知れません。

#小切手 #クレジットカード #請求書

一週間(8月22日(日)~8月28日(土))

週刊日記第10回

24日火曜日から、オリンピック同様無観客でパラリンピックが開会し、都内の交通規制が2週間ぶりに復活しました。そろそろ、夏休みも終わる月末なので、時間によってはあちこちに渋滞が発生しています。

首都高の自家用車1000円割り増しも復活し、代々木や初台など、関係者の行き来がありそうな入り口が閉鎖されています。このまま、ピークロードプライシングと称して、割増料金が当たり前になるのが心配です。

アルコール禁止で20時閉店の夜ではなく、そろそろ大丈夫かなと思って設定したお昼ごはんの約束が、次々とキャンセルになっています。アポイントも減っているので、今週も夏休み状態が続いています。

緊急事態宣言が9月12日まで延長されたので、しばらくの間はこんな状況が続くのだと思っています。8月22日に日曜日に予定していた東京ドームでの巨人戦観戦+会食も中止になってしまいました。

22日日曜日に行われた横浜市長選挙の結果、政局が不安定になったようです。神奈川支店長時代、商工会議所やロータリークラブで知り合った人たちの名前もちらほら出ていたので、関心を持って、結果を見ました。

ニュースの風向きも変わりつつあるような気がしますが、冷静で正確な情報を上げにくいと言われている現状では、横浜市長選がなぜこのような結果になったのか、表面上の感想以上には理解されていないように思います。

もうじき9月、自民党総裁選、4年ぶりの衆議院選挙。存在感が薄れてしまったこの国のためにも、外野席で見ているだけですが、正しい情報のもとで、自由に意見が言える社会になってほしいと願っています。

ほぼひとりごと 2021年8月29日(日)

名古屋駅太閤通り口

(写真は、新幹線車内から撮った名古屋駅太閤通り口。どこにでもあるような風景だと思います)

1985年前後、名古屋勤務をした時、新幹線には大変お世話になりました。その直後、ひかり号より速いのぞみ号が走り始めた時、名古屋を通過し、新横浜から京都まで通過になったのは驚きでした。

名古屋財界の人が一番恐れていた、名古屋通過の新幹線が現実になった瞬間でした。名古屋に本社を置いたJR東海へのプレッシャーも大きかったのか、すぐにすべてのぞみが名古屋停車になりました。

東京と大阪に挟まれた大都市ではあるものの、大いなる田舎と言われてきた名古屋ですが、地元経済の発展が追い風になり、元気な街と言われるようになっています。リニア新幹線も当面名古屋までです。

桜通り口と言われている側は高層ビルが立ち並び、JRと組んだ高島屋も賑わい、名古屋の繁華街栄より繁盛しています。こちら側は、万年開発中の状況が続いています。まだまだ、変わりそうです。

桜通り口は、地下街が中心だった栄と違い、地上の高層ビルがランドマークになって、名古屋らしい風景になっています。昔、勤務していた40年近く前には、バス乗り場の横にラーメン屋台も出ていました。

新幹線ホームがある太閤通り側は、説明がなければ、どこにでもあるような風景です。昔、結婚式に出席した玉姫殿もこちら側でした。目立っているのは家電量販店、パチンコ屋さんもあったと思います。

今、名古屋駅周辺は、桜通り口を中心に、リニア新幹線名古屋駅とそこに至る地下施設の建設真っ最中です。大いなる田舎と言われた街がどう変化するのか、新幹線から見える風景も変わりそうです。

#名古屋駅太閤通り口 #JR東海 #大いなる田舎

ほぼひとりごと 2021年8月28日(土)

茅場町の水路

(写真は、だいぶ前、冬から春になるころの茅場町の水路。永代通りにかかる橋から撮りました)

江戸時代に水運のために作られた水路を埋め立てたり、水路の上を使って、1964年のオリンピックに間に合わせるよう、首都高が作られました。東京の中心部を中心にあちこちで見られる風景です。

日本橋の上を通る高架道路は、あと10年くらいで撤去され、地下道路に生まれ変わる計画です。最初、この話を聞いた時、無理だと思いましたが、50年くらい経った社会インフラは更改する時期だったようです。

首都高下の日本橋にある乗り場から、下町お花見クルーズに乗ったことがあります。水路から隅田川に入ると、大河に出たような感じになり、クルーズの小舟が揺れ、大丈夫かなと思ったくらいでした。

永代通りを、日本橋から東に向かって歩くと、茅場町交差点の先で、水路を渡ります。両側の建物、左手前は新しそうですが、歴史を感じさせる倉庫風の建物など、経済の中心地だった風景です。

隅田川のような大きな川と違って、街に張り巡らせるようになっている水路を見るとホッとした気持ちになります。50年くらいから寿命を迎える近代建築よりも、長い寿命と存在感を示しているようです。

碁盤の目になった道や広場が今でも実用的な奈良や京都、水路も加わった大阪や江戸。数百年前の都市計画が今でも現役として活用されているのは大したものだと、先人の偉業を尊敬します。

永代通りを散歩すると、日本橋の交差点、茅場町の交差点を越え、永代橋に向かって、風景が変わって行くことになります。水路を渡る橋の際には、古めかしい飲食店など、魅力的なお店も残っていました。

#水路 #茅場町 #永代通り

ほぼひとりごと 2021年8月27日(金)

青山スパイラル

(写真は、旧表参道駅があった場所あたりから撮った青山スパイラル。今でもおしゃれなビルです)

1964年に大拡幅された青山通り、国道246号線沿いの建物も少しづつ様変わりを始めていますが、青山スパイラルは、1985年のオープン以来、青山通りのイメージリーダーとして存在しています。

最近は、バブルというと、オリ・パラ用語になっていますが、青山スパイラルがオープンした1985年ころは、電電公社や専売公社が民営化されるなど、みんなが右肩上がりの夢を見たバブルの前でした。

青山スパイラルや、その前に出来ていた六本木のアクシスは、それまでの建物とイメージが違い、モダンな感じがしました。どぶねずみと言われた男性のグレーや紺のスーツには似合いませんでした。

1980年代の中盤は、20代の後半から30代になったころ、数年上の団塊の世代がリードしている世の中のトレンドを追いかけている感じでした。このフォーメーションは、40年近く経っても同じです。

集団就職や大学紛争、大量生産などの言葉が象徴していた団塊の世代から、1975年大卒は、集団行動が苦手な「かもめのジョナサン」に例えられました。少しは変化していたのだと思います。

千代田線と交差するまで、神宮前駅だった銀座線表参道駅は、半蔵門線が開通した時、今の場所に引っ越し、出入り口だけが元の場所に残り、乗り換えの手間が格段に改善されることになりました。

青山スパイラルが出来たころは30代前半でした。青山スパイラルは昔と同じに建っていますが、今は、旧表参道駅の出入り口の階段を息切れせずに上るとホッとしながら、時間の経過を感じています。

#青山スパイラル #表参道駅 #団塊の世代

ほぼひとりごと 2021年8月26日(木)

ヒカリエデッキ

(写真は、ヒカリエデッキの宮益坂側にあるエスカレーター。ボードにあるように7時半から21時までオープンしています)

宮益坂の頂上に近いところから、東急文化会館あとに出来た渋谷ヒカリエに沿って、東京メトロ銀座線渋谷駅のドームの手前までのヒカリエデッキがオープンしました。7時半から21時半まで通れます。

ヒカリエデッキは、将来的に、JRの外側、渋谷マークシティビルまで延長される計画になっているということだそうです。京王井の頭線渋谷駅へのアプローチも今よりずっとラクになるのではと期待されます。

JRの渋谷駅は、大きな谷底の底にあります。さらに地下深いところに東横線と副都心線の渋谷駅があり、高低差が大きいのが特徴の渋谷駅ですが、これで、少しわかりやすくなるのではと期待しています。

せっかくなので、高架鉄道のあとを公園化したニューヨークのハイラインのように、歩きたくなるような遊歩道になれば良いなと思います。それにしても、今のところはオープン時間もふくめ、中途半端です。

ヒカリエデッキは、宮益坂の頂上から、少し下がったところからスタートしていますが、ヒカリエから見ると4階になり、地上3階の高さにある銀座線渋谷駅ホームの上、ドーム屋根と同じ高さになります。

東横線ホームが副都心線乗り入れと同時に地下に引っ越したあと、迷路化が進んだ渋谷駅。工事が続いている間は、自分がどこにいて、どこに向かっているのか、迷子になりそうな状態が続きます。

渋谷駅大改造というタイトルの、未完成交響曲の演奏は終わりそうにありません。次は何が起こるのか楽しみだとも言えますが、工事中は上下の階段移動も多く、足腰を鍛えておかないと痛切に感じています。

#渋谷大改造 #ヒカリエデッキ #足腰を鍛える

ほぼひとりごと 2021年8月25日(水)

コインロッカー

(写真は、しばらく前の午前中、東京駅地下で撮ったコインロッカー。使用中はありませんでした)

ずいぶん前になりますが、手荷物一時預かり所の代わりにコインロッカーが登場したころ、コインロッカーベイビーという言葉が流行ったこともあり、コインロッカーのイメージはあまり良くありませんでした。

コインロッカーを使った犯罪など、推理小説やミステリードラマの定番でした。今でも、前に使った人は何を入れたのかななどと思うこともあったりします。それでも、便利なので、どんどん増えて行きました。

東京駅や京都駅などでは、旅行客の多いシーズンや時間帯によって、満杯のことも多く、おまけに、ゴロゴロ(キャリーバッグ)用の大きさのコインロッカーを見つけるのは至難の業。困ったことがあります。

コインがない時の両替も大変でした。両替機があれば良いのですが、キオスクで100円玉がたくさんおつりで来るよう、1000円札を出して、ガムやキャンディーなど100円の商品を買ったことがあります。

最近は、ニーズにあわせ、Suicaで使えるキャッシュレスコインロッカーや、ゴロゴロ(キャリーバッグ)用の大きさのサイズも増えています。多くの旅行客が集まる東京駅構内にもずいぶんと数が増えました。

インバウンドの増加にあわせ、旅行しやすい環境を整備するため、順調に増え、機能も充実し、より便利に使えるようになったコインロッカーですが、昨年の春から冬の時代が続いたままになっています。

プレミアムサービスとして、昔の手荷物預かり所のように、人手でのコーナーも復活するほどでしたが、この日はガランとしていました。夏休みの旅行シーズンの午前中、使用中のコインロッカーはありません。

#東京駅 #コインロッカー #手荷物一時預かり

ほぼひとりごと 2021年8月24日(火)

風の通り道

(写真は、日比谷公園から、日比谷・内幸町再開発が行われるエリアを撮ったもの。ここに高層ビルの壁ができるみたいです)

汐留貨物駅の再開発で建った高層ビル群で、東京湾からの風が止められ、銀座や日比谷地区が暑くなるという話題が数年前にありましたが、その後のフォローはなく、高層ビルが順調に増えています。

日比谷公園に面した、日比谷・内幸町地区も再開発計画が進んでいます。旧三井銀行本店などがあったエリアは東京ミッドタウン日比谷として開業しました。この動きが広がっていくことになります。

帝国ホテルなどを全面的に建て替える計画のイメージを見ると、日比谷公園に面して、高層ビルが壁のように建てられるみたいです。今は存在する建物の間の風の通り道が残らないように見えます。

周辺に緑が多く、風の通り道があると、都市部でも空気の流れが確保され、日陰では涼しさを感じるほどになります。東京は意外に緑も多く、高層ビルから街を見下ろすと、緑が目立っているように見えます。

日比谷・内幸町地区も、日比谷公園だけでなく、皇居や浜離宮などにある緑が目立っています。隣接する銀座には、風も抜けることができる細い路地が、あみだくじのように存在していることに気づきます。

高層ビルばかりのマンハッタンも、アベニューとストリートが碁盤のように配置されているので、風の通り道があり、暑い日でも、風さえあれば、過ごしやすくなります。もっとも、冬の風は厳しいですが。

100年以上前に基本が出来上がった丸ノ内仲通りのように、碁盤の目のように通りが交差していると風が通り抜け、心地よくなります。日比谷・内幸町地区も気持ち良く過ごせる街になってほしいと願っています。

#汐留再開発 #日比谷・内幸町再開発 #風の通り道

自分(の仕事)史 2021年8月23日(月)

両替屋さん(Check Cash’d)

(写真は、15年ほど前のマンハッタンセカンドアベニューの街並み。ここにはありませんが、両替屋さん(Check Cashed)もこんな感じで並んでいました)

マンハッタンくらしが始まって数日後、国際電話が使えなくなってしまいました。日本同様、街中に電話局窓口がないので、おそるおそる電話会社に電話をかけ、慣れない貧しい英語力を総動員して説明をしました。

行きつ戻りつしながら粘った上、わかったのは、新規に設置した場合、国際電話や市外通話の限度額は200ドルということと、すでに限度額をオーバーしたということでした。事前に説明を受けた覚えはありません。

どうしたら良いのかと聞いたら、街の両替屋さん(Check Cash’d)に行って、使った料金を払った上、電話をしてくれたら、入金を確認の上、そのあとは、限度なしにかけられるようにするということでした。

両替屋さん(Check Cash’d)がどこにあるかわかりませんでしたが、近所で探したら、見つけることができました。しばらく行列に並び、自分の番を待ち、電話番号を言って、請求額を現金で支払いました。

あとでわかったのですが、行列は小切手で支払われた給料を現金化するためでした。銀行口座を持てない人は、月に数回ある給与支払い日に、もらった小切手を両替屋さん(Check Cash’d)で換金します。

行列の中で、スーツを着ているのは私だけでした。銀行口座のあるホワイトカラーには、両替屋さん(Check Cash’d)は関係ない存在だったようです。この経験は駐在員の間の話題としては結構受けました。

英語で電話をして問合せたり、交渉するなど、とても出来るとは思っていませんでしたが、やってみて、なんとかなりました。小さなトラブルをひとつづつ乗り越えて、マンハッタンでの生活になじみ始めました。

#両替屋さん(Check Cash‘d) #小切手 #国際電話