一週間(8月15日(日)~8月21日(土))

週刊日記

オリンピックが終わって一週間。感染者数の増加が続いています。増加ペースが少し鈍化したかなと思いますが、ワクチン接種が進んだ効果が、はっきりとは見えず、落ち着かない日々が続いています。

土砂災害をともなう大雨は一時ほどではありませんが、線状降水帯が天気図にあらわれない日はなく、日本列島のどこかで大雨や雷雨が降っている日が続いています。夕立などとのんびりと言える感じではありません。

東京の緊急事態宣言も、拡大した宣言地域にあわせ、9月12日まで延長ということになりました。引き続き、若者、飲食店がターゲットですが、県間移動や、デパートの地下食料品売り場などに拡がっています。

今までは、遠いところの話と思える面もありましたが、身近な感染者や、救急搬送など、これまで以上に明日は我が身という感じにもなっています。いろいろな説もありますが、基本動作を徹底するしかありません。

久しぶりに、朝早い時間、人の少ない場所を選んでの散歩を再開しました。歩き過ぎにならないよう、緩急をつけたウォーキングを心がけています。9時くらいまでは、風が吹くと気持ち良く歩くことができました。

クスリの効果もあって、尿酸値が下がり、足指の痛みもなくなりました。ここで気を緩めることなく、食べ過ぎないようにして、水分も適度に取りながら、歩くようにしています。効果が続けばと願っています。

週末になって、暑さがぶり返していますが、朝晩には、秋風と感じられるような気持ち良い風が吹き始めています。夏至から2か月、昼間はまだまだ、酷暑ですが、暗くなる時間も早くなっていることに気づきます。

ほぼひとりごと 2021年8月22日(日)

駿河台下

(写真は、駿河台下交差点近くのお店。場所柄、カレー屋さんやボリュームがありそうな洋食屋さんなどが並んでいます)

お茶ノ水駅から、明治大学の横を通って、靖国通りと交差し、神保町のすずらん通りと合わせると五差路になる駿河台下交差点。靖国通りを左に曲がるとスポーツ用品店、右は古書店が並んでいます。

飲食店が並んでいるこの通り、お茶ノ水駅に近いところには楽器屋さんが並んでいます。駿河台下交差点を中心にして、並んでいるお店の業種が変化するこのあたり、散歩好適地として紹介されています。

時々、閉店してしまったり、新規に開店する店もありますが、大学生だった50年近く前と同じ店も残っています。熱い鉄板でやけどしそうになったことのあるキッチンカロリーなど、大昔から有名でした。

このあたりの洋食屋さんに共通しているのはボリュームがあること。ごはん少な目と注文するのが普通になった今では、入るのに勇気が必要になっています。若者には大盛が最大のごちそうでした。

濃い味付けの油っこい料理、いくらでもごはんを食べることができます。たまに、モードをチェンジし、食べ過ぎ覚悟で食べてしまいます。元気なうちに、もう一回行ってみたいと秘かに思っています。

カレー屋さんもたくさんあります。それぞれに特徴があり、人の好みも違っているとは思いますが、一回入った超有名店、美味しかったのは水とらっきょうだけ、同じような感想の口コミを見て同感しました。

周辺には、高層ビルが少しづつ増えて来ていますが、駿河台交差点周辺には小さな店もたくさんあります。カレー、洋食ばかりでなく、バラエティに富んだ飲食店、まだまだ、探検したいと思っています。

#駿河台下 #ボリューム #カレー屋さん

ほぼひとりごと 2021年8月21日(土)

空が見える

(写真は、甲州街道から撮った新宿ルミネ。来年から、このあたりの取り壊しも始まるようです)

2029年完成をめざし、小田急百貨店や東京メトロのビルが来年から取り壊しが始まるようです。続いて、並んでいる京王百貨店や新宿ルミネも取り壊される計画があり、写真の景色もあとわずかです。

当時の国鉄ホームと並んだ、地上の小田急線と京王線の新宿駅のあとに小田急百貨店や京王百貨店、地下には新宿西口地下広場が出来て、思い出横丁をのぞき、新宿駅西口の戦後が終わりました。

すでに、スバルビルや明治安田生命ビルは取り壊されました。ヨドバシカメラ本店のあるエリアも、遠くない将来に激変することになると思います。高度成長時代に建てられた中層ビルの減少が始まりました。

新宿西口交差点は、バスタ新宿に向かう道路や歩道が拡幅され、新宿駅周辺でのタクシーの乗り降りが出来なくなったので、路上駐停車も減り、渋滞も減って、甲州街道も歩きやすくなっています。

甲州街道の歩道から新宿西口交差点を見ると、新宿ルミネの他は、ファーストキッチン、大盛スパゲッティのパンチョ、以前は24時間営業だった磯丸水産やチケット屋さんなどのお店が軒を連ねています。

およそ60年前まで、京王線が路面電車のように地上を走り、戦前には、陸橋を越えて、当時終点だった新宿追分まで行っていたこのあたり、当時からのお店も少しは残っていそうな感じです。

今は見えている新宿ルミネの上の空ですが、計画されている新宿駅西口高層ビルが実現すると、この角度から空は見えなくなってしまいます。もうじき、貴重な存在になりそうな空の見えている新宿です。

#空が見える #新宿駅西口 #新宿ルミネ

ほぼひとりごと 2021年8月20日(金)

小さな扉

(写真は、秋葉原駅総武緩行線千葉方面ホームにある男性トイレで見つけた小さな扉。何に使うのでしょうか)

作家の赤瀬川源平(尾辻克彦)が、作った人の意図がわからず、何のためのものかわからない無用の長物を巨人で活躍できなかった元大リーガー、トマソン選手にちなんでトマソンと呼び始めました。

巨人のトマソン選手には気の毒な感じもしますが、こちらのトマソンは当時、結構な話題になり、名付けられてから50年近く経っている今も、ある年令層以上にはすぐに理解できる呼び名になっています。

秋葉原駅の総武緩行線ホームの千葉方面ホームには、改装されてきれいになった男女のトイレが並んでいます。そんなに広くはありませんが、突き当りを右に曲がるようになって、外からは見えません。

何回も何気なく使っていましたが、ある日突き当りにある小さな扉に気づきました。猫や小さな犬用だと言われるとなるほどと思うサイズです。当然のことですが、猫や犬が開けて使うわけではありません。

何かの穴をふさぐのだったら、改装の時に、壁と一体化してしまえば良いと思いますし、このサイズの扉が市販されているとは思えません。資材などを通すにしても、こん立派なドアではなく、蓋で十分です。

このホームには、このほかにも、牛乳スタンドやガシャポン自動販売機、ろうあ者が売っているケーキ屋さんなど、他の駅にはあまりないユニークなものを見ることができます。小さな扉も不思議です。

地下鉄日比谷線やつくばエクスプレス、東北・上越新幹線から、上野東北ラインまで重層化している秋葉原駅、いろいろな意味で、駅全体が産業遺産になるみたいで、まだまだ、発見がありそうです。

#小さな扉 #トマソン #楽しい駅

ほぼひとりごと 2021年8月19日(木)

新宿のIKEA

(写真は、新宿に出来たIKEAのお店。店内のデリで、スウェーデンの総菜も売っているそうです)

40年以上前に、当時、東急百貨店が輸入していたIKEAの家具を買いました。折りたたみ式テーブル、丸椅子、パイプと布で出来た座りやすい椅子と小さなテーブルは、今でも現役で使っています。

カラフルなニット衣料のベネトンと同じように、モダンな感じの家具でした。自分で組み立てて使うので、買いやすい値段だったと記憶しています。ソファーは粗大ゴミで出しましたが、あとはほぼ現役です。

イタリア製のカッシーナのような、とても買えなかった高価な家具ではありませんでしたが、日本製の家具にはない、北欧らしいシンプルモダンなデザインを気に入って買い、気に入って使いました。

バブル前の当時、流行っていたトヨタマークⅡグランデの、赤いモケットのような豪華さはなかったこともあり、10年と少しで、提携を解消し、IKEAは撤退することになり、一旦は姿を消しました。

アメリカではIKEAは元気でした。家具付アパートだったので、IKEAの家具を買いませんでしたが、自分で組み立てるおしゃれで割安な家具を売る店として、IKEAは郊外で大々的に展開していました。

IKEAが日本に戻ってきたのは15年後、21世紀になってからでした。Wikipediaに寄れば、最初の店は船橋だったそうですが、再進出から20年経ち、最近は新宿や渋谷など、都市部に進出しています。

H&M、ZARAや、日本初のUNIQLOなどとファストファッションや、ニトリなどと同様、気軽に買えるおしゃれなスウェーデン発のインテリアグッズの店として、今度の進出は当たっているようです。

#IKEA #組み立て家具 #スウェーデン

ほぼひとりごと 2021年8月18日(水)

線路が続かない

(写真は、新幹線が停まるまでは磐城西郷駅だった新白河駅の在来線ホーム。線路がつながっていません)

しばらく前、仙台から在来線だけで東京に帰りました。郡山から乗った電車は新白河駅止まり。以前は交流と直流の分岐点、黒磯駅まで行ったのですが、最近はほとんどが新白河駅乗り換えになっています。

新幹線が増え、線路がぶつ切りになった在来線があちこちで発生しています。相互乗り入れし、運賃が高くなっただけの地域もありますが、新白河駅の乗り継ぎホームは物理的に線路が分断されました。

こどものころ、「線路は続くよどこまでも」という曲が好きでした。新幹線を引くためには、地元は在来線が不便になっても仕方ないを受け入れることになり、これからも線路が続かない地域が増えそうです。

仙台から東京へは白石、福島、郡山、新白河、黒磯、宇都宮での乗り換えが必要な場合がほとんどです。通しで乗る人が多いとは思いませんが、同じホームではなく、階段の上り下りが必要な駅もあります。

湘南新宿ライン、上野東京ライン、横須賀線・総武快速線や私鉄の相互乗り入れなど、乗り換えなしにすることで、遅れなどトラブルが広範囲化するという問題もありますが、乗り換えなしは便利です。

車両や乗務員の問題など、簡単なことではないと思いますが、ぶつ切りダイヤは乗客ファーストという感じではありません。黒磯駅で、大きな荷物を持ったお年寄りが階段を渡って、乗り換えしていました。

同じJRなのにぶつ切りになっている新白河駅を見て、全国つながっていた在来線のネットワークを、第三セクターや私鉄もふくめ、シームレス化への努力をし、社会インフラを活用してほしいと痛感しました。

#線路が続かない #新白河 #白河ラーメン

ほぼひとりごと 2021年8月17日(火)

ピーセン

(写真は、久しぶりに発見したピーナッツおかき、ピーセンのパッケージです)

本来なら、羽田空港、東京駅で売っている帰省みやげが一番売れる時期。昨年よりは、増えたようですが、気軽に帰省出来る雰囲気ではなく、天候も悪く、最盛期だったころほどではありません。

帰省みやげにも流行りすたりはあり、昔はどこでも買えたお菓子が見当たらなくなったりしています。しばらく前、船橋駅コンコースで昔の名前のお菓子、ピーセンが売られている光景を見つけました。

イベント会場で売っていた榮太樓のTシャツを着ている人に、珍しいですねと声をかけました。20年前にピーセンを売っていた江戸一という会社は倒産し、老舗の榮太樓に買収されたとのことでした。

同じように、銀座千疋屋に買収され、再建中の新宿花園饅頭や、秘かに高価で販売を続けている神田精養軒のマドレーヌ、消えてしまったトレッカのフルーツケーキなど、味もパッケージも覚えています。

東京バナナが売れるようになったころには、これらの帰省みやげは主役の座を降りていたようなので、江戸一のピーセンを記憶しているのはどんなに若くても50代以上の人ではないかと思います。

懐かしいピーセンのロゴを見て、うれしくなり、足を止めてしまいました。先客がいたので、並んでしばらく待ち、一番小さなパッケージを衝動買いし、ほんのりとしあわせな気分に浸ることができました。

今売っているオリジナルピーセン、ピーナッツおかきは千葉県産のピーナッツにこだわっているそうです。帰宅して食べたら、記憶していたのと同じ味でした。日本橋にある榮太樓本店で買えるそうです。

#ピーセン #東京バナナ #帰省みやげ

自分(の仕事)史 2021年8月16日(月)

クリーニング屋さん

(写真は、代々木のクリーニング屋さん、マンハッタンにもあちこちにクリーニング屋さんがあります)

マンハッタンで目立つのは、クリーニング屋さんとコインランドリー。衣類のリフォームもしているクリーニング屋さんを経営しているのは、移民で入って来た人が多く、みなさん、一生懸命に仕事をしています。

アパートの室内には洗濯機を置くスペースがありません。街か、アパートに設置されているコインランドリーで洗濯します。25セントのコインか、プリペイドカードで洗濯機と乾燥機が使うことが出来ます。

日本人住民が洗濯をしていると、アジアから来たメイドかハウスキーパーと間違えられたという話を聞いたこともありましたが、乾燥した洗濯物を畳む机もあり、週末はアパートの住民の洗濯日です。

クリーニング屋さんは、朝1ドルを払ってワイシャツを出し、ハンガーでとお願いすると、夕方にはアパートのコンシェルジュのところに届けられています。そのまま、クローゼットにかければOKです。

最初のころ、出した衣類が本当に戻って来るのか不安でした。きれいにクリーニングされ、無事に戻って来た時には、飛び上がるくらいにうれしかった記憶があります。日本より、速く、安く、便利でした。

クリーニング屋さんだけでなく、エッセンシャルワーカーと言われる、生活を支えてくれる仕事は移民が中心でした。リフォームもしてくれるので、手先の器用なアジア人に向いていたのかも知れません。

アパートの近くにあったクリーニング屋さんも韓国や中国から来た人たちが経営していました。決して上手な英語だとは思いませんが、熱意と誇りを持って堂々と生き抜いている姿は見事だと思いました。

#クリーニング屋さん #移民 #ハンガー

一週間(8月8日(日)~8月14日(土))

週刊日記

次々と台風がやってくると同時に、九州や中国を中心に、梅雨末期みたいな豪雨が続き、晴れた日が少ない一週間でした。帰省をやめてほしいと政府や自治体がお願いしているお盆休み、気持ちが晴れません。

土曜日には、3か月に一度の定期健診。クスリを再開したおかげで尿酸値が安全圏以下に下がりました。まだまだ、境界値ギリギリなので、油断をするわけには行きませんが、少しばかりホッとすることが出来ました。

その他の数値も許容範囲の中で一安心しました。6年前、心臓疾患で入院してから続けている定期健診ですが、自分の身体状況に関心を持つようになっています。一病息災を心がけるようにしたいと思っています。

痛風の症状が出た時に、少し無理して歩いたのが、足の痛みが長引いた理由だったようです。去年の春から、1年半続けていた毎日一万歩散歩ですが、すこしばかりペースダウンした方が良さそうだと気づかされました。

今週、久しぶりに早朝の時間帯、人の少ない場所と時間を選んで散歩した時もペースを緩め、無理のないように歩きました。四谷三丁目から、信濃町、外苑を通りましたが、千駄ヶ谷駅周辺は通行禁止で迂回しました。

天気が良くなかったこともあり、翌日は万歩計を休ませて、スマホで本を読んで過ごしました。こんなに日は、血流が滞らないように、意図的に足を伸ばしたりしてストレッチみたいなことをするようにしました。

オリンピックが終わって一週間。感染者数が減りません。なかなか、落ち着くことができない状態が続いています。多少安心できる状況になっていることを期待しているだけの日々は終わりそうにありません。

ほぼひとりごと 2021年8月15日(日)

上野駅

(写真は、使われることが少なくなった上野駅地上ホーム。昔の盆暮れは人があふれるほどの超満員でした)

上野駅は三層構造になっています。一番上にあるのは山手線ホームや京浜東北線ホーム。品川や東海道線方面から来る上野東京ラインや上野始発常磐線の快速電車も高架ホームを使います。

かつて、青森、秋田などへ向かう長距離列車の発着で賑わっていた地上ホームは、東北・上越新幹線が出来てから発着本数が激減し、さらに上野東北ラインの開通以降は一段と減少しました。

地下の奥深いところにあるのが東北・上越・北陸新幹線ホーム。一時は終着駅でしたが、東京駅まで延長したあとは、途中駅になり、通過する列車も登場し、主役の座を降りてしまった感じがします。

東北・上越新幹線から日比谷線や銀座線に乗り換える時は、東京駅より、乗り換えが便利なので、何回か使ったことがあります。地上ホームの横を通るので、なんとなく好きなルートになりました。

以前、上野駅大改造計画が話題になりましたが、進んでいる気配はありません。それでも改修工事は続き、東京文化会館や国立西洋美術館の前に出る公園口などはずいぶんときれいになりました。

東京の社宅から埼玉県の久喜に通った40年以上前、上野駅から黒磯行の電車に乗って行くことがありました。宴会のあとの上野行の電車で上野駅地上ホームに着いた時、車掌さんに起こされたこともありました。

東京駅とは違う、上野駅全体に漂っている旅情感は、今でもなくなっていません。かつて、長距離列車が発着していた、行き止まりの終着駅になっている地上ホームにいると余計に感じたことです。

#上野駅 #地上ホーム #上野東京ライン