ほぼひとりごと 2021年8月5日(木)

ベルべデーレ

(写真は、ソニービル跡のポケットパーク。ベルべデーレは旧ソニービルの7階にありました)

庄司薫作「さよなら怪傑黒頭巾」という小説の中で、1969年に都立日比谷高校を卒業した庄司薫君たちが、5月に開かれたクラス会の帰りに行ったという文章で、ベルべデーレという店を知りました。

上野の東京文化会館で行われた高校の課外授業のバレエ鑑賞会、たぶん、白鳥の湖だったと思いますが、途中2人で抜け出し、少し背伸びして本格的イタリア料理店、ベルべデーレに行きました。

喫茶店でナポリタンやミートソースを食べたことしかなかった17才の高校生が驚いたのは、銀色のフタの容器で運ばれたスパゲッティ。お店の人がうやうやしく盛り付けてくれるのを緊張して見つめました。

スパゲッティを頼んだというだけで、何を頼んだのか、味はどうだったのかなどは全く覚えていません。眺めの良い、ソニービル7階にある、あこがれのベルべデーレで食事することが目的だったのだと思います。

上野から、どうやって銀座まで出たのか、ベルべデーレのあとどうしたのか、全く記憶にありません。背伸びして過ごした思い出として記憶に残っています。今、思えば、大胆だったかなと思います。

日本のイタリアンの走りとされるベルべデーレは1980年に閉店し、フィレンツェが本店のサバティーニになり、ますます敷居が高くなりました。ローマに本店のあるサバティーニは青山に現存しています。

あれから50年経ちました。甘酸っぱい思い出を刻んだソニービルも数年前に取り壊され、ポケットパークになっています。たまに、ベンチに座って、数年先のソニービル再建を待っています。

#ソニービル #ベルべデーレ #数寄屋橋交差点

ほぼひとりごと 2021年8月4日(水)

丸ノ内・昼下がり

(写真は、丸ビルの前の丸の内仲通り。昼下がりののんびりした雰囲気を感じることができました)

ビルの谷間の丸の内仲通りは四季おりおりに変化します。夏になると、写真でもわかりますが、涼しさを感じられるよう、ミストが出るようになります。ビルのおかげで日陰も多く、風通しも悪くありません。

ベンチや、椅子とテーブルもあちこちにあり、イベントがなければ、そんなに混んでいないので、座って、のんびりとした時間を過ごすことが出来ます。通りを行き来する人を眺めているだけで飽きません。

日比谷から大手町に向かって、丸ノ内仲通りを歩くことが多いのですが、たまに、反対方向に歩くと違った景色が見え、新鮮な気持ちにもなります。通りに沿ったブランド店のイメージも変わります。

明治時代、一丁倫敦と呼ばれた時代から、威厳を感じさせるオフィス街だったところに、少しづつブランド店が路面店を出し、いつの間にか様変わりして、東京でも一番華やかな通りになりました。

丸ノ内仲通りを歩いて、訪問する大手町のオフィスに向かっていると、仕事スイッチが徐々に入り始めていくような気がします。このあたりのビルに出勤するような仕事をしたいなと思って歩いたこともありました。

丸ビルの先、大手町に向かって、丸ノ内仲通りは行幸通りと交差します。左は皇居、右は東京駅丸の内口。見事な景色を見ることができます。歩いているだけで楽しい気分に浸れるのも、大きな魅力です。

なんとなく落ち着かなくなってすでに1年以上経ちました。昼下がりの丸の内仲通りで感じたようなのんびりした時間が続くことが貴重だということをあらためて痛感しました。もう、8月も4日です。

#丸ノ内仲通り #丸ビル #昼下がり

ほぼひとりごと 2021年8月3日(火)

びわの木

(写真は、取り壊しのための囲いが出来たアパートの庭にあるびわの木。見事に咲く桜の木もあります)

このあたり、高知藩主の山之内家のお屋敷があり、代々木山之内地区と呼ばれていたようです。建て替え時期になったアパートやオフィスもいくつかあり、お屋敷だった名残りの木々もあとわずかです。

この地区はすべて、アパートや建売住宅になり、古くの建てられたアパートやビルは取り壊されたり、リノベーションされるのを待っています。次の番かなと思っていたアパートにも囲いが出来ました。

このアパートが建ったころは、お屋敷の名残りの庭木を残す余裕があったようで、見事な桜の木や、たわわに実のなるびわの木が健在でした。残念ながら、びわの実には外から手が届きませんでした。

土地を有効活用するとなると、桜の大木やびわの木を残すのは難しいかなと思います。伐採して、最近の建物に多い、小ぎれいな植栽になるのかなと思っています。仕方ないこととは言え、寂しい限りです。

樹木にも寿命があるので、自然条件に恵まれている屋久島などのように、長寿の木を残すのは、都市部では不可能だとは思いますが、見事な桜の木が来年開花できるのかなと思うと切なくなります。

建ったころには、しゃれたアパートで、芸能人が住んでいたこともあったと思います。最近でも、アパートの前にロケバスが停まっているのを見たことが何回もあります。雰囲気のあるアパートでした。

西参道から曲がり、坂道を下って、このあたりの道を歩くようになって20年以上になりますが、少しづつ表情が変化しています。たくさんの外国人が探しあぐねていた刀剣博物館も両国に引っ越しました。

#びわの木 #取り壊し   #代々木山之内地区

自分(の仕事)史 2021年8月2日(月)

アパート探し

(写真は、最初に入居したセカンドアベニュー47丁目のアパート、ダグハマーショルドタワーです)

着いてからの最初の仕事は、アパート探し。子供はいないので、学校関係はなかったので、多くの駐在員が住む郊外ではなく、オフィスに通いやすいマンハッタンの高層アパートに住むことになりました。

マンハッタンのアパートは高値の花でしたが、借り上げ社宅にしてくれるので、夢の生活が現実になりました。家賃は安くはありませんでしたが、東京の外国人駐在員用アパートよりはだいぶ値ごろでした。

国連本部そばのセカンドアベニュー47丁目の角にあるアパートの家賃は、100平米で月30万円ほどで、買えば3000万円くらいだと言われました。家賃は東京の3倍、価格は3分の1くらいでした。

購入すると家賃補助が出ないという仕組みでしたので、最初から無理でしたが、その後の不動産バブルで不動産価格が高騰し、軽く1億円を超えることになり、まったく手が届かないことになりました。

オーナーが置いてあったきれいな家具やリネンを使って良いと言ってくれたので、ありがたく使わせてもらい、そのまま、まとめて引き取ることにしました。買い集める手間を考えると、ラクをさせてもらいました。

2年後、オーナーが戻るということで、借り上げ社宅家賃限度額の範囲内で、再度アパート探しをしました。日本人担当者のいる不動産屋さんには大変お世話になり、値ごろな物件を見つけました。

会社から歩いて10分ほど、売買価格は似たようなものでしたが、日本より広いアパートに住むことができ、電話などいろいろな手続きも済み、7年住むことになるマンハッタンくらしが始まりました。

#アパート探し #マンハッタン #ダグハマーショルドタワー

一週間(7月26日(日)~7月31日(土))

週刊日記

このまま、痛みが続くのかと思った足も、次第に小康状態になり、忘れることができるくらいになりました。尿酸値を安定させるクスリも飲んでいるので、歩き過ぎと言われないように注意をしたいと思っています。

今週は、毎日、リアル面会などの予定が入れました。東京海上グループのアドバイザー受託が終わったので、挨拶方々、お世話になった人と会ったり、海外に赴任する後輩をランチでお祝いしたりしました。

ディスタンスを取って、気をつけながら昼にやっていますが、なかなか、大っぴらには言えない感じです。日程を決めても、キャンセルになるケースも多く、落ち着いて会えることを願って、日程変更を重ねています。

重症者数、死亡者数をどう見るかという視点ゼロで、毎日感染者激増、病床逼迫が騒がれています。課題は、現状に合わせ、役割分担など、医療体制を再構築することではないかと思うのですが、そのままです。

一部の大病院やクリニックが暇だという話も聞きます。確かに、かかりつけの専門クリニックも、以前よりは空いている感じもします。このあたり、よくわからないまま、情報も出ないで、1年半経っているという感じです。

金曜日、1年半遅れで、甥のフォトウエディングが行われ、数人の親族が列席しました。この間に、女の子の双子が生まれ、注目を浴びていました。リスクもないわけではありませんが、やって良かったと思います。

オリンピック開会から一週間。無観客が原則とは言え、自粛要請の話とは真逆のベクトルになっています。収束に向け、理論的に対策を講じるのではなく、その場の思いつきでやっているように見えてしまいます。

ほぼひとりごと 2021年8月1日(日)

町田バスセンター

(写真は、小田急線町田駅のガード下を活用した神奈中の町田バスセンターです)

東急新玉川線(今の田園都市線)が開通する前、常時大渋滞だった玉川通りにバス専用車線が出来ました。歩道よりの車線が時間帯によってバス専用になりましたが、なかなか機能しませんでした。

歩道寄りの車線に駐停車中のクルマがあり、取り締まりも追い付かず、バス専用車線のメリットが活かせないことも多く、新玉川線が開通して、通過車両の絶対量が減るまでどうにもなりませんでした。

小田急線町田駅のガード下は、町田バスセンターになっています。バスセンターというと、バスタ新宿や名古屋やなどのように、もっと大規模なイメージですが、ここはコンパクトな構造になっています。

最大の特徴は、ひとつ前の停留所からバスセンターまで、真ん中の車線がバス専用になっていることです。真ん中の車線なので、駐停車するクルマや左折するクルマに邪魔されず、順調に走れます。

終日専用車線なので、最後は気持ち良くバスセンターのロータリーに入れます。乗車停留所は降車スペースと分離され、ロータリーの外側の歩道沿いに設置されているので、干渉されません。

小田急線のガード下で、3車線の道路を拡張し、到着するバスから降車するロータリーと、その外側の乗車停留所のスペースが確保できたという条件の良さもありますが、賢い選択だと思います。

町田バスセンターからの路線は各方面に向かっていますが、ひとつ前の停留所からは、どのバスに乗っても町田バスセンターに着きます。ラストワンマイルに一工夫した町田バスセンターでした。

#町田バスセンター #バス専用車線 #一工夫