ほぼひとりごと 2021年10月8日(金)

揺れました

(写真は、しばらく前に撮った、東京メトロ丸ノ内線新宿駅構内。夕べは人であふれたと思います)

10年前の東日本大震災の日は、出張で広島にいたので、戻ってから余震を経験しただけでした。最近、早寝なので、夕べはすでに眠っていました。スマホの地震警報が鳴りだすと揺れ始めました。

埼玉南部と東京都区内で震度5強と報道されていましたが、渋谷区は震度4でした。それでも、隣接する新宿区で停電になるなど、かなりの揺れでした。地震警報で目が覚め、最初はボーっとしていました。

少しして、テレビをつけると、発生当時の揺れている映像を見て、結構揺れたのだと感じました。新幹線や都区内のJR、東京メトロなどの地下鉄は地震による点検のため、すべてストップしていました。

10年前とくらべ、帰宅時間が過ぎていたこと、宣言が解除されても夜の人出が少なかったなど、事情は違っていましたが、電車が動かないので、タクシーを待つ長い行列など、帰宅困難者が多かったようです。

10年前の3月11日は、寒い中、夜になって電車が動いていないJR新宿駅のシャッターを閉めたことの是非が話題になりましたが、鉄道会社は安全第一、線路に人が入らないための措置でした。

このところ、日本列島で、やや強い地震が発生しているので、嫌な感じだとは思っていましたが、東京で10年ぶりに揺れる地震が起こるとは思っていませんでした。根拠のない安全バイアスだったと思います。

リスク管理の基本は、悲観的に準備して、楽観的に対応するということだと言われていますが、実際には起こらないと楽観し、起こってびっくりします。夕べの警報と揺れを忘れないようにしたいと自省します。

#10年ぶりの大地震 #帰宅困難 #初めての体験

ほぼひとりごと 2021年10月7日(木)

新しい車両

(写真は、横須賀線・総武快速線の新しい車両、E235系の普通車。ボックスシートはなくなりました)

2世代前の113系が横須賀線を走り始めた時は、全車両にボックスシートがありましたが、総武快速線と乗り入れ、混雑するようになり、ラッシュ時間に乗りやすいロングシートの車両が登場しました。

旅情という点では、ボックスシートに座って、鎌倉や内房を走るのは魅力的ですが、ラッシュ時間帯には厳しいものがありました。ヒザを突き合わせるような狭いボックスシートが嫌われ、埋まるのは最後でした。

E217系になって、ボックスシートのある車両は15両のうちの3両だけになり、情緒はなくなりましたが、ラッシュの詰め込みには効果があり、大量輸送向きでした。E235系はボックスシートが消えました。

その代わり、車内のデジタルサイネージが充実し、ドア上の2画面のほか、ドア間に3画面用意され、数年前から山手線を走っているE235系と同じになっています。工夫次第では可能性大です。

武蔵小杉駅が出来てから、横須賀線・総武快速線の最混雑区間が総武快速線の錦糸町付近から横須賀線の武蔵小杉付近変わって混雑度合いが増し、ラッシュ時間帯のボックスシートは無理だったようです。

東武、西武、京王、東急に登場した座席の向きが変わる車両が最近の流行です。横須賀線・総武快速線にも登場すれば良いと思いましたが、座りたければ、二階建てのグリーン車があります。

横須賀線で通勤したのは20年くらい前まででしたが、そのころの混雑でも、ボックスシートでは厳しいと思っていました。新しい車両、旅情は感じられなくなりましたが、乗り心地は格段に良くなっていました。

#E235系 #ボックスシート #サイネージ

ほぼひとりごと 2021年10月6日(水)

泰明庵

(写真は、みゆき通りから、泰明小学校前の細い道を曲がったところにあるお蕎麦屋さん、泰明庵です)

100年以上の歴史がある泰明小学校が出来てから、しばらく経ったころに泰明庵が開店しているようなので、名前の由来は泰明小学校で、60年くらい前に開店したようです。歴史のあるお蕎麦屋さんです。

狭い店内は、お昼時、一階も二階も満席になります。相席が普通なので、最初は少し緊張しましたが、壁に貼られたたくさんのメニューのどれを頼んでも、比較的早く出て来るので、回転の良いお店です。

お気に入りはかき揚げ丼。ごはんを覆うかき揚げと、ししとうの天ぷらが出汁の効いた汁をたっぷり吸って盛り付けられています。相席の人や近くのテーブルで何を食べているのか見るのも楽しみです。

何度も行っていますが、数多くあるメニューの中で、頼んだ種類はわずかです。珍しいメニューは冷やしカレー。冷たい麺類の上にあたたかいお蕎麦屋さんらしいカレーをかけたもので、これがたまりません。

普通のカレー蕎麦やカレーうどん、あたたかい麺類にかけるだけのものもありますが、冷やしカレーはグッドアイディアだと思います。レトルトカレーを使って、家で作っても、ほぼ同じように復元可能です。

泰明庵の近くに引っ越してきた銀座よし田同様、今どきの敷居の高い、気取ったお蕎麦屋さんほど凝ったお蕎麦ではありませんが、気軽に味わえて美味しいという点では、圧倒的に負けていません。

今の半分くらいの年令の時でも、かき揚げ丼一杯で十分でした。お蕎麦とセットで食べたいという誘惑もありましたが、食べるときは、かき揚げ丼か冷やしカレーの一本勝負、また、行きたくなりました。

#泰明庵 #かきあげ丼 #冷やしカレー

ほぼひとりごと 2021年10月5日(火)

東横店南館解体

(写真は、渋谷フクラス(東急プラザ)から東横店南館解体現場を撮ったものです)

ビルの解体というと、新宿駅西口にある明治安田生命ビルのように、ビル全体を覆い、いつの間にか内側から壊されていくというのが普通ですが、渋谷東急百貨店東横店南館の解体は違っていました。

1970年にJR渋谷駅南口と一体になって建設された東横店南館は、館内に文房具の伊東屋があったり、東横のれん街や、銀座線、東横線、山手線への乗り降りなど、長い間おなじみにしていました。

渋谷再開発は、東口にあった東急文化会館から始まり、東横店東館、東急プラザが消え、東横店西館、南館の解体で、スクラップの方はひと段落します。桜ケ丘地区は地区ごと再開発が進んでいます。

東横店南館には覆いはなく、上階から解体され、写真を撮った日には4階建てになっていました。レゴで出来ているような気がする解体方法でした。解体に使うクレーンが次第に下がっていくのだとわかります。

渋谷駅の鉄道、バス、人、物流などを止めず、スクラップアンドビルドをするのは大変なことだと思います。着手してから一応の完成までには20年近くかかる計画です。こどもがおとなに成長する長さです。

日々、工事は進捗していくので、今日見えた景色は明日には見られないこともあります。歩き回って、視点を変え、違った角度で見ることで、思いがけない風景が目に飛び込んでくることになります。

偶然、東横店南館があった場所を見て、こんな解体方法があったとは気づくことになりました。時計の針を逆に戻すような感じで、クレーンが下がるたびに解体され、最後は記憶の中に残ることになります。

#東横店南館 #ビル解体 #記憶に残る風景

自分(の仕事)史 2021年10月4日(月)

スターバックス

(写真は淡路町交差点に最近出来たスターバックス。モダンなデザインのお店です)

ニューヨークに引っ越したころ、世界中でスターバックスが増えていました。デリや屋台で1ドルも出せば、コーヒーが買えていたマンハッタンでも、おしゃれなお店として、あちこちで見るようになっていました。

エスプレッソベースの濃いコーヒーとラテ、それまでニューヨークにはなかったアイスコーヒーなど、スターバックスがもたらした新しいコーヒー文化はしっかり定着し、少し高いものの、どこでも同じメニューです。

オフィス近くのスターバックスで、Ventiという一番大きいサイズのコーヒーや紅茶を買って出社しました。ミニバケツほど大きく、午前中は大丈夫な量があります。紅茶はAwake、朝のめざめという名前でした。

日本のスターバックスには、Awakeという紅茶はありません。イングリッシュブレークファーストがたぶん、同じだと思います。朝のめざめという名前の紅茶、Awakeを注文するのは、なんとなく幸せな気分でした。

丁寧な、いらっしゃいませなどという言葉はありませんが、意外に効率的で、結構な行列が出来ていても、いつの間にか進みます。スターバックスらしい面倒なオーダーを聞ききながら、早くしてよとは思いました。

GAFAもそうですが、このころから、アメリカの新興企業が瞬く間に世界中に広まっていくようになりました。20年近く前の中国北京の故宮内、スターバックスがありました。もっとも、数年後に行ったら、ありませんでした。

積極的な投資と従業員の大量採用での出店で、大胆に事業拡大し、いつの間にか大きくなってしまいました。途中で挫折したり、成長が減速しても、次々と戦略を修正・増強して、乗り越えるパワーには関心しました。

#スターバックス #エスプレッソベース #コーヒー文化

一週間(9月26(日)~10月2日(土))

週刊日記

(写真は、菩提寺の近くにある谷中墓地から見えたスカイツリー。このあたりを歩くとあちこちで見えます)

9月26日に千秋楽だった大相撲。新横綱照ノ富士が13勝2敗で優勝しました。27日には白鵬の引退報道。Iいつかもう一度、国技館に行きたいなと思いながら、テレビ観戦をしていました。

9月27日月曜日、3年ぶりに成田空港に到着した話題の人。おなじみのJAL5便(昨日は8005便)でした。ニューヨークが妙に話題になるので愉快ではありませんが、賑やかになりそうです。

台東区谷中にある菩提寺のお墓が100年経ち、墓石が剥がれ始めたので、月曜日に石材屋さんと打ち合わせました。大将の雰囲気は太ってはいませんでしたが、TVドラマ寺内貫太郎みたいでした。

29日(水)の自民党総裁選は、いろいろな紆余曲折の末、一番、最初に出馬を表明した候補が勝ちました。安定はしている人物ですが、党役員や閣僚への忖度が続き、大きな変化はなさそうな感じです。

台風16号が日本列島に接近し、金曜日の東京は終日強い雨風でした。そんな中、組閣が進み、皇室関係の結婚が10月26日と発表されたりするなど、忙しい10月1日金曜日になりました。

緊急事態宣言が解除されたので、来週からは会食の機会も増えそうですが、応援している会社の商談や打ち合わせはビデオ会議が続くようです。オフィスを縮小するなどの動きも出ているようです。

感染者数は減少しても、第6波も想定されるのでマスク着用など自衛を続けます。強い雨風の中、バスで都内小旅行をした金曜日から、台風一過の晴天になった土曜日、代々木公園も賑わっていました。

#皇室 #自民党総裁選 #緊急事態宣言

ほぼひとりごと 2021年10月2日(土)

初乗り

(写真は、第一京浜国道ヤクルトホール前にある新橋駅前停留所に到着した京王バス052系統第1便。工夫次第で、通勤、用務、観光、それぞれに役立ちそうです)

自宅から歩いて数分のバス停から、新橋行の京王バス052系統が今日から走り始めるということで、台風16号が接近し、東京の風雨が強くなり、正気の沙汰ではないと言われましたが、初乗りしました。

渋谷駅から新宿駅西口(小田急百貨店前)停留所までは宿51系統と同じ。新宿駅西口バス停は、新宿区のコミュニティバス、WEバスと共用。新宿御苑前、四ツ谷一丁目を通って、大手町に向かいます。

大手町は、ファイナンシャルセンターグランキューブの車寄せにバス停があり、雨に濡れません。日比谷通りから晴海通りに入り、数寄屋橋、銀座四丁目の交差点を越え、東銀座交差点を右折します。

新橋駅前バス停はヤクルトホール前。雨風の強い中、銀座・有楽町で用事を済ませ、約5時間後に出る第二便で戻りました。第一京浜のJRガードを越えたところで右折し、新虎通りのトンネルを抜けます。

紀尾井坂を上って左折すると四ツ谷一丁目までが別ルート。新宿通りにある新宿御苑前バス停の先で靖国通りに入り、大ガードから左折して西口広場でUターンし、旧明治安田生命ビル前が新宿駅西口です。

新宿御苑に沿った一方通行の狭い道、半蔵門、英国大使館、千鳥ヶ淵と代官町通り、学士会館、大手町、数寄屋橋や銀座四丁目など、東京の名所を通ります。戻りの別ルートも東京名所めぐりです。

渋谷駅行が通る靖国通り以外は、渋滞や交差点を避けたルートでした。自宅最寄りバス停から大手町まで約40分、電車とそんなに違いません。直通バスの活用可能性を感じた初乗り、楽しい小旅行でした。

#京王バス052系統 #新橋駅前 #10月1日

ほぼひとりごと 2021年10月1日(金)

京王バス052系統新橋行

(写真は、代々木公園西門停留所に掲示された10月1日(金)からの京王バス新橋駅行時刻表。一日3往復です)

戦後間もないころから、しばらくの間、私鉄バスが山手線内まで乗り入れました。京王バスも、中野駅から新橋駅行や武蔵境駅から東京駅丸の内南口という路線があり、それぞれ一部区間は残っています。

東京駅丸の内南口で自宅方面に向かう経堂行の都営バス、東急バスの停留所の近くに、都営バス、小田急バス、京王バスの3社共同運行の武蔵境駅行のバス停があったことを薄っすらと覚えています。

1970年代の中ごろになると、今より渋滞がひどく定時には来なかったことや、地下鉄網が次第に整備され、乗り入れ路線は廃止されるようになり、京王(京王帝都)バスも全面的に撤退してしまいました。

中野駅新橋駅線は、途中の小滝橋車庫から新橋駅の間だけ都営バスの路線として残り、武蔵境駅線は、都営と京王が撤退し、小田急バスの小型車両が新宿駅と武蔵境駅間を一日に2本だけ走っています。

そんな中、突然、新橋駅行の京王バス路線052系統が今日、10月1日から走ると発表されました。渋谷駅新宿駅間は従来の宿51系統と同じ停留所に停まり、新宿駅と新橋駅間が新路線になります。

新宿駅と新橋駅間で停車するのは、新宿御苑周辺、四ツ谷駅周辺と大手町周辺だけになる急行バスで、往復で走るルートも違い、周遊ルートみたいになっています。往復すると、東京都心見物が出来ます。

発表されたダイヤは、一日3往復ですが、全線乗っても、料金は210円。使用するバスは、最新型の水素エンジンバス、趣旨が謎めいているような新路線ですが、ぜひ一度乗ってみたいと思っています。

#052系統 #私鉄バス山手線内乗り入れ #一日3往復

ほぼひとりごと 2021年9月30日(木)

VAN

(写真は、青山通り、表参道と外苑前の間にあるVANショップ。ささやかに営業中です)

小学校高学年のころ、新宿伊勢丹にボーイズショップが登場しました。しゃれっ気が出て、半ズボンでの通学が嫌だなと思う頃でした。ボーイズショップは、日本橋三越や渋谷東急百貨店にはありません。

ボーイズショップの主流はIVY。チェックのボタンダウンシャツやチノパンツ、コインローファーなど、住宅地の用品屋さんや靴屋さんにはない品揃えでした。その代わり、商店街にくらべて高い値段です。

中学から高校のころがVANの最盛期。VANの袋を持って歩くのがあこがれでした。流行を先導していた団塊の世代が中心で、少し下の世代の我々は、IVYの教科書メンズクラブを見て学習しました。

住宅地にある洋品店より値段が高かったので、気軽には買えない高嶺の花でしたが、普及して、いろいろなところにVANショップが出来るようになると、バーゲンセールも始まるようになりました。

団塊の世代が学生運動を経験したあと普通の社会人に変身したころ、一世を風靡したVANのブランドは商社に変われ、投げ売りが増え、次第にブランドイメージがなくなっていくようになりました。

そのうち、経営自体が行き詰り、過去のブランドとして細々と営業を続けているという状態でしたが、少しだけ盛り返し、団塊の世代の大人買いを狙ったのか、値段も上げ、デパートにも出ています。

根強いファンはいるようで、青山通りに面した小さなビルの中、お兄さんブランドのKentのロゴを前面に出したVANショップが営業中です。いつか、もう一度行ってみようかなと思っています。

#VAN #KENT #アイビールック

ほぼひとりごと 2021年9月29日(水)

玉川上水

小学生のころ、新宿から京王電車に乗って、下高井戸で玉電(世田谷線)に乗り換えて家に帰ると、甲州街道から、玉川上水に沿った専用軌道に入るあたりの右側の車窓にガスタンクが見えてきました。

大きなガスタンクはこちらに迫って来るようで、怖かった記憶があります。円筒形のタンクはなかなか小さく見えるようにはなりませんでした。西参道の踏切を越え、電車が初台駅に近づくとホッとしました。

京王線が地下を走るようになって60年近く、ガスタンク跡は東京瓦斯が事業主体となったパークタワーになり、文化学園も建て替えられ、京王線の線路と玉川上水の跡は、人が歩ける広場になりました。

新宿の喧騒も、このあたりまで来るとやや遠ざかり、静かになります。道路上を路面電車のように走っていた当時の京王線も専用線路に入るとのびのびと走るようになり、今の緑道を初台駅に向かいます。

文化学園の敷地に入り、玉川上水跡の説明付きの赤いレンガアーチのあたりになると、繁華街のイメージはありません。ファッショナブルな文化学園の学生や、オフィスへと行き来する人たちが交差します。

新宿や渋谷の周辺は、玉川上水のような江戸の水道を担った水路や、春の小川の源流、一時パワースポットで賑わった明治神宮の清正の井戸や新宿御苑にある水源など、あちこちに水が流れています。

赤いレンガのアーチの他、玉川上水の痕跡はありません。聞こえて来るのは、地下を走る京王線の電車の音だけですが、もう少し耳を澄ませると、水が流れている音が聞こえて来るかも知れません。

#玉川上水 #文化学園 #ガスタンク