自分(の仕事)史 2021年9月20日(月)

レッドアイの思い出

(写真は、レッドアイで到着したJFK空港から眠たいままに乗ったタクシー。数年前に乗った時には、クレジットカードが使えるようになっていました)

サンフランシスコを23時ころ出発する夜行便は、5時間弱の飛行時間で、3時間の時差があるニューヨークJFK空港に朝7時頃に到着します。タクシーで市内に向かい、そのまま、仕事を始めます。

夜行便は、寝不足になるということでレッドアイと呼ばれています。ディスカウントエコノミーチケットを買って、ディスカウントしないビジネスクラスにアップグレードできればラッキー、宝くじみたいでした。

エコノミークラスでも空いていて3席使って横になれれば、ビジネスクラス以上にラクでしたが、横になっているとカートを押して狭い通路を歩く体格の良い乗務員のお尻がぶつかることもありました。

長距離便のレッドアイでは、当時、食事が出されました。エコノミークラスの時は断って眠ったこともありましたが、ビジネスクラスにアップグレード出来た時は欲が出て、リッチな夜食を食べてしまいました。

十分眠れないまま、お腹がもたれた状態でJFKに着くことになります。やめた方が良いとわかっていても、フルーツサラダなど、魅力的なメニューが出る時は、朝ごはんまで食べることもありました。

気流の関係での早着することも多く、実質的な飛行時間は4時間と少しです。食事をすると、お昼寝程度の睡眠も難しいまま、朝7時に到着します。空港からのタクシーの中、眠くてたまりません。

20年ほど前だったから耐えられたレッドアイ。今だったら、到着後バタンキューして、全面休養しないとダメだと思います。うとうとしていると聞こえてくるJFK空港到着のアナウンス、悪魔のささやきでした。

#レッドアイ #大陸横断 #アップグレード

一週間(9月12日(日)~9月18日(土))

週刊日記

(写真は職場でのブログ発信のきっかけになった9.11事件の舞台、マンハッタンのダウンタウン。ブルックリン側から撮りました)

9.11のあと、いろいろな人から来る問い合わせすべてにこたえられないことから、9月12日から、自分ブログでのリアル発信と、職場のみなさんの不安を少しでも鎮めるための職場ブログ発信を始めました。

職場向けには、英語と日本語で発信しました。自信のない英語についてはTOEICのスコアの高い後輩にチェックしてもらってから出すようにしました。毎日、厳しい添削をしてもらうことになりました。

9.11のあとひと月間は問い合わせも多く、自分ブログ(今の岡田さんのあれこれ)www.akihiko.comへのアクセス数も激増し、アメリカのヤフーからリンクしないかというお誘いがあったくらいでした。

20年経った9月12日までだった東京の緊急事態宣言は9月末まで延長になりました。飲酒とか、県外移動の規制緩和も話題になり、感染者数も落ち着いたように見えますが、油断は禁物です。

相変わらず、医師会などの関係者やマスコミがそれぞれの立場と利害で言いたい放題です。感染者数、重症者数、死亡者数、入院数と待機者などの統計をきちんとした分析をしてほしいと思います。

19日に公示された自民党総裁選は今の首相や幹事長と以前の首相たちとの代理戦争の様相もありそうです。4候補には、少なくとも、「戦争はしない」、「国民のくらしを守る」と断言してほしいと思います。

12日日曜日からの大相撲秋場所は、部屋の力士の陽性で白鵬が休場したので、一人横綱ですが、一度、序二段まで落ちて這い上がってきた横綱照ノ富士が登場し、7日目まで全勝で独走しています。

#9.11 #職場へのブログ発信 #照ノ富士

ほぼひとりごと 2021年9月18日(土)

次は終点新宿

(写真は、しばらく前の昼下がり、代々木八幡駅を通過する小田急線快速急行新宿行最後部車両のガラガラの車内。次は終点新宿です)

町田で乗った時から、少なかった乗客が代々木上原で千代田線に乗り換える人もいて、代々木八幡駅を通過する快速急行新宿行の最後部車両には数人になってしまいました。次は終点新宿です。

いつも混んでいるイメージだった小田急の快速急行、このような状態になってすでに1年半経ちます。平日の昼下がりの車内はガラガラです。10両編成で運転していますが、1両でも全員が座れます。

小田原からの快速急行と藤沢からの快速急行がそれぞれ20分おきに運行され、町田のひとつ手前の駅相模大野からは10分おきです。急行も新百合ヶ丘から10分おき、各駅停車も10分おきです。

向ヶ丘遊園から代々木上原まで複々線になったので、20分おきの特急が加わっても、また、朝ラッシュ時にはさらに増発しても、スムースに走ることができます。複々線の効果は絶大でした。

事故などが発生した時には、千代田線乗り入れが中止され、東京メトロやJR東日本の車両がいつもは行かない新宿行になることもあります。代々木へ向かう陸橋で東京メトロ車両を見たことがあります

鉄道会社にとっては、乗客が減るのは死活問題ですが、朝の殺人的なラッシュが緩和され、そのためだけの設備や車両、人員を揃えなくても良いというメリットもあり、乗客は大歓迎になるはずです。

ここまでガラガラだと大丈夫かなと心配になりますが、乗客にとっては、ありがたいことです。一度経験した快適な状況が続いたまま、経済社会がまわるようになればと思いました。次は終点新宿です。

#快速急行 #ガラガラの車内 #終点新宿

ほぼひとりごと 2021年9月17日(金)

数寄屋通り

(写真は、銀座6丁目の数寄屋通り、オフィスが近かったので、なじみのある通りでした)

オフィスから近かったので、銀座6丁目の数寄屋通りのお店には結構行きました。一番なじんでいたのは歯医者さん、たぶん、写真に写っているビルにあったのだと思いますが、今はありませんでした。

紹介してもらったやさしい歯医者さんでしたが、奥さんによると見立ては良いのだけれども、治療が今一つとのことでした。きちんと治療してもらいましたが、奥さんの言っていることもわかりました。

キッコーマンのたれを使う、キッコーマン直営の串焼き屋さんは、ランチなら雰囲気の割に安くて美味しかったのでごちそう気分で何度も行きました。夜になって値段は変わりましたが、何回か行きました。

ランチタイムは安い値段の小料理屋さんで、夜にも来たいと話したら、20代には無理とはっきりと言われました。そのころ、小料理屋さんの雰囲気を味わったお店の中には、今でも残っているお店もあります。

数寄屋通りには、上司や知人に連れて行ってもらったミニクラブやスナックもありました。高級クラブやバーではないので、割り勘を払える程度の値段でしたが、少しおとなになったような気分になりました。

数寄屋通り自体は、以前と同じような感じで再開発が加速されてはいませんが、なじんでいたお店が代替わりし、新しい行列店も出来ていました。有名ないわし専門のいわし屋は10年前に閉店しました。

前を向いて歩いていると気づきませんが、ふっと横を見ると、お店の間に、狭い路地が見える場所も残っていました。路地の奥にも入りたくなる銀座6丁目の数寄屋通り、おとなの入り口だったと思います。

#数寄屋通り #おとなの入り口 #歯医者さん

ほぼひとりごと 2021年9月16日(木)

ロマンスカー発車

(写真は、箱根湯本行のロマンスカーEXEαが発車準備中の小田急線新宿駅ロマンスカーホーム。乗りたいですね)

昔、小田急ロマンスカーには、注文を取って座席まで持って来てくれる、日東紅茶と森永が運営する走る喫茶室というサービスがあり、新宿から小田原までノンストップで贅沢な気分を味わえました。

最初に乗ったのは幼稚園のころ、ロマンスカーのシンボルSE車が登場する前の、紺と黄色のツートンカラーの車両、たぶん、1700型だったと思います。夢のような気分を味わった記憶があります。

小田急線駅から玉電やバスで行くところに住んでいたので、ロマンスカーに乗る機会は多くなかったですが、走る喫茶室で頼んだ日東紅茶を飲み、時には万世のカツサンドを食べた記憶があります。

その後、新宿から小田原までノンストップのロマンスカーは次第に減り、途中駅に止まるようになり、走る喫茶室もシートサービスを止め、ワゴン販売になり、今は、ワゴン販売もやめてしまいました。

ロマンスカーは、気軽に使える座席指定着席サービス列車として、新百合ヶ丘や町田など、新宿から20分か30分で行けるところでも、ロマンスカーの夢を乗せて、便利に使われるようになっています。

新宿駅に到着したロマンスカーは、東海道新幹線東京駅同様、手際よく、座席の向きを進行方向にし、車内清掃を行い、発車準備作業を行い、5分前くらいになるとドアを開け、乗客を乗せて出発します。

千代田線やJR御殿場線に乗り入れるMSE、先頭車に座れるロマンスカーVSE、GSEと、写真のEXEαの5種類の車両があります。多少ビジネスライクになりましたが、夢のロマンスカーは健在です。

#ロマンスカー #走る喫茶室 #新宿駅

ほぼひとりごと 2021年9月15日(水)

銀座よし田

(写真は、数年前、一年間のブランクのあと、銀座七丁目から銀座六丁目に引っ越した銀座のお蕎麦屋さん、よし田。狭くなってビルの2階だけになっています)

100年以上続いていると言われている銀座よし田が閉店した時はガックリしました。銀座としては安く、気軽に使えるお蕎麦屋さんでした。池波正太郎にならって、蕎麦屋で一杯という粋な経験をしました。

大して飲めるわけではありませんが、ホッとした時間を過ごせる店を楽しめました。つみれの親戚のようなコロッケが乗ったコロッケそばが有名だと言われていましたが、注文したのは1回だけでした。

銀座の老舗という気どりはなく、レジの下できれいな毛並みの黒猫が店番をしていました。鴨鍋や湯豆腐、板わさや焼き鳥、天ぷらなどをおつまみにして、ゆったりとお酒を飲める銀座のお蕎麦屋さんでした。

お店の人にも認知され、21時過ぎの閉店時間まで長い時間お世話になりました。この店で、接待している人が増えるのは景気が悪い時。同伴出勤や出勤前のクラブのママからも、景気が窺がえました。

夕方から、時間帯によって、客層が変化するのも面白く、1階フロアの小さな椅子に座っているだけに銀座のお蕎麦屋さんの風情を楽しめました。2階と3階にはお座敷があり、予約も可能でした。

1階フロアは、忙しい時期がダメだったと思いましたが、18時半までは席を席の予約が可能でした。なじんでくると、端の方の席に座らせてもらいました。狭くなった新しい店では、なかなかそうはいきません。

一年後に再開し、のれんも味も同じでしたが、長くつとめたお店の宝だった従業員のみなさんの姿が消え、雰囲気も少し変わりました。従業員に申し訳なかったという女将さんの表情が印象的でした。

#銀座の黒猫 #同伴出勤 #老舗の宝

ほぼひとりごと 2021年9月14日(火)

オリンピックシンボル

(写真は、JOC前にあるモニュメントのオリンピックシンボル。写真を撮るための行列が出来ていました)

数日前の昼下がり、久しぶりに神宮外苑散歩を再開しました。ゴルフ練習場が使えず、一部は作業中ですが、7月下旬から始まった神宮外苑の歩行規制もやっと終わり、警備の数も減っていました。

新国立競技場建設のあおりで、明治公園とタクシーの運転手さんが使い易いトイレと一緒に壊された日本青年館は豪奢なビルに建て替えられました。その隣は、日本オリンピック委員会(JOC)です。

JOC前のオリンピックシンボルは大人気。オリパラが終わっても、写真を撮るための行列が出来ていました。シンボルのところで写真を撮ると何か良いことがあるという伝説が出来ているのかも知れません。

Wikipediaによれば、明治神宮造営とあわせて出来た洋風庭園が明治神宮外苑だそうです。学徒出陣式など、歴史の証人になっていますが、例によって、大規模な再開発計画があるようです。

JOCと日本青年館、新国立劇場の建設と、スケート場の改装は終わり、三井不動産グループのホテルも開業しました。そのかわり、明治公園、タクシー運転手さんのトイレ、霞ヶ丘団地などが消えました。

広い神宮外苑なので、全体のイメージに変化はありませんが、周辺には高層マンションも建ち始、なんでこんな場所にあるのかと不思議だった歴史のあるちゃんぽん屋さん、水明亭も消えてしまいました。

JOC前のオリンピックシンボル前の行列を見て最初に思い浮かんだのはポケモンGoでした。早朝散歩をした時に撮ってみようかなと一瞬思ったくらいの行列でした。たぶん、やらないと思います。

#神宮外苑 #JOC #オリンピックシンボル

自分(の仕事)史 2021年9月13日(月)

財布の場所

(写真は、ニューヨークに行く時に使っていた財布。ニューヨーク州のドライバーズライセンス(失効)やドル紙幣が入っています)

幸い、ニューヨークでトラブルに巻き込まれたことはありませんでしたが、犯罪が多く、お尻のポケットに財布を入れるのは危険だと言われたので、確認しやすい前のポケットに入れることにしました。

日本では小銭入れも使っていますが、反対側のポケットに、紙幣と小銭をそのまま入れることにしました。主にチップ用の1ドル札と、何かと便利な25セント玉です。すぐに取り出せるようにしました。

持ち歩くクレジットカードとキャッシュカードも最小限にし、あとはドライバーズライセンスを入れるくらいにしました。ドライバーズライセンスは、、飛行機に乗る時などに必要になる顔写真付きIDカードです。

日本で米ドルパッケージに両替すると、50ドル札や100ドル札が入っていますが、20ドル札以上の紙幣を使うことはありません。50ドル以上紙幣は偽札かどうか、しっかり調べられたことがありました。

100ドルを超えるような買い物や食事には、クレジットカードを使うことがほとんどです。20ドル札が普通に流通している最高額紙幣でしたので、日本の1万円札と同じくらいのイメージと思っていました。

20年前のランチでも、テーブルサービスのレストランでしっかり食べると20ドル以上。デリや屋台などで、ホットドッグやベーグル、サンドイッチなどを買うと数ドル、屋台でのバナナは4本で1ドルでした。

今でも、財布を前のポケットに入れることを習慣にしています。モバイル決済が増えたこともあり、カードの枚数を減らしたいなと思っていますが、会員カードなどや診察券なども加わり、ふくらんだままです。

#20ドル札紙幣 #マンハッタン #財布

一週間(9月5日(日)~9月11日(土))

週刊日記

(写真は、オリ・パラ期間中通行禁止だった外苑西通りの国立競技場前。前にある有名なラーメン店、ホープ軒は営業中です)

9月5日日曜日の都内のマラソンでパラリンピックが閉会したあと、一旦は秋らしくなった気温が木曜日から暑くなりました。世の中の話題は皇室関係の話、コロナ、自民党総裁選関連が中心でした。

神奈川で支店長をしている時、先方は覚えているとは思えませんが、神奈川県選出の現首相、有力候補ともあいさつ程度の言葉を交わしたことがあります。適材適所という点で複雑な気持ちです。

土曜日は9.11から20周年、あの時から確実に世の中が変わりました。いろいろな意味で日本もテロに無関係ではありません。虚勢を張って国民をリスクにさらすリーダーは歓迎できません。

9.11は、アフガニスタンやイラク侵攻の理由にされ、サウジアラビア出身のオサマビンラディンが暗殺されるという結果になったものの、アメリカの侵攻のおかげで、リスクは減るどころか増しました。

国と国が、宣戦布告をして開戦するという昔の戦争ではなくなっていますが、理由をつけて、相手を成敗するということでの侵攻や攻撃は、桃太郎の鬼退治から一歩も進んでいないような感じがしてなりません。

週末には、20周年記念番組が日本でもアメリカでも盛んに放送されていました。9.11を現地で経験したことで、普通と思える生活をすることが貴重だと痛感しました。毎日を楽しみたいと思っています。

#週刊日記 #自民党 #9.11

自分(の仕事)史 2021年9月11日(土)

あれから20年

(写真は、2000年11月にワールドトレードセンターにあった第一勧業銀行(当時)を訪問した際のIDカードです)

破壊されたワールドトレードセンターには当時の富士銀行、第一勧業銀行が入居し、.破壊されずに残ったファイナンシャルセンターに野村証券、メリルリンチ証券などのお客さまが入居していました。

営業活動で訪問する時には、早めに地下鉄で現地に向かい、クリスピークリームドーナツのお店で、自動で揚げられるドーナツを眺めたりして、時間をつぶしてから手続きをし、エレベーターに乗りました。

ワールドトレードセンターでは、毎回、プラスティックで出来た入館証を発行してくれました。当日だけ有効で持ち帰ることができるので、手元に残っていました。記念というには苦い思い出になっています。

ツインタワーになっていた、ワールドトレードセンターがこの世から消えて20年。目をつむると、破壊される前の姿が思い出されます。飛行機が突っ込んで崩れた瞬間は下を向いていたのか見ていません。

9.11の後、現地に見物したいという出張者も多かったのですが、とても同行する気にならなかったので、リムジンを頼んで行ってもらいました。しばらくして、営業再開した会社を訪問することにはなりました。

当日は、近くのデリで食料と飲み物を買って、出勤してきたスタッフに渡し、気をつけて帰宅してと願って送り出しました。全員が無事帰宅したことを確認できたのはその日の深夜になってからのことでした。

NTTコミュニケーションズ社長から激励FAXを送ったという秘書からの電話に、全員が復旧作業で出払っているので、留守番のベライゾン社長が直に出たことで、通信キャリアとしての使命感を感じました。

#9.11 #ワールドトレードセンター #通信キャリアの使命感