自分(の仕事)史 2020年8月24日(月)

(成長は続く)⇒家庭用FAX

1978年に、申し込めばすぐ設置できることになっても、固定電話の成長は続いていました。ピークを迎え、設置数が減り始めるのは、21世紀を迎えてからになります。

民営化して、成長がピークになるまでの15年間は、テレホンカード、テレホンサービスなどから始まり、電話回線を使ったさまざまなサービスが百花繚乱状態になりました。

宴会や会合のお知らせが、手紙からFAXに移り、言った言わないというもめごともないことから、一気に普及し、FAX紙を持って、宴会に出かけるのが普通になりました。

ポケットベルを使った出会い系サービスの走りや、伝言ダイヤル、ダイヤルQ2のような風俗系サービスや、偽造テレホンカードなど、問題も発生することになりました。

そんな中、2年半過ごした、名古屋から、東京に戻ることになりました。営業関係の課長だったのが、1987年2月に広報部の報道担当課長として着任しました。

民営化のためのCIや、NTTとしてのイメージチェンジで、広報部は突然脚光を浴びることになりましたが、新聞記者対応を中心とする報道担当は縁の下の仕事中心でした。

うまくいって当たり前、妙な記事が出たりすると、社内外から抗議を受ける立場でした。着任して感じたのは、民営化によるご祝儀相場が終わりかけているという事実でした。

家庭用FAXや、FAX専用通信網をどう売るかなど、営業推進の仕事に専心していた、名古屋でのポジションから、重要だけれども、あいまいなミッションの職場になりました。

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