自分(の仕事)史 2020年8月31日(月)

(新聞記者)

幸い、通産省に出向しているころ、新聞記者との接点はあり、大臣出張に同行した記者の人たちなど、いろいろな議論や話ができる人と知り合いになっていました。

役所みたいだった電電公社時代から、記者クラブがあり、クラブの部屋と広報部報道担当の部屋とは、相互に自由往来できるようになっていて、共存共栄状態でした。

担当課長は新聞記者担当の窓口の役割を担っていました。麻雀をしない、お酒もあまり飲まない、ゴルフをやらない自分につとまるか不安でしたが、なんとかなりました。

通産省時代から、狎れ合いではなく、互いの立場をわきまえながら、率直な情報交換や意見交換をしたという経験が生きたのだと思います。肩に力を入れずに済みました。

通産省時代もそうでしたが、20代や30代前半であるにもかかわらず、幹部層と話をする機会も多く、えらい人だからと遠慮も忖度もできない経験をすることができました。

生意気にも自分の意見を堂々と言ったことが、そのあとの人生で、良かったのか悪かったのかはわかりません。今思えば、やり過ぎと思われたのかも知れません。

新聞記者のみなさんと対等に話をする機会を持てたということは、大変貴重な経験だったと思います。今、報道されている記者のみなさんとは違っていたような気がします。