自分(の仕事)史 2020年8月10日(月)

(民営化しました)

1985年3月31日と4月1日の間に大きな差があったわけではありませんが、気持ちは変わったという意識は結構大きかったと思います。明日は今日ではありません。

これまで、ほぼ官営の電電公社で、国の予算と一緒に作られていた事業計画でしたが、最初は形式的な面もありましたが、独自に事業計画を作成することになりました。

以前は、国会での承認が必要で、国の予算作成プロセスと一緒でした。民営化してからは、監督官庁の郵政省の認可という形式になりました。これはこれで大変でした。

逓信省として、一緒だった郵政省ですが、民営化論議の中で、政治や人事も巻き込んで、立場を異にすることもあり、民営化までの間、激しい権力闘争がありました。

最大の課題は、一社で民営化するか、国鉄のように分割するかということでした。国鉄で深刻だった組合の問題がなかったこともあり、結局、こんな形になりました。

それでも、この課題は消えたわけではなく、その後も競争導入、規制の在り方などと一緒に、議論が続き、事業ドメインの見直しと引き換えに、1999年分割しました。

1985年4月1日は、将来、分割されるとか、事業ドメインが見直されるなどとは考えず、民営化して良かったと思われるようにしたいということがみんなの気持ちでした。

国鉄も同じか、組合が強かったことと、恒常的な赤字だったことで、電電公社よりも民営化のインパクトは大でした。エキナカが整備された今からは想像もできません。