自分(の仕事)史 2020年3月23日(月)

(分岐点)

1979年から2年半の通産省出向(通商政策局中東室)、電電公社に戻って1982年から1年半の計画局総括課収支調査係勤務が、自分にとっての分岐点でした。

この2つの職場で、自分とは何か、チームのちからとか、いい意味でも悪い意味でも、多くの上司や同僚との付き合いなど、社会人として、貴重な経験を学習しました。

入社して4年余は、学生気分が抜けないまま、見習いや、研修付きのポストで仕事をしていました。今、思えばのんびりしていることですが、一人前になった気がしました。

細い道の分岐点、どちらに行けることになるかはわかりません。どちらも細い道ですが、片方だけが歩くにつれ、次第に広い道になったのだと、あとから気づきました。

電電公社に入社して4年半、出向した通産省では、国を支える若手官僚のような気持ちで仕事をしました。早朝から深夜まで、休んだ記憶も少ない時間を過ごしました。

自信をつけて戻った電電公社計画局では、民営化という大きな課題の前に、自分の知識や経験をリセットし、あらたな気持ちで、仕事しなければならなくなりました。

自分だけでなく、電電公社も、大きな変化に直面し、重大な分岐点に立っていました。この時期に、将来を左右する仕事についたのは、幸せなことだったと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です