自分(の仕事)史 2020年11月23日(月)

(記者クラブ)⇒車内ニュース

当時の広報部報道担当の隣は、葵クラブという名前の記者クラブでした。逓信省が郵政省と電気通信省に分割した際の庁舎の住所が赤坂葵町だったからと聞いています。

電気通信省は3年後に国鉄、専売公社と同じ公共企業体、日本電信電話公社(電電公社)になりました。1960年ころに、千代田区内幸町の新築ビルに移転しました。

そんな縁で、官庁と同じように、社内に記者クラブがあり、記者が常駐していました。場所を提供しているのが、是か非か、議論もありますが、そのころは普通のことでした。

記者クラブの正会員は中央紙・一部の専門誌や地方紙とNHKでした。民放各局や週刊誌の問題は、広報部にいた1980年代後半でも、すっきりしていませんでした。

最近は忖度報道とか、都合の良いニュースだけ、広告などをエサに報道操作と言われたりしますが、当時は、根本のところでは記者魂が前面に出た、厳しい取材でした。

確かに、記者のみなさんとは親しくなり、野球大会でコテンパチンにやられたことや、宴会もしましたが、割り勘でのイベントも増え、取材態度はフェアだったと思います。

いろいろな議論があり、民営化後も記者クラブは残りましたが、分割後は違った形になり、電気通信関連業界すべてを対象にしたクラブに衣替えしたと聞いています。

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