気ままなおもいつき 2019年11月11日(月)

(15年後の現実から考える)

通産省での仕事から15年後、ニューヨーク勤務を経験することになりました。ジャパンアズナンバーワンの余韻がある、日本人駐在員が元気だった時代の最後でした。

ロックフェラーセンターや、映画会社が日本企業に買われ、日本の土地の値段と、アメリカの土地の値段が同じと言われた時期が日本の最盛期だったと思っています。

マンハッタンのソニービルや、タイムズスクエアの日本企業の看板など、日本の露出はすごかったですが、慣れるに連れ、違和感を持つようになりました。

家電量販店に並んでいるソニーのテレビの値段は、アメリカ製、韓国製と変わりませんし、高級車ブランドのレクサス以前のトヨタや日産は、安くて丈夫が売り物でした。

グローバル企業に肩を並べることのハードルの高さを痛感しました。他の企業もそれぞれの市場や分野で苦労していました。ソニーやトヨタの現実と同じでした。

後発だった、韓国や中国製品の品質向上、アメリカ式の大量生産をさらに改善した日本式生産の普及などにより、日本の強みが徐々に失われることになりました。

改良によって、商品価値が上がって、市場をリードできた工業製品と違い、ソフトウエアや、OSなど、ITにつながる分野は創造力と英語が必要な分野でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です