今週の「思いつくまま・・」2018年10月15日(月)

ニューヨークに勤務したのは、1996年から2003年。ジュリアーニ市長の割れ窓理論で、建物の窓を割れたまま放置しておくと、治安が悪くなるという考え方で、いろいろな施策を行い、マンハッタンも少しづつではありますが、徐々に安全な街へと変わりつつある時期でした。

そのころのガイドブックの注意事項にあった、ケチャップを上着に付け、ごめんなさいと脱がせたところで、財布などを抜き取るケチャップマンや、お酒のボトルで似たようなことをやるボトルマンにはあわずにすみましたが、寸借詐欺みたいなのにはあい、20ドル札を渡してしまいました。

それでも、7年間、9.11という大事件はあったものの、身の回りの危険を感じることなく、過ごせで良かったと思います。一度、パスポートを紛失し、再発行のための証明書を取りに、ニューヨーク市警のたしか、17分署という警察署に行きましたが、その雰囲気に圧倒された記憶があります。

薄暗い建物の中に入り、担当を探し当てると、どこで失くしたのかをしつこく聞かれました。考えてみれば、どこで失くしたかわからないので困っているので、答えられるわけはないのですが、何度も聞かれました。つまりは、その分署の管内で失くしたかどうかということでした。

薄暗い警察署の中は、どの人が犯罪者で、どの人が警察官か、にわかにわからない感じでした。ゴージャスなマンハッタンの街なかとは思えず、この管内で失くしたと言って、証明書をもらって、外の光を浴びた時の解放感と、建物の中と外との格差を痛いほどに感じました。

そのころ、景気の良いアメリカでしたが、格差は確実に広がっていました。ホームレスも少なくありませんでしたが、高価はブランドショップや、予約の取りにくい高級レストランもあちこちに。日本は格差が大きくなくて良いなと思ったのもつかの間、成長しない日本の格差はそれ以上になったことに帰国後、気づくことになりました。

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