今週の「思いつくまま・・」2018年6月18日(月)

四国・松山の生活は2年2か月で終わりました。その後に行った、ニューヨークと並んで、第2のふるさとそのものです。公私ともに、いろいろなことを学びました。国会議員や地元経営者など、その後に影響を及ぼすことになる交友も出来ました。良いこと、そうではないこと、それぞれに、経験させてもらいました。ありがとう、松山です。

戻ったのは、本社総務部。四国支社営業部長から、総務部担当課長への異動です。普通、支社とは言え、営業部門が花形ですが、元役所のNTTでは、総務部門の地位が高く、間違いなく栄転ですが、地元からは、何か悪いことをしたのがばれて左遷かと言われました。地元紙に載ったので、みなさんが知っていました。

通常、NTTの人事異動は、民営化前は2年、民営化後でも3年が普通でした。総務部へもそのつもりで転入しましたが、6年間在職することになりました。途中で担当課長から、担当部長に呼び名は変わりましたが、仕事は同じ、6月の株主総会運営と、あとは総務部らしい、いろいろな仕事です。

政財界を震えさせた、リクルート事件後に総務部に転入しました。その後に、リクルート事件の影響があったような事件が発生し、本社部長ほかが逮捕されるということになり、警視庁捜査4課の担当が会社に常駐して取り調べをすることになりました。尊敬していた先輩の逮捕という結果を悔やみましたが、それで幕引きでした。

最後の1年余りは、30年以上本社だった日比谷から、初台への移転と、当時言われていたOA化などを担当しました。日比谷からの引っ越しはほぼ全幹部難色を示しましたが、当時の社長と幹部一人だけが賛成でした。リクルート事件も終わって、気分一新が理由でした。社長を3つ10年以上つとめた今は同感できます。

仕えた総務部長は3人。2年毎でした。途中4年ほど経ったころ、異動という話がありましたが、引継ぎを始めてから中止になりました。一旦、やらなくてすむかなと思った株主総会、残留が決まったあと、テンションを戻すのに時間がかかりましたが、結局そのあと、2回担当し、合計6回やって、次の職場へ異動しました。

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