今週の「思いつくまま・・」2018年6月11日(月)

リクルート事件の前触れみたいな事件や、大韓航空機爆破事件の犯人とされた金賢姫にNTT社員が関わっていたのではという事件など、広報部時代には、新聞・テレビが興味を持つ社会部ネタがありました。それでも、社長が逮捕された、リクルート事件に比べれば、規模は小さく、記者会見もわれわれレベルでどうにかなりました。

台風のようなリクルート事件が起こりかけ、川崎市の助役がリクルートから未公開株を受け取ったなどの報道があったころ、四国、愛媛県松山市に転勤しました。その時、もらったのが、夏目漱石の「坊ちゃん」の文庫本。明治時代のようなのどかな生活をして来いということでしたが、正直、行きたくはありませんでした。

飛行機で1時間半程度ですし、全日空独占のところに、JALも参入し、便数も増えていますが、飛行機代は今ほど安くないし、インターネットも普及する以前の1988(昭和63)年ですから、雑誌の販売日も東京より遅く、悪い言葉で言えば、島流しの気分でした。それが2年半で第2のふるさとのようになります。

四国4県でのNTTの売り上げは、全体の3%と小さな存在でした。それでも、営業部長ですから、仕事の範囲は広く、部外の方との接触や、会合などもあって、30代中盤でしたが、大人として扱ってもらったことで、仕事、宴会など、後年役に立つマナーを楽しみながら、覚えることができました。

風光明媚で、食事もおいしい四国でしたが、唯一残念だったのは、ラーメン。豚骨味に水あめを入れた甘いスープで、麦麹の味噌汁や、香川県の餡入り餅の雑煮などと同じようなテイストには、慣れませんでした。数少ない高知の屋台の甘くないラーメンを食べに、週末峠越えのドライブをしたことがあります。

経営者ではありませんでしたが、担当者や中間管理職としての視野ではなく、マネジメントとしての視野を少しだけ、身につけ、さらに、バブル崩壊前の、にぎやかなアフター5の雰囲気、地元トップと触れ合うなど、東京ではとても無理な経験をすることができました。帰るときには、最初と大違いになりました。良い体験だったと思います。

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