今日も思いつくまま・・2018年4月23日(月)

少し急ぎます。電電公社の始業は8時半でした。会社の始業は普通9時だと思っていたので、大ショック。入社1年4か月後の本社研修の際は、お茶くみ、机の掃除もあって、8時前後に出勤。いくらでも寝坊できた当時、つらかった記憶があります。学生時代は、面倒なら、行かないという選択可能な日が多かったので、余計です。

本社研修の時、係長や課長補佐は、8時半より遅く、ゆったりとした出勤でしたが、自分が通産省出向から戻り、本社係長になったときには、総裁が民間企業から来たこともあり、上司が8時前に出勤していたので、さらに早くなりました。そのころの通産省の実質始業時間が遅く、9時半から10時だったこともあり、慣れるまで、つらい日々でした。

通産省の時は、朝遅いかわりに夜も遅く、ほぼ午前様で仕事がありました。国会待機でのバカ待ちの時もありましたが、実働14時間以上、昼ごはんを食堂に食べに行かれれば、幸せな時もありました。電電公社本社係長の時は、朝も早いし、夜も遅い、実働16時間くらいでした。帰りの定期代は不要なほどだったくらいです。

本社係長時代は、電電公社民営化の準備、次の東海電気通信局課長時代は、民営化前後の現場作業管理が多く、ここでも、午前様のことが多く、深夜帰りが常態でした。お客様に出すDMの内容に不備があって、中身の入れ替え作業を人海戦術でやったり、小雪の降る日曜日にお客様訪問をして、明るい家から返答もない、マッチ売りの少女を体験したりしました。

それでも、地元の大手銀行のクレジット会社の上級会員向けに、出たばかりのテレホンカードを使ってもらうことになり、電電公社では珍しかった、相対取引や、納期の短縮などの条件で販売をしました。管理部門でしたが、大口の取引なので、直に行いました。先方の担当部長とは、今でも付き合っています。営業の先生でした。

民営化後1年で、本社広報部の報道担当課長(課長補佐)になりました。お酒ものまない、ゴルフもやらない、麻雀もしない、報道担当は珍しいと言われましたが、そこそこには付き合い、それなりに成果を上げることができました。後年、リクルート事件につながるような事件も起こりましたが、民営化直後、突然華やかになったNTT。軋みもあったということだと思います。

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