今日も思いつくまま・・2018年4月16日(月)

1976(昭和51)年8月下旬から、1978(昭和53)年2月いっぱいだった本社研修は、電電公社本社、千代田区内幸町1-1-6、今のNTTコミュニケーションズ本社で行われました。そろそろ、建て替えということで、NTTコミュニケーションズも、近々大手町に建設中のビルに移転するということです。当時は築15年くらいだったと思います。

本社研修が終わって、1年半ほどあと、埼玉県久喜での、交換台(電電公社では電話運用課と言っていました)の係長を終えたあと、通商産業省(今の経済産業省)に出向し、全く、畑違いの、中東担当になりました。ここでの経験で、いろいろなことを見聞きし、当時は役所との距離の方が圧倒的に近かった、電電公社とも比較をすることができました。

純粋な役所である、通産省の方が、何でもやってみようという気質が強く、その結果、外交担当の外務省などとは、しょっちゅう揉めていましたが、当時、第2次石油ショックが起こったり、格好よく言えば、国を守るという気概で、いろいろなところに口を出したり、手を出したりしていました。外様の出向者でも、何も変わりません。楽しい時期でした。

そのあと、電電公社に戻り、事業計画を作成する担当の係長になり、やっと、一人前のポストに就きました。入社して7年、そろそろ、30才になるころです。出向していた通産省も、元は一緒だった郵政省、三公社の仲間、国鉄でも、一人前ポストまでの時間は短く、電電公社が一番長かったようです。やっと、研修が終わりです。

最初ひと月の学園訓練(調布市入間町にある研修施設を中央電気通信学園と呼んでいました。)から、1年3か月の現場実習(これが三重県津です。)3か月の後期学園訓練、1年半の本社研修(総裁室文書課というところでやりました。)、2年間の現場係長(途中で出向したので、1年半弱でした。)ということになります。

このあとの2年、電気通信局という地方ブロック機関での係長(あるいは、海外の大学への留学や学園の教官)で大体一人前に扱われ、任される仕事も増え、超(長)残業をしたりすることになりますが、入社して7年経過したあとの、本社係長が一人前のポストだったのでしょう。今思えば、ずいぶんとのんびりしていました。

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