今日も思いつくまま・・2018年3月26日(月)

あと数日で4月、2018(平成30)年度になります。社会人として、電電公社に入社してから43年、世田谷の自宅から、内幸町にあった本社へ集合。確か、三軒茶屋から、当時運行されていた、渋谷から霞が関まで首都高経由の東京駅行のバスで行きました。講堂での式典を終え、団体で調布市入間町にある、中央電気通信学園(今は、中央研修センター)に移動しました。

そこで一か月の研修のあとに、全国に配置されての現場実習。三重県の津電報電話局、住まいは隣の久居市にあった独身寮でした。中央電気通信学園時代は、高校まで通った小田急線の成城学園前までバスを使って、本社などへ移動しました。社会人姿で後輩に会うのは、照れくさいものでした。あっという間に、昔話になってしまった出来事です。

1年3か月ほどの現場研修を終えると、もう一度、中央電気通信学園に戻り、3か月間の後期研修。前期の1か月は、事務系で入ったわれわれ40人のほか、技術系の学部採用(学士採用と言われていました)、大学院の修士修了者、博士修了者採用と一緒で、合計300人以上だったのですが、今回は、現場研修後の事務系だけの研修で雰囲気も違ったものでした。

社会人としての基礎教育が中心だった前期とくらべ、後期は、事業内容や、経営課題など、実務に近い話や今風に言えば、ワークショップなどが中心で、内幸町の本社での講義などもあって、自由度も増えたので、少し大人になったような感じはしました。研修も後半になると、関心は、11月下旬からの本社実習で、どこに配属されるかです。

約30年後、神奈川支店長だったころ、新入社員に昇進に役立つキーパーソンをどうやって見つけるかという質問をされたとき、えッと思いましたが、考えてみれば、自分の当時も、華やかな部署はどこか、要職についている幹部はどういうプロモーションだったのかなどという話が話題になった記憶もありますから、いつの世も同じだったのでしょう。

公共企業体電電公社の研修は、3年間。そのあとの現場電話局係長もふくめると、5年間が研修期間になっていました。そろそろ、30才に近くなって、やっと一人前という、のんびりしたスケジュールでした。民間企業に入った友達が、一人前の社会人になっていくのを横目に見て、半人前を続けました。右肩上がりが当たり前の、社会的に余裕のあった時代でした。

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