ほぼひとりごと 2021年8月6日(金)

代々木八幡の踏切

(写真は、小田急線代々木八幡駅から代々木上原駅方面に向けて撮った踏切です)

広い踏切ですが、ひとつ手前の代々木上原駅から千代田線方面の電車があることや、交差するのが幹線道路ではなく、狭くても迂回路もあるので、深刻な渋滞で開かずの踏切にはなっていません。

それでも、一旦、閉まってしまうと、なかなか開かないので、あきらめて、歩道橋を渡る人や、狭い迂回路に曲がっていくクルマもあります。代々木上原までの複々線が開通しても、この区間はそのままです。

写真を撮ったのは、クルマも人も少ない時間帯だったので、ひっそりした感じですが、ダイヤ乱れなどで、踏切が開かない時間が続くと、待っているクルマや人のイライラが募っているのがわかります。

立体交差にするのは、容易なことではなさそうです。地下化すれば良さそうですが、新宿へ向かう線が左折しながら地下の代々木公園駅に向かう千代田線と交差をするのは容易なことではありません。

高架にしようと思っても、山手通りの陸橋の上に線路を設置するのは、どう考えても難しいと思います。地下化、高架化、ともに、急こう配が必要になり、住宅の多いこの地域では不可能だと思います。

代々木八幡、参宮橋、南新宿にも10両編成が停まれるようになったので、代々木上原駅から、急行を各駅停車にし、同じ本数の各駅停車を千代田線乗り入れにしてしまえば、本数を減らすことが可能です。

しろうと考えでは、なんとかなりそうですが、ラッシュ時の代々木上原駅での乗り換えなど、簡単に実行できる案ではなさそうですし、踏切待ちが多少短くなるだけで、抜本的な対策にはなりません。

#踏切 #立体交差 #代々木八幡

ほぼひとりごと 2021年8月5日(木)

ベルべデーレ

(写真は、ソニービル跡のポケットパーク。ベルべデーレは旧ソニービルの7階にありました)

庄司薫作「さよなら怪傑黒頭巾」という小説の中で、1969年に都立日比谷高校を卒業した庄司薫君たちが、5月に開かれたクラス会の帰りに行ったという文章で、ベルべデーレという店を知りました。

上野の東京文化会館で行われた高校の課外授業のバレエ鑑賞会、たぶん、白鳥の湖だったと思いますが、途中2人で抜け出し、少し背伸びして本格的イタリア料理店、ベルべデーレに行きました。

喫茶店でナポリタンやミートソースを食べたことしかなかった17才の高校生が驚いたのは、銀色のフタの容器で運ばれたスパゲッティ。お店の人がうやうやしく盛り付けてくれるのを緊張して見つめました。

スパゲッティを頼んだというだけで、何を頼んだのか、味はどうだったのかなどは全く覚えていません。眺めの良い、ソニービル7階にある、あこがれのベルべデーレで食事することが目的だったのだと思います。

上野から、どうやって銀座まで出たのか、ベルべデーレのあとどうしたのか、全く記憶にありません。背伸びして過ごした思い出として記憶に残っています。今、思えば、大胆だったかなと思います。

日本のイタリアンの走りとされるベルべデーレは1980年に閉店し、フィレンツェが本店のサバティーニになり、ますます敷居が高くなりました。ローマに本店のあるサバティーニは青山に現存しています。

あれから50年経ちました。甘酸っぱい思い出を刻んだソニービルも数年前に取り壊され、ポケットパークになっています。たまに、ベンチに座って、数年先のソニービル再建を待っています。

#ソニービル #ベルべデーレ #数寄屋橋交差点

ほぼひとりごと 2021年8月4日(水)

丸ノ内・昼下がり

(写真は、丸ビルの前の丸の内仲通り。昼下がりののんびりした雰囲気を感じることができました)

ビルの谷間の丸の内仲通りは四季おりおりに変化します。夏になると、写真でもわかりますが、涼しさを感じられるよう、ミストが出るようになります。ビルのおかげで日陰も多く、風通しも悪くありません。

ベンチや、椅子とテーブルもあちこちにあり、イベントがなければ、そんなに混んでいないので、座って、のんびりとした時間を過ごすことが出来ます。通りを行き来する人を眺めているだけで飽きません。

日比谷から大手町に向かって、丸ノ内仲通りを歩くことが多いのですが、たまに、反対方向に歩くと違った景色が見え、新鮮な気持ちにもなります。通りに沿ったブランド店のイメージも変わります。

明治時代、一丁倫敦と呼ばれた時代から、威厳を感じさせるオフィス街だったところに、少しづつブランド店が路面店を出し、いつの間にか様変わりして、東京でも一番華やかな通りになりました。

丸ノ内仲通りを歩いて、訪問する大手町のオフィスに向かっていると、仕事スイッチが徐々に入り始めていくような気がします。このあたりのビルに出勤するような仕事をしたいなと思って歩いたこともありました。

丸ビルの先、大手町に向かって、丸ノ内仲通りは行幸通りと交差します。左は皇居、右は東京駅丸の内口。見事な景色を見ることができます。歩いているだけで楽しい気分に浸れるのも、大きな魅力です。

なんとなく落ち着かなくなってすでに1年以上経ちました。昼下がりの丸の内仲通りで感じたようなのんびりした時間が続くことが貴重だということをあらためて痛感しました。もう、8月も4日です。

#丸ノ内仲通り #丸ビル #昼下がり

ほぼひとりごと 2021年8月3日(火)

びわの木

(写真は、取り壊しのための囲いが出来たアパートの庭にあるびわの木。見事に咲く桜の木もあります)

このあたり、高知藩主の山之内家のお屋敷があり、代々木山之内地区と呼ばれていたようです。建て替え時期になったアパートやオフィスもいくつかあり、お屋敷だった名残りの木々もあとわずかです。

この地区はすべて、アパートや建売住宅になり、古くの建てられたアパートやビルは取り壊されたり、リノベーションされるのを待っています。次の番かなと思っていたアパートにも囲いが出来ました。

このアパートが建ったころは、お屋敷の名残りの庭木を残す余裕があったようで、見事な桜の木や、たわわに実のなるびわの木が健在でした。残念ながら、びわの実には外から手が届きませんでした。

土地を有効活用するとなると、桜の大木やびわの木を残すのは難しいかなと思います。伐採して、最近の建物に多い、小ぎれいな植栽になるのかなと思っています。仕方ないこととは言え、寂しい限りです。

樹木にも寿命があるので、自然条件に恵まれている屋久島などのように、長寿の木を残すのは、都市部では不可能だとは思いますが、見事な桜の木が来年開花できるのかなと思うと切なくなります。

建ったころには、しゃれたアパートで、芸能人が住んでいたこともあったと思います。最近でも、アパートの前にロケバスが停まっているのを見たことが何回もあります。雰囲気のあるアパートでした。

西参道から曲がり、坂道を下って、このあたりの道を歩くようになって20年以上になりますが、少しづつ表情が変化しています。たくさんの外国人が探しあぐねていた刀剣博物館も両国に引っ越しました。

#びわの木 #取り壊し   #代々木山之内地区

自分(の仕事)史 2021年8月2日(月)

アパート探し

(写真は、最初に入居したセカンドアベニュー47丁目のアパート、ダグハマーショルドタワーです)

着いてからの最初の仕事は、アパート探し。子供はいないので、学校関係はなかったので、多くの駐在員が住む郊外ではなく、オフィスに通いやすいマンハッタンの高層アパートに住むことになりました。

マンハッタンのアパートは高値の花でしたが、借り上げ社宅にしてくれるので、夢の生活が現実になりました。家賃は安くはありませんでしたが、東京の外国人駐在員用アパートよりはだいぶ値ごろでした。

国連本部そばのセカンドアベニュー47丁目の角にあるアパートの家賃は、100平米で月30万円ほどで、買えば3000万円くらいだと言われました。家賃は東京の3倍、価格は3分の1くらいでした。

購入すると家賃補助が出ないという仕組みでしたので、最初から無理でしたが、その後の不動産バブルで不動産価格が高騰し、軽く1億円を超えることになり、まったく手が届かないことになりました。

オーナーが置いてあったきれいな家具やリネンを使って良いと言ってくれたので、ありがたく使わせてもらい、そのまま、まとめて引き取ることにしました。買い集める手間を考えると、ラクをさせてもらいました。

2年後、オーナーが戻るということで、借り上げ社宅家賃限度額の範囲内で、再度アパート探しをしました。日本人担当者のいる不動産屋さんには大変お世話になり、値ごろな物件を見つけました。

会社から歩いて10分ほど、売買価格は似たようなものでしたが、日本より広いアパートに住むことができ、電話などいろいろな手続きも済み、7年住むことになるマンハッタンくらしが始まりました。

#アパート探し #マンハッタン #ダグハマーショルドタワー

ほぼひとりごと 2021年8月1日(日)

町田バスセンター

(写真は、小田急線町田駅のガード下を活用した神奈中の町田バスセンターです)

東急新玉川線(今の田園都市線)が開通する前、常時大渋滞だった玉川通りにバス専用車線が出来ました。歩道よりの車線が時間帯によってバス専用になりましたが、なかなか機能しませんでした。

歩道寄りの車線に駐停車中のクルマがあり、取り締まりも追い付かず、バス専用車線のメリットが活かせないことも多く、新玉川線が開通して、通過車両の絶対量が減るまでどうにもなりませんでした。

小田急線町田駅のガード下は、町田バスセンターになっています。バスセンターというと、バスタ新宿や名古屋やなどのように、もっと大規模なイメージですが、ここはコンパクトな構造になっています。

最大の特徴は、ひとつ前の停留所からバスセンターまで、真ん中の車線がバス専用になっていることです。真ん中の車線なので、駐停車するクルマや左折するクルマに邪魔されず、順調に走れます。

終日専用車線なので、最後は気持ち良くバスセンターのロータリーに入れます。乗車停留所は降車スペースと分離され、ロータリーの外側の歩道沿いに設置されているので、干渉されません。

小田急線のガード下で、3車線の道路を拡張し、到着するバスから降車するロータリーと、その外側の乗車停留所のスペースが確保できたという条件の良さもありますが、賢い選択だと思います。

町田バスセンターからの路線は各方面に向かっていますが、ひとつ前の停留所からは、どのバスに乗っても町田バスセンターに着きます。ラストワンマイルに一工夫した町田バスセンターでした。

#町田バスセンター #バス専用車線 #一工夫

ほぼひとりごと 2021年7月31日(土)

世代交代

(写真は、閉店になってしばらく経ったクリーニング屋さん。復活は難しいようです)

代々木駅と西参道を結んでいる通りで、世代交代が進んでいます。小田急線が開通する前からあった鰻屋さんを始め、いくつかの店が閉店しました。今のところ、目分量で8割以上が昔からの建物です。

クリーニング屋さんの向かい側は、妙智会という宗教団体の本部です。比較的新しい立派な建物が威容を誇っています。最近は少なくなっているようですが、行事の時には、信者がおおぜい集まります。

クリーニング屋さんの隣は、創価学会の機関紙、聖教新聞の販売店と巴屋という名前のお蕎麦屋さんです。こちらは、昔のままの建物で営業しています。その先の角には、改装した花屋さんがあります。

角の花屋さんが開店して、数年経ちますが、この場所は何回か業態が変わっています。一時期には大手葬祭業が運営する骨壺屋さんでした。いろいろな意匠の骨壺が並べてある光景は壮観でした。

クリーニング屋さん、小杉ランドリーは昔からあったようで、外から業務用のアイロンなどが見えていました。突然、営業を休止したので、しばらくの間、預かっている衣類が店内にかけられたままでした。

いつか改装されるのか、取り壊されるのかと思っていましたが、すでに数年経過しています。シャッターが閉まっている以外は、たまたま、定休日だと言われても不思議ではない状態が続いています。

住宅とお店が混在している代々木の古くからの街が世代交代し始めています。世代交代が進んでも、夏に繁っているプラタナスが似合う街であってほしいと思います。一年一年、街は変化しています。

#代々木 #クリーニング屋さん #世代交代

ほぼひとりごと 2021年7月30日(金)

ATMと公衆電話

(写真は、京王新線新宿駅構内で見つけたみずほ銀行のATMと公衆電話。見慣れた風景です)

公衆電話は電話が創業した明治時代からあったはずですが、ATMや自動販売機の歴史は昭和の高度成長期になってから。それまでは、銀行の窓口や、駅の出札などでの有人サービスが当たり前でした。

公衆電話も急激に増えて行ったのは、電話そのものが増加していった高度成長期になってということではATMや自動販売機と同じような経緯をたどっていたのだと思います。そんなに昔ではありません。

街角の風景として、普通に見られた公衆電話とATMとの並びですが、どちらも、役割のピークを終えてしまったようです。公衆電話はすでに激減し、ATMの台数も少しづつ減少し始めているようです。

災害時などで、一般の電話や、携帯電話がかかりにくくなった時、公衆電話は優先的につながる回線を使っているので、ずっとかかりやすくなります。公共性という意味では全廃してしまうことはできません。

ATMの方も、電子マネーや電子決裁で、現金を持ち歩く必要が少なくなっているとは言え、何かの時には現金頼りになることもあります。電子決裁が機能しない状態に陥ると手も足も出なくなる恐れがあります。

人件費や人出不足などを考えると、減少していくペースはますます早くなると思います。キャッシュレス、チケットレスの動きは速く、どこの駅にもあったJRのみどりの窓口も次々に閉鎖されています。

どこにでもあった公衆電話とATMの並び、あらためて、気がついたのは、実は意外に少なくなっているみたいです。いつの間にか、このような風景に希少価値になっているのかも知れません。

#ATM #公衆電話 #自動販売機

ほぼひとりごと 2021年7月29日(木)

ビル改装

(写真は、改装が進み、新しい意匠が見え始めたフジビル25。どんなビルになるのか楽しみです)

数年前まで、EXILE系のダンススクールが入居していたころは、それなりの賑わいを見せていたフジビル25が落成したのは1974年だそうです。同じころに建ったと思われる向かいのアパートも解体中です。

ダンススクールが中目黒の新築ビルに移転したあと、いくつかのテナントが出入りしていましたが、次第に空室も増え、廃虚のような風情になってしまいました。取り壊す日も近いのかなと思っていました。

予定では、完工は8月だそうです。すでに不動産情報も出ています。新しい働き方に合ったリノベーションを行い、名前もフジビル25から、Lark Building YOYOGI と改名されて売り出されるようです。

オフィスビルにしては珍しく、ウッドのベランダがあり、イメージが刷新されるようです。仮設トイレや足場など工事用の設備の撤去も始まり、少しづつ完成した建物の全貌が想像できるようになっています。

地味な場所ですが、新宿駅や代々木駅まで歩いて20分弱、参宮橋駅や初台駅へは5分と便利です。西参道、甲州街道、山手通りに囲まれ、代々木、初台、初台南の高速入り口へもすぐ近くです。

壊して、アパートができるのだろうと思っていたので、オフィスのまま改装するというのは驚きました。機能が多様になった方が街に活気が出ると単純には喜べませんが、どうなるのかは楽しみです。

となりの古いアパートはつい先ごろまで、民泊で賑わっていました。何年かすると、至近の西参道交差点近くには、65階建てのアパートが2棟建つ計画があります。改装が吉になるよう注目しています。

#フジビル25 #EXILEダンススクール #リノベーション

ほぼひとりごと 2021年7月28日(水)

小田急百貨店

(写真は、下を小田急線が通っている町田の小田急百貨店。クラシックなマークが目立っています)

来年9月、新宿小田急百貨店がビル改築のため閉店すると発表されました。食料品など一部機能は最初の小田急百貨店だった小田急ハルクに移るそうですが、完成後の百貨店復活は未定だということです。

日本橋高島屋は、百貨店を残しながら、ショッピングセンターなどテナントビルとして拡大するという方法を取って、数年前にオープンしました。おそらく、新宿伊勢丹や日本橋三越も同じようになるのでしょう。

こどものころ、おもちゃ売り場と食堂につられて行った百貨店がデパートメントストアという業態で残ることはなさそうです。屋上の遊園地もなくなり、こどもにとってのレジャーランドではなくなっています。

おとなになっても、スーパーマーケット、量販店、ネットが主役になり、百貨店に行くのは、せいぜいがデパ地下だけという状態がなっています。渋谷東急百貨店も同じように、消えることになりそうです。

小田急線の町田駅で降りて、地上から見ると、目立っているのが、クラシックな小田急百貨店のマークです。数年前、電車からバス、不動産、ショッピングまで、CIを統一したので、レアになっています。

ビル内には、ビックカメラや無印良品、ユニクロなど、大きなテナントも入っていますが、ショッピングセンターになってしまった藤沢の小田急百貨店と違い、デパートメントストアの雰囲気を残しています。

小田急線を抱え込むような形で建っているビルなので、電車が吸い込まれていくような感じになっています。だいぶ年数は経っているようですが、新宿駅のような大改装はまだまだ先になりそうな感じでした。

#小田急百貨店 #デパートメントストア #町田