自分(の仕事)史 2021年1月11日(月)

(松山ぐらし)⇒JR四国

松山に住んで仕事をしたのは、1988年8月から1990年9月末までの2年2か月でした。そのころはバブルの最盛期、瀬戸大橋も出来て、松山の街も賑わっていました。

コロナ禍の経営難直撃のJR四国も利用客が増え、国鉄時代は規制されていた特急列車の増結も、松山駅ホームからはみだすほどの、9両編成までになったほどでした。

四国でのポジションは、地方支社の部長だったので、県庁や市役所、地元地銀や有力企業の幹部、衆議院議員など、それまでにはない層と知り合えることができました。

プライベートでお付き合いしたことで、意外な面や人間くささを感じましたが、人生の先輩ばかりなので、いろいろな意味で勉強になった貴重な時期だったと感謝しています。

20代中盤の通産省出向時代も、局長や大臣などと触れ合うことや、大企業の幹部や、記者と話をすることなどもあり、背伸びしながら、自己研鑽できたと思っています。

民営化して3年ほど経つころ、責任も重くなり、四国のような小規模の支社でしたが、いろいろな課題も多く、仕事そのもの、従業員のマネジメントなど、悩みも増えました。

官庁系では当たり前ですが、四国支社営業推進部長から、本社総務部担当課長に転勤した時、地元の人に左遷されたのかと言われました。楽しい松山ぐらしでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です