自分(の仕事)史 2020年9月14日(月)

(広聴のはなし)

民営化の直前、テレホンカードで電電公社を身近に感じてもらうことができました。堅いイメージが少し減少したのではと思いますが、お客様からのクレームも増えました。

電電公社時代は、半官半民らしく、我田引水、我が道を行くと言われても仕方ない状況でしたが、テレホンカードが話題になったため、みなさんの注目が少しばかり増えたようです。

そんな中、民間会社からやって来た大物総裁のもと、民営化前から、マスコミ、民間会社、官庁、文化人など、いろいろに声をかけ、アドバイスをしてもらう会議を作りました。

テーマごとに、グループにつくり、それぞれに電電公社の中堅社員を入れ、世論作りと、社内の意識改革の一挙両得もめざし、いろいろな成果を挙げることになりました。

名古屋で営業担当課長をしていたので、メンバーではありませんでしたが、広報部異動後に様子を聞き、うらやましいと思いました。社内に風とゆらぎを送る効果があったと思います。

民営化後に、オレンジラインという名前の活動がスタートしました。オレンジセンターがお客様の声を積極的に収集し、部門間調整をした上で、トップが出席する会議で審議するというものでした。

お客様の声を無視することができない仕組みを作ることで、社員の眼を外に向け、世の中の役に立つ会社になろうという気持ちを浸透させ、課題を解決していくことが目的でした。

しばらくするとマンネリになり、次第に定型的な話になっていきましたが、このようなアクションを持続的に打ち出し、緊張感を維持していくことの大切さを学んだ気がします。