自分(の仕事)史 2020年9月7日(月)

(広報部報道担当へ)

広報部への異動は1986年2月。民営化してから10か月経過した頃でした。民営化の前から、広報部は大活躍、電電公社のイメージを払拭し、新NTTを印象づけました。

着任した時は、絶頂状態にあったと思います。コマーシャルも派手になり、NTTという略称も浸透しつつありました。気分的にも、全く違った会社になったように思いました。

社会インフラとしての通信事業の役割は認められていても、地味な会社でした。タクシーで、内幸町の電電公社と言っても、知らない運転手さんの方が多かったと思います。

一方で、地方では、電電公社という名前は知らなくても、電話局の存在感は大きく、どの街にも、中心地の大きなアンテナが屋上にある建物として、誰でも知っていました。

広報部には、3つのグループがありました。宣伝部門、お客様の声を聴く広聴部門と、私の所属した報道部門。それぞれに特色がある、呉越同舟組織になっていました。

注目度の高い宣伝部門にくらべ、報道部門は地味でした。髪が長めだったこともあり、しばらく経って、他の部門の人から、どちらの新聞ですかと聞かれたことがあります。

宣伝部門のスタッフは、業界人みたいな格好で出勤する人もいて、華やかな感じでした。となりの芝生、すべてにおいて、羨ましいと思って、眺めていた記憶があります。