自分(の仕事)史 2020年5月4日(月)

(固定電話)

1890(明治23)年に、東京と横浜で電話サービスが開始され、途中、第二次世界大戦での破壊を経て、1978(昭和53)年には、電話設置の積滞が解消しました。

同時に、日本全国すべての地域が、交換手による手動接続通話ではなく、ダイヤル通話できるようになりました。88年かかって、ここまで到達することになりました。

電話設備を建設することを目的にした電電公社は、膨大な設備資産を活用してもらい、さらには、電話の次につながるサービスを提供することが目標になりました。

テレホンサービスや、留守番電話など、話し中をなくし、つながる回数を増やし、確実に通話料収入を得られるようにするため、いろいろな工夫を重ねることになりました。

テレホンカードが一番目立った成果でしたが、その他、トラヒックセールス(通話増キャンペーン)として、帰るコールなど、いろいろな施策を繰り広げ、増収をめざしました。

携帯電話が普及するまでは、固定電話が主役でした。高値の花だった自動車電話は一般には普及せず、ダミーの車載アンテナを付けるのが流行りになったくらいです。

ビジネス用だったポケベルで呼び出したり、ポケベルの液晶画面で数字を使った意味のあるメッセージを届けたりしたのが、移動通信手段一般化の走りになりました。

本社係長のあと、民営化をはさんで、名古屋で営業を担当する課長になった時は、利用促進施策を推進することがミッションになりました。簡単ではありませんでした。

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