自分(の仕事)史 2020年1月20日(月)

(本社係長になりました)

このころ、中曽根政権のもと、土光臨調ということで、3公社(国鉄、電電、専売)の民営化が話題でした。新聞やテレビでしか知らない自分が渦中に放り込まれました。

石川島播磨重工業から来た、新総裁のリーダーシップのもと、公社改革が進み始め、準役所という内向きの組織の中は、文化大革命で、上を下への大騒ぎでした。

社内には、現状維持派と、新総裁の意向を受けた改革派があり、国会や中央官庁もふくめ、利権争いもあり、知らないところで、いろいろな動きがあったはずです。

2年遅れて民営化することになる、国鉄の動きはまだまだでした。専売は大蔵省傘下で、若干異質だったので、電電公社が民営化議論を先導することになったようです。

1975年、役所みたいな組織だった、電電公社に入社し、4年半の研修期間、2年半の通産省出向だけしか経験していなかったこともあり、新鮮な経験の連続でした。

航空や鉄道、通信など、伝統的に各国でも、政府規制がある公共企業がこのままで良いのかという動きは、欧米から始まり、世界的な潮流になりつつあった時期です。

アメリカでは別のアプローチとして、巨大な通信会社AT&Tを独占禁止法の観点から分割するという問題は、このような動き以前から、話題になっていました。

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