一週間(9月19(日)~9月25日(土))

週刊日記

(写真は9月22日と23日の両日に秋祭りが行われた代々木八幡。今年も露店やおみこしはありませんでした)

19日の土曜日からの一週間はシルバーウィークでした。月曜日が敬老の日、木曜日が秋分の日の祝日になり、今年最後の連休でした。週後半には暑くなりましたが、秋らしい気温と青空の日々でした。

代々木地区の氏神さま、代々木八幡の秋祭りが9月22日、23日の両日行われましたが、露店もおみこしもなく、いつもなら、賑やかな境内の中でひっそりとお囃子やお神楽が演じられているだけでした。

今年最後になる連休となるシルバーウィークだったので、いつもほどではなくても、高速道路の渋滞や、新幹線や空港の混雑などで、再び、感染者数の増加しないかと心配です。

ここのところ、感染者数が減り続けていますが、理由も不透明で重症者は激減していません。医療従事者の稼働、空床率や自宅療養など医療体制をめぐる課題はそのまま、不安が続きます。

テレビによく出ている医師会幹部や、感染症専門家が経営する病院での補助金空床をめぐる報道はネットではちらほら見えますが、盛り上がりません。不都合な真実かも知れません。

自民党総裁選で上級国民、文書破棄、嘘ばかりの弁明など、ここ何年もの間に出て来た不信感があまり話題になりません。どの候補者も9年間の総括するつもりはなさそうな感じです。

コロナ禍に加え、自民党総裁選、皇室の結婚問題、株価の下落など、いろいろなことが起こっている今週でした。来年には賑やかな秋祭りになることを切に願っています。

#代々木八幡 #自民党総裁選 #シルバーウィーク

ほぼひとりごと 2021年9月25日(土)

新宿大ガードの向こう側

(写真は、新宿大ガードを、靖国通り側から青梅街道側に向かって撮ったものです)

深夜食堂という人気ドラマの冒頭は新宿大ガードから、靖国通りを、ドラマの舞台となる深夜食堂が本当に実在していそうな歌舞伎町界隈を左に見ながら走るクルマの視線から撮った映像で始まります。

歌舞伎町あたりの靖国通りには、50年くらい前まで都電の終点があり、新宿大ガードを境にして、都心と郊外が入れ替わっているような感じでした。今、大ガードの向こう側は高層ビル街になっています。

靖国通り側から新宿大ガードの向こうを覗きました。線路に沿った左側には思い出横丁、次の大通りは新宿駅西口、Y字路を左に入ると新宿副都心、直進すると青梅街道、右に曲がると小滝橋通りです。

壁に描かれた落書きや、つい最近までホームレスが生活していたのではないかと思えるような舗道など、おせじにもきれいとは言えません。今でも夜になると事件が起こりそうな雰囲気になる場所です。

統一された美しさのかけらもない感じもある新宿の街ですが、何でもありのところが魅力です。危険なだけの街でもありません。だから、深夜食堂というドラマの舞台が成り立ったのではと思います。

高層ビルが並ぶ新宿副都心、戦後が残っているような思い出横丁エリア、さまざまな飲食店やチケットショップなど雑多なお店が並んでいたり、新宿大ガードの向こう側もこちら側も興味津々になります。

新宿大ガードの先、青梅街道は山手通りと交差する中野坂上までが3車線、そこから先は2車線になります。その先はどんどん狭くなり、青梅から先、奥多摩では山道になって、山梨県に入ります。

#新宿大ガード #青梅街道 #深夜食堂

ほぼひとりごと 2021年9月24日(金)

ジューススタンド

(写真は、新宿地下のメトロプロムナードにあるジューススタンド、ジュースの森。去年の一時期は閉店していました)

季節メニューのすいかジュースもそろそろ、おしまいになるようです。次の季節メニューは巨峰ジュースだそうです。昔、生ジュースと言われていたころから、ミキサーで作ってくれる生ジュースが大好きでした。

ジュースと言えば、瓶詰のバヤリースやキリンジュース、液体シロップを希釈するものや、粉末だったころ、果物らしさがあふれ、ミキサーで作ってくれる生ジュース、特にオレンジジュースが大好きでした。

デパートなどに出店している高級な果物屋さんだけでなく、街角にもジューススタンドあります。東京メトロとJR東日本が乗降客の多い駅などを中心に、気軽に飲めるスタンドを積極的に出店していました。

去年の初夏、最初の緊急事態宣言のころ、すべてではなかったと思いますが、多くのジューススタンドも閉店になってしまいいました。しばらくして営業再開しても、お客さんが激減し、大変だったようです。

今でも、以前のような賑わいはありません。すいかジュースを飲みながら、前を通る人を見ていると、視線を向ける人はあっても、通り過ぎてしまう人がほとんどの寂しい光景が繰り返されます。

ジュースの森ではジュースだけでなく、パンなども売っています。その中では小さなアンドーナツが好きで、何回か買ったことがあります。営業再開後、うれしいことに、アンドーナツが並んでいました。

隣のJR代々木駅にあったジューススタンドや、値段が安く、行列が出来るほどだった近くの店は閉店してしまいました。年配の従業員の多いジュースの森がいつまでも元気でと願っています。

#ジューススタンド #営業再開 #すいかジュース

ほぼひとりごと 2021年9月23日(木)

モニュメント

(写真は、新宿センタービル地下の壁に取り付けられている金属の台。モニュメントみたいに見えます)

新宿ビックカメラの電話機売り場が6階の端に移転しました。電話機もFAXも在庫はほとんどなく、安売り品を除けば、お取り寄せということになっていました。並んでいる種類もわずかになっています。

携帯電話やスマホで電話をするようになって、固定電話の衰退が加速してしまいましたが、電話番号を回したり、プッシュして電話をするという機会が激減し、電話できない新入社員が話題になっています。

新宿センタービルの壁にあった金属の台、かつて公衆電話が置かれていました。2011年の東日本大震災など災害が起こったころには、家庭の電話や携帯電話より通じやすいので重宝されました。

地震や鉄道事故など災害が起こった時も、つながりやすいSNSでコミュニケーションするのが当たり前になってしまいました。公衆電話を探して、電話するという電話文化も次第に消えつつあります。

さすがに、新宿駅など、公共性の高い場所や街角には、設置が義務つけられているので、公衆電話や公衆電話ボックスが残ってはいますが、使っている人を見たことはほとんどありません。

電話が簡単にひけるようになったのは1978年、テレホンカードの登場は1983年、携帯電話の普及が加速化してから20年、インターネットも急速に普及しました。時代の変化が加速しています。

新宿センタービルの壁にある金属の台を見ただけで、我々の世代は公衆電話があった跡だとすぐにわかりますが、若い世代にとっては、電話文化の遺跡、モニュメントになりつつあるように思います。

#モニュメント #公衆電話 #電話文化

ほぼひとりごと 2021年9月22日(水)

ロマンスカーの壁画

(写真は、小田急線新宿駅、ロマンスカーホームの向こう側に、ロマンスカーの歴史を描いた壁画です)

イラストにある小田急ロマンスカー、左から4番目、客室が高くなっているハイデッカーのHiSEは長野電鉄、5番目、JR東海御殿場線沼津まで乗り入れたRSEは富士急行で現役として走っています。

3番目までのロマンスカーは、先ごろ海老名でオープンしたロマンスカーミュージアムで静態保存されていますが、どちらも編成両数は減らされ、小田急線を走っていたころの姿ではありません。

外野からすれば、遺産として保存してほしいと思いますが、場所やメンテナンスを考えると簡単ではありません。土地の広いアメリカや保存に熱心なヨーロッパのような大規模な動態保存など、夢のまた夢です。

車体の3分の1以上を切られて、渋谷で案内所だった東急の産業遺産、旧5000型も、ハチ公のおまけみたいな形で秋田県大館に引っ越しました。東急ももったいないことをしたと悲しくなりました。

1958年から東海道新幹線開通までの6年間、東京大阪間を走った電車特急こだまの151系(最初は20系)は小田急のSE車(SSE車)に学んだと言われています。小田原まで1時間が目標でした。

国鉄の151系は展望車(パーラーカー)や食堂車を連結し、編成の半分が1等車(グリーン車)という贅沢列車でしたが、3年から6年間の活躍のあと、改造されたりして、今は1両も残っていません。

鉄道が走り始めてから150年、すべての鉄道産業遺産を保存することは不可能だとは思いますが、小田急新宿駅ロマンスカーホームの壁画は単純に良いアイディアだと思い、しばらく鑑賞しました。

#ロマンスカー #静態保存 #小田原まで59分

ほぼひとりごと 2021年9月21日(火)

新宿三丁目

(写真は、新宿三丁目交差点の地下。手前が丸の内線、右が副都心線、まっすぐ行くと都営新宿線。伊勢丹の入り口が見えます)

昔の地名は新宿追分。追分だんごのお店と京王のビルには名前が残っています。戦前には京王線の始発駅は新宿追分駅でした。今は新宿三丁目という名前で誰でもわかる場所になっています。

丸ノ内線と副都心線のホームは改札口の中でつながっていて、地上でも改札口同士がすぐ近くにありますが、都営新宿線の駅はどちらの線からも少し歩かないと着きません。たまに人が滞留します。

京王新線新宿駅(都営新宿線新宿駅)と丸ノ内線新宿駅は結構離れているので、新宿三丁目で乗り換えた方が便利ですが、多少割引されるものの、それぞれの運賃が積み上げられることになります。

ちなみに、ひとつ手前の京王新線初台から、新宿三丁目で乗り換えてひとつ目、丸ノ内線新宿御苑前まで、乗車時間は5分ですが切符で410円、PASMOでも402円。3人だと1200円になります。

初乗り運賃は多少高いものの、別々の会社が運営していたニューヨークのように、メトロポリントランスポーテーションオーソリティー(MTA)としてどこまでも初乗り運賃と同じ定額というわけにはいきません。

新宿三丁目の地下にたたずんでいると、伊勢丹や他の商業施設がらみの人もふくめ、さまざまな方向を歩いている人の流れを観察することができます。写る人の少ない写真を撮るのは結構大変でした。

甲州街道、青梅街道のジャンクションだった新宿追分同様、新宿三丁目も乗り入れ先を含めると、東京メトロ、都営地下鉄だけでなく、京王、東急、西武、東武のジャンクション、忙しい場所です。

#新宿三丁目 #地下ジャンクション #新宿追分

自分(の仕事)史 2021年9月20日(月)

レッドアイの思い出

(写真は、レッドアイで到着したJFK空港から眠たいままに乗ったタクシー。数年前に乗った時には、クレジットカードが使えるようになっていました)

サンフランシスコを23時ころ出発する夜行便は、5時間弱の飛行時間で、3時間の時差があるニューヨークJFK空港に朝7時頃に到着します。タクシーで市内に向かい、そのまま、仕事を始めます。

夜行便は、寝不足になるということでレッドアイと呼ばれています。ディスカウントエコノミーチケットを買って、ディスカウントしないビジネスクラスにアップグレードできればラッキー、宝くじみたいでした。

エコノミークラスでも空いていて3席使って横になれれば、ビジネスクラス以上にラクでしたが、横になっているとカートを押して狭い通路を歩く体格の良い乗務員のお尻がぶつかることもありました。

長距離便のレッドアイでは、当時、食事が出されました。エコノミークラスの時は断って眠ったこともありましたが、ビジネスクラスにアップグレード出来た時は欲が出て、リッチな夜食を食べてしまいました。

十分眠れないまま、お腹がもたれた状態でJFKに着くことになります。やめた方が良いとわかっていても、フルーツサラダなど、魅力的なメニューが出る時は、朝ごはんまで食べることもありました。

気流の関係での早着することも多く、実質的な飛行時間は4時間と少しです。食事をすると、お昼寝程度の睡眠も難しいまま、朝7時に到着します。空港からのタクシーの中、眠くてたまりません。

20年ほど前だったから耐えられたレッドアイ。今だったら、到着後バタンキューして、全面休養しないとダメだと思います。うとうとしていると聞こえてくるJFK空港到着のアナウンス、悪魔のささやきでした。

#レッドアイ #大陸横断 #アップグレード

一週間(9月12日(日)~9月18日(土))

週刊日記

(写真は職場でのブログ発信のきっかけになった9.11事件の舞台、マンハッタンのダウンタウン。ブルックリン側から撮りました)

9.11のあと、いろいろな人から来る問い合わせすべてにこたえられないことから、9月12日から、自分ブログでのリアル発信と、職場のみなさんの不安を少しでも鎮めるための職場ブログ発信を始めました。

職場向けには、英語と日本語で発信しました。自信のない英語についてはTOEICのスコアの高い後輩にチェックしてもらってから出すようにしました。毎日、厳しい添削をしてもらうことになりました。

9.11のあとひと月間は問い合わせも多く、自分ブログ(今の岡田さんのあれこれ)www.akihiko.comへのアクセス数も激増し、アメリカのヤフーからリンクしないかというお誘いがあったくらいでした。

20年経った9月12日までだった東京の緊急事態宣言は9月末まで延長になりました。飲酒とか、県外移動の規制緩和も話題になり、感染者数も落ち着いたように見えますが、油断は禁物です。

相変わらず、医師会などの関係者やマスコミがそれぞれの立場と利害で言いたい放題です。感染者数、重症者数、死亡者数、入院数と待機者などの統計をきちんとした分析をしてほしいと思います。

19日に公示された自民党総裁選は今の首相や幹事長と以前の首相たちとの代理戦争の様相もありそうです。4候補には、少なくとも、「戦争はしない」、「国民のくらしを守る」と断言してほしいと思います。

12日日曜日からの大相撲秋場所は、部屋の力士の陽性で白鵬が休場したので、一人横綱ですが、一度、序二段まで落ちて這い上がってきた横綱照ノ富士が登場し、7日目まで全勝で独走しています。

#9.11 #職場へのブログ発信 #照ノ富士

ほぼひとりごと 2021年9月18日(土)

次は終点新宿

(写真は、しばらく前の昼下がり、代々木八幡駅を通過する小田急線快速急行新宿行最後部車両のガラガラの車内。次は終点新宿です)

町田で乗った時から、少なかった乗客が代々木上原で千代田線に乗り換える人もいて、代々木八幡駅を通過する快速急行新宿行の最後部車両には数人になってしまいました。次は終点新宿です。

いつも混んでいるイメージだった小田急の快速急行、このような状態になってすでに1年半経ちます。平日の昼下がりの車内はガラガラです。10両編成で運転していますが、1両でも全員が座れます。

小田原からの快速急行と藤沢からの快速急行がそれぞれ20分おきに運行され、町田のひとつ手前の駅相模大野からは10分おきです。急行も新百合ヶ丘から10分おき、各駅停車も10分おきです。

向ヶ丘遊園から代々木上原まで複々線になったので、20分おきの特急が加わっても、また、朝ラッシュ時にはさらに増発しても、スムースに走ることができます。複々線の効果は絶大でした。

事故などが発生した時には、千代田線乗り入れが中止され、東京メトロやJR東日本の車両がいつもは行かない新宿行になることもあります。代々木へ向かう陸橋で東京メトロ車両を見たことがあります

鉄道会社にとっては、乗客が減るのは死活問題ですが、朝の殺人的なラッシュが緩和され、そのためだけの設備や車両、人員を揃えなくても良いというメリットもあり、乗客は大歓迎になるはずです。

ここまでガラガラだと大丈夫かなと心配になりますが、乗客にとっては、ありがたいことです。一度経験した快適な状況が続いたまま、経済社会がまわるようになればと思いました。次は終点新宿です。

#快速急行 #ガラガラの車内 #終点新宿

ほぼひとりごと 2021年9月17日(金)

数寄屋通り

(写真は、銀座6丁目の数寄屋通り、オフィスが近かったので、なじみのある通りでした)

オフィスから近かったので、銀座6丁目の数寄屋通りのお店には結構行きました。一番なじんでいたのは歯医者さん、たぶん、写真に写っているビルにあったのだと思いますが、今はありませんでした。

紹介してもらったやさしい歯医者さんでしたが、奥さんによると見立ては良いのだけれども、治療が今一つとのことでした。きちんと治療してもらいましたが、奥さんの言っていることもわかりました。

キッコーマンのたれを使う、キッコーマン直営の串焼き屋さんは、ランチなら雰囲気の割に安くて美味しかったのでごちそう気分で何度も行きました。夜になって値段は変わりましたが、何回か行きました。

ランチタイムは安い値段の小料理屋さんで、夜にも来たいと話したら、20代には無理とはっきりと言われました。そのころ、小料理屋さんの雰囲気を味わったお店の中には、今でも残っているお店もあります。

数寄屋通りには、上司や知人に連れて行ってもらったミニクラブやスナックもありました。高級クラブやバーではないので、割り勘を払える程度の値段でしたが、少しおとなになったような気分になりました。

数寄屋通り自体は、以前と同じような感じで再開発が加速されてはいませんが、なじんでいたお店が代替わりし、新しい行列店も出来ていました。有名ないわし専門のいわし屋は10年前に閉店しました。

前を向いて歩いていると気づきませんが、ふっと横を見ると、お店の間に、狭い路地が見える場所も残っていました。路地の奥にも入りたくなる銀座6丁目の数寄屋通り、おとなの入り口だったと思います。

#数寄屋通り #おとなの入り口 #歯医者さん