ほぼひとりごと 2021年6月25日(金)

実家のあった街

(写真は、世田谷区にある小さな通り。実家だった建物の屋根が見えます)

大学卒業までの22年間、世田谷区若林にあった実家に住んでいました。10年余り前に転居したので、今は実家ではありませんが、築50年以上になる建物は残っています。2階の屋根はそのままです。

ずいぶん前に切られてしまいましたが、松の木があり、こどものころ、木登りをしました。棕櫚みたいな木が見えるところにありました。舗装される前は、雨が降ると歩きにくくなるような道でした。

小さな道ですが、たまに、玉電松陰神社前からの抜け道で使う人がいたようで、タバコを吸いながら歩く人が結構いました。クルマはほとんど通らず、キャッチボールしたり、いろいろな遊びができました。

このあたりの道は狭い通りが多く、タクシー泣かせと言われていたようです。行き止まりだったり、少し大きいクルマだと曲がるのも大変でした。世田谷区若林という住所も広く迷ったら、大変でした。

小さな道の住人は、我が家もふくめ、ほとんどが代替わりし、そのまま、住み続けている人はほんのわずかになっています。それぞれに、いろいろな歴史が刻まれているのだと思うと、感慨深い感じがします。

近くにあった友達の家が火事になったり、数軒先の人が現役のまま、救急車で運ばれ、帰らなかったりとドキドキした記憶があります。世田谷通りを通る、消防車や救急車のサイレンが恐怖でした。

世田谷通りにあったバス停も、玉電松陰神社前駅や駅に続く商店街も近く、便利な場所でした。環状7号線が開通して、空気が汚れたなと感じることもありましたが、良い場所に実家があったと思います。

#世田谷区 #実家 #若林

ほぼひとりごと 2021年6月24日(木)

新宿の喫茶店

(写真は、甲州街道沿いにある喫茶店。分煙され、喫煙エリアは密になっていました)

甲州街道沿いのビルの2階にある新宿の喫茶店。窓を開けて換気が出来るようにしています。平日の午前中、ゆったりとした空気が流れています。何回も前を通ったことがありますが、今まで気づきませんでした。

新宿駅西口にも、何軒か古くからの喫茶店が残っています。すでに閉店したり、雰囲気が変わった店もありますが、ずいぶんと前からあったのだと思うお店があります。この喫茶店もそのひとつです。

窓際のエリアは閑散としていますが、奥のエリアは満杯です。少なくなった分煙の喫茶店、タバコの吸える席は密になりそうなほどでした。喫煙席は入り口の横なので、煙を吸わないと禁煙席にたどり着きません。

それでも、窓を開けているなので、地下の店にくらべ開放感があり、座ってしまえば、窓際の席は快適でした。結果として、分煙がうまく機能しているお店になっているような気がします。今どき珍しい喫茶店です。

街にはスタバのようなチェーン店のカフェや、コメダ珈琲店のような喫茶店が増え、この店のような個人営業の喫茶店が減っていますが、入った途端に、別世界のように感じる喫茶店の存在は貴重です。

学生時代の喫茶店は長時間粘る場所でした。今は、カフェでのパソコン作業や、井戸端会議のようなおしゃべりの場になっていますが、クラシックな喫茶店で静かにコーヒーを飲むのも悪くありません。

たまたま、見つけた甲州街道沿いのクラシックな喫茶店。愛煙家のオアシスになっていましたが、甲州街道を走るクルマを眺めることができる禁煙席もそこそこに快適でした。また、行ってみたいと思いました。

#喫茶店 #分煙 #換気

 

ほぼひとりごと 2021年6月23日(水)

行幸通り

(写真は、皇居を背にして撮った東京駅丸の内口駅舎。広い通りは行幸通りと呼ばれています)

ここのところ、丸ノ内、大手町地区のオフィスを訪問する時、日比谷駅で千代田線を降り、丸ノ内仲通りを歩くことにしています。以前は、インバウンドの観光客が多く、ブランドの路面店も大賑わいでした。

最近は人通りが戻りつつありますが、最盛期に比べれば、圧倒的に少なくなったままになっています。それでも、一年ほど前の閑散とした状態ほどではありませんが、寂しい様子には変わりありません。

このあたりにあるビルの上階から、行幸通りを走る馬車を見たことがあります。新任の大使が皇居に参内する際、馬車での行幸を選択できるということです。浮世離れしたイベントとして貴重な存在です。

日本の近代化が始まった丸ノ内にも、高層ビル化の大きな波が押し寄せています。行幸通りに面した丸ビルも、新丸ビルも、すでに、昔のイメージを残しながらも高層ビルに建て替えられています。

皇居が見えるから、高層ビルが建てられないのでは言われたのも、ずいぶん前のことになりました。東京中央郵便局も建て替えられた今、昔のまま残っているのは東京駅丸の内口駅舎だけになりました。

丸ノ内仲通り沿いに、中層のまま残っている昭和遺産と言えるような、高度成長時代からの建物がどうなっていくか気になります。高層と中層が混在している今のまま、残しておきたい景色です。

東京駅丸の内口駅舎も、高層ビル化するという計画が報道されたことがあります。紆余曲折があり、建築時の建物を復元するということになったと記憶しています。ひとまずは良かったと思って歩いています。

#行幸通り #東京駅 #丸の内

 

ほぼひとりごと 2021年6月22日(火)

豪徳寺駅

(写真は、高架複々線上にある小田急線豪徳寺駅。各駅停車だけが停まります)

梅が丘から経堂へ向かって、カーブしながら上っていく線路上にある豪徳寺駅も高架複々線になって立派なたたずまいになりました。東急世田谷線との乗り換えが出来る駅なので、乗降客も少なくありません。

東急世田谷線の駅は山下駅。名刹豪徳寺へは、ひとつ三軒茶屋寄りの宮の坂駅が最寄になります。豪徳寺駅と宮の坂駅の間は、狭い道の両側にお店のある商店街。住宅地らしい景色が続きます。

高校には、世田谷線から小田急線の下り電車に乗り換えて通っていました。今でも50年ほど前と同じような面影が残っている、山下駅と豪徳寺駅との間の路地を通り、階段を上がると豪徳寺駅です。

当時から激安だったラーメン屋、人形焼き屋、甘味店など、どこかの参道のような飲食店や、洋服屋、帽子屋、電気店などが軒を並べていました。映画のセットのような街並み、三丁目の夕日の世界です。

豪徳寺駅の両隣の梅が丘駅と経堂駅の周辺も狭い道ばかりでしたが、以前からバスが乗り入れ、今は乗り場も整備されました。山下駅周辺の道はより狭かったのと、世田谷線もあってバスとは無縁でした。

もともと、小田急線は高架だったので、豪徳寺駅周辺には踏切はありません。小田急線の下を走る世田谷線にだけ、踏切が残っています。多少雰囲気は変わっても、大昔から似たような景色のままです。

甘かったり、苦かったり、いろいろな思い出が残っている小田急線豪徳寺駅。高架複々線になり、立派な駅にはなっていますが、雰囲気は当時とそんなに変わっていません。ホッとした気持ちになりました。

#豪徳寺駅 #山下駅 #豪徳寺

自分(の仕事)史 2021年6月21日(月)

海外勤務

(写真は、2006年ころの成田空港に駐機している、昔のJALマークを付けたジャンボ機です)

入社後3年目、週に数回、仕事のあとの時間、お茶の水のアテネフランセでフランス語の講習を受けました。そこそこには、勉強しましたが、留学レベルには達しったとは言えませんでした。

会社の指示で受けたフランス語の研修のあと、フランス政府給費留学生試験に挑戦することになりました。一次試験はどういうわけか受かりましたが、フランス語で行われた二次面接は難しすぎました。

同期が留学している時期に出向した通産省の中東担当として、在京大使館や海外マスコミなどとの接触もあり、突如、英語を使わないと仕事にならない環境に放りこまれてしまいました。

イラン革命に始まる中東情勢の混乱や石油の安定確保で、激動だった時代なので、通産省を代表して、海外からの英語取材に対応したり、大臣や幹部への直接説明をしたりと、度胸だけはつきました。

1982年春、電電公社に戻ってからは、プライベートで海外に行くことはあっても、仕事はすべて国内でした。留学できなかったこともあって、いつか、海外勤務してみたいなとあこがれていました。

総務部に異例とも言える、6年間在籍したことで、気分一新したいという思いもあって海外勤務を希望しました。キャリア年次的に中途半端な時期だったこともあり、本当かと聞かれた際、大丈夫と承諾しました。

海外勤務をするほどの語学力もありませんし、半信半疑ではありましたが、国内での人事構想とは別ラインで、いくつかの海外ポストが候補にあがり、成田空港が少し近づくことになってしまいました。

 

#海外勤務 #語学研修 #成田空港

ほぼひとりごと 2021年6月20日(日)

松陰神社前駅

(写真は、東急世田谷線松陰神社前駅、下高井戸駅方面ホームの看板です)

東急世田谷線は、100メートルほどセットバックした今の三軒茶屋駅を出ると、あっという間に西太子堂駅です。三軒茶屋の商店街寄りが三軒茶屋駅、住宅地寄りが西太子堂駅。同じ駅みたいな感じです。

この先に、電車が信号で停まる踏切で全国的に有名(?)な若林踏切があります。今はだいぶ渋滞が改善されたみたいですが、環状七号線に残る踏切です。実際には踏切と言うより、電車も走る交差点です。

若林駅は玉電若林駅と呼ばれていました。この先、山下駅、松原駅も確か同じでした。この駅には売店があり、少年週刊雑誌が発売前日に並んだので、小学生の時は、自転車で買いに行きました。

自宅の最寄り駅は松陰神社前でしたが、玉電の駅間距離は短く、玉電若林駅もすぐ近くでした。松陰神社前駅までの間には空き地があり、野球をやっていて、ボールで近くの家のガラスを割ったことがあります。

次が松陰神社前駅。ラッシュ時には、車掌が3人乗る2両編成になることがあったのが、高校に通うころには、前払い方式で、運転手と車掌のいる前後のドアを入り口にした連結二人乗り方式になりました。

中側のドアは出口ですが、ラッシュ時間帯には定期券を見せて乗っていました。当然のことながら、ただ乗りもあったようには思います。毎日のことなので、決して実行しないようにしていました。

統一したロゴの駅名看板やサイネージなど、松陰神社前駅もずいぶんとモダンな感じになっていますが、駅の基本的な構造は変わっていません。この駅から松陰神社まで商店街を抜けて歩いて10分ほどです。

#松陰神社前駅 #連結二人乗り #世田谷線