自分(の仕事)史 2021年8月16日(月)

クリーニング屋さん

(写真は、代々木のクリーニング屋さん、マンハッタンにもあちこちにクリーニング屋さんがあります)

マンハッタンで目立つのは、クリーニング屋さんとコインランドリー。衣類のリフォームもしているクリーニング屋さんを経営しているのは、移民で入って来た人が多く、みなさん、一生懸命に仕事をしています。

アパートの室内には洗濯機を置くスペースがありません。街か、アパートに設置されているコインランドリーで洗濯します。25セントのコインか、プリペイドカードで洗濯機と乾燥機が使うことが出来ます。

日本人住民が洗濯をしていると、アジアから来たメイドかハウスキーパーと間違えられたという話を聞いたこともありましたが、乾燥した洗濯物を畳む机もあり、週末はアパートの住民の洗濯日です。

クリーニング屋さんは、朝1ドルを払ってワイシャツを出し、ハンガーでとお願いすると、夕方にはアパートのコンシェルジュのところに届けられています。そのまま、クローゼットにかければOKです。

最初のころ、出した衣類が本当に戻って来るのか不安でした。きれいにクリーニングされ、無事に戻って来た時には、飛び上がるくらいにうれしかった記憶があります。日本より、速く、安く、便利でした。

クリーニング屋さんだけでなく、エッセンシャルワーカーと言われる、生活を支えてくれる仕事は移民が中心でした。リフォームもしてくれるので、手先の器用なアジア人に向いていたのかも知れません。

アパートの近くにあったクリーニング屋さんも韓国や中国から来た人たちが経営していました。決して上手な英語だとは思いませんが、熱意と誇りを持って堂々と生き抜いている姿は見事だと思いました。

#クリーニング屋さん #移民 #ハンガー

ほぼひとりごと 2021年8月15日(日)

上野駅

(写真は、使われることが少なくなった上野駅地上ホーム。昔の盆暮れは人があふれるほどの超満員でした)

上野駅は三層構造になっています。一番上にあるのは山手線ホームや京浜東北線ホーム。品川や東海道線方面から来る上野東京ラインや上野始発常磐線の快速電車も高架ホームを使います。

かつて、青森、秋田などへ向かう長距離列車の発着で賑わっていた地上ホームは、東北・上越新幹線が出来てから発着本数が激減し、さらに上野東北ラインの開通以降は一段と減少しました。

地下の奥深いところにあるのが東北・上越・北陸新幹線ホーム。一時は終着駅でしたが、東京駅まで延長したあとは、途中駅になり、通過する列車も登場し、主役の座を降りてしまった感じがします。

東北・上越新幹線から日比谷線や銀座線に乗り換える時は、東京駅より、乗り換えが便利なので、何回か使ったことがあります。地上ホームの横を通るので、なんとなく好きなルートになりました。

以前、上野駅大改造計画が話題になりましたが、進んでいる気配はありません。それでも改修工事は続き、東京文化会館や国立西洋美術館の前に出る公園口などはずいぶんときれいになりました。

東京の社宅から埼玉県の久喜に通った40年以上前、上野駅から黒磯行の電車に乗って行くことがありました。宴会のあとの上野行の電車で上野駅地上ホームに着いた時、車掌さんに起こされたこともありました。

東京駅とは違う、上野駅全体に漂っている旅情感は、今でもなくなっていません。かつて、長距離列車が発着していた、行き止まりの終着駅になっている地上ホームにいると余計に感じたことです。

#上野駅 #地上ホーム #上野東京ライン

ほぼひとりごと 2021年8月14日(土)

吉川錻力店

(写真は、谷中の寺町通りにあった、吉川錻力店。「錻力」は読めませんでした)

街を歩いていると、知らなかったことがたくさんあることに気づきます。8月初めの午前中、谷中の寺町通りを歩いていた時に見つけた吉川錻力店。これまで何度も前を通ったのですが、気づいていませんでした。

朝倉彫塑館のあるこの通りには、江戸時代に集められたお寺が並んでいる地味な通りです。ここ数年で、フレンチレストランやビーガンのカレー屋さん、小物を売る店などが出来始めていました。

お墓参りに行く時、右を見たら、吉川錻力店に気づきました。ガラス戸の向こうを覗いて、何の店かなと探りましたが、わかりませんでした。あとで調べて、「錻力」という漢字はブリキと読むとわかりました。

雨どいとか、台所の流しなど、ブリキで細工されるものを売っているのでしょう。ということは、ガラス屋同様、江戸時代には一般的ではなかったと思います。たぶん、明治時代からの店なのでしょうか。

隣はすでに現役ではなく、谷中のパンフレットなどを置いてある建物になっています。昔は、店が軒を並べていたのだと思います。昔のような建物はこの通りでもあとわずか。なかなか良い風景でした。

年令を重ねても、街を歩いただけで、わからないこと、知らないことがたくさんあります。ネットのおかげで、すぐに調べられるのがありがたいことです。文明の利器を使わない手はないと思っています。

営業を続けている、吉川錻力店が末永く健在でいてほしいと思いました。すぐ近くに有名な夕焼けだんだんや谷中銀座があるでこのあたり、横丁や路地に入ると新発見をたくさんありそうです。

#錻力店 #谷中寺町通り #難読文字

ほぼひとりごと 2021年8月13日(金)

緑道の盛夏

(写真は、旧京王線と玉川上水あとに出来た緑道。遠くの日陰でハトが休んでいます)

渋谷区が熱心に取り組んでいる公園などの公共トイレのリニューアル。デザインを刷新してモダンにして、清掃頻度も増やし、安心して大事に使ってもらえるきれいなトイレ、良いアイディアだと思います。

一方で、公園そのものの改造も進んでいます。渋谷駅近くの宮下公園は、昨年の春に、MIYASHIT APARKと名前を変え、公園は4階の屋上に移り、あとはショッピングセンターとホテルになりました。

こちらの方は、木陰も減って公園という感じが薄れ、やり過ぎではないかと思ってしまいます。路上と地上を通っていた京王線と玉川上水の上が緑道になって約60年、リニューアルの計画があるようです。

緑道沿いに植えられた桜並木の桜も見事です。夏の木陰には、涼しい風も吹きます。ところどころにベンチや、あずまや(四阿)や児童遊具などがありますが、気持ち良い静かな緑道になっています。

東日本大震災後の節電で、街路灯が消えた時には、暗くなってから歩くのが怖いほどでした。下を通る、京王線の電車の音が聞こえると安心しました。京王新線は甲州街道の下を通っています。

緑道改造計画のイメージでは、より多くの人が楽しめるよう、カフェなどのお店や施設も作りたいということを考えているようです。MIYASHITA PARKほどではないと思いますが、少しばかり心配になります。

日常の生活で通ることを考えると、木陰で休むハトだけが見える、盛夏の静かな緑道はこのままで良いのではと思ってしまいます。尖ったアイディアだけが現実にならないよう、願いたいと思っています。

#旧京王線 #玉川上水 #緑道改造計画

ほぼひとりごと 2021年8月12日(木)

免許更新

(写真は、免許更新時に東陽町の免許試験場でもらった本2冊。昔より薄くなりました)

数日前、用事があって出かけた千葉県船橋の帰り、西船橋から東西線に乗り換えて東陽町で下車し、免許試験場に向かいました。15時過ぎだったのでガラガラ、講習会場だけが、やや密でした。

1971年に免許を取得して50年目の更新になります。そろそろ、免許を返納した方が良いと言われていますが、もう少し持っていたいと思っています。69才の今回は最後の高齢者講習が不要です。

前々回は、人生2回目の違反(スピード違反)があったので、講習時間も長く、もらった免許証も有効期間は5年ですがブルーでした。前回は、更新期間になった日に、鮫洲でゴールド免許をもらいました。

次回、高齢者講習を受けて更新するかどうかは決めていません。クルマを運転しなくても不便ではない生活をしていますが、5年に一回の更新手続きで緊張するのも悪くはないなと思ったりもしています。

講習を受けていた人は、ざっと見た限り、自分より年下のように見えました。50年前には最年少だったのが、更新を重ねるたびに、順位が上がっていくことになります。そんな風に思ったのは初めてでした。

他の部屋では、60分や120分の講習も行われていました。免許更新時には、免許を持っている人すべてが平等に扱われます。みなさん、居眠りもせず、スマホもいじらないで、真剣に講習を受けていました。

統計上は、渋滞も交通事故も減少していますし、クルマの安全装備も充実してきましたが、交通事故がゼロにはなりません。緊張感持続のためにも、5年後の免許更新にチャレンジしようと思いました。

#免許更新 #高齢者講習 #東陽町免許試験場

ほぼひとりごと 2021年8月11日(水)

ボックスシート

(写真は、しばらく前に撮った、仙台近郊の阿武隈急行の車内。懐かしいボックスシートです)

しばらく前に乗った阿武隈急行の車両は、懐かしいボックスシートの旧型車両でした。色は違いますが、国鉄時代と同じです。昔は、窓下に、小さなテーブルと栓抜き、灰皿が備わっていました。

旧型のタイプのボックスシートは、すでに絶滅危惧種になっています。新しいボックスシートには少しゆとりがありますが、ドア横のロングシートの方が座りやすいため、ボックスシートには空席が目立ちます。

昔は、そんな贅沢を言ってはいられませんでした。身動きできないほどぎゅうぎゅうに詰め、ひとりでも多く座っていました。トイレに行く時など、通路をかきわけて進む必要があり、大変な状態でした。

東京から大分、上野から青森、札幌から稚内など、長距離夜行急行に乗ったことがあります。固いボックスシートに座ったまま、よく眠れたものだと思います。翌朝はめざめてすぐに活動出来ていました。

当時のボックスシートとくらべると、阿武隈急行のボックスシートにも多少のゆとりはあり、モケットも柔らかくなっています。それでも、1時間近く座っていると、姿勢を変えたり、背伸びをしたくなります。

夜行急行列車はすでに過去の存在です。寝台列車もサンライズ出雲、サンライズ瀬戸だけです。ボックスシートの長距離夜行急行列車は社会全体が貧しくて、若かったから存在できたのだと思います。

昔のことは懐かしく思い出しますが、今の快適さを思うと、耐えられそうにないことがたくさんあります。阿武隈急行車両のボックスシートに座って、昔の夜行急行列車での長距離移動を思い出しました。

#ボックスシート #夜行急行列車 #阿武隈急行

ほぼひとりごと 2021年8月10日(火)

夜明けの談合坂

(写真は、しばらく前に撮った、中央道上り線の談合坂サービスエリア。この日は空いていました)

今週は旧暦のお盆。先週末から、オリンピック閉会式をはさんだ今年だけの3連休。例年の全国的な帰省ラッシュよりは少ないようですが、飛行機、列車、クルマそれぞれの混雑や渋滞が始まっています。

お盆の帰省ではありませんでしたが、40年近く前の夏、当時乗っていた赤い日産パルサー78年式で、長野県にドライブ旅行をした帰りの中央道の甲府に近づいたころ、大変なことに遭遇しました。

諏訪の方から、気持ち良く走っていましたが、夕方になって、雲が増え、天候が急変し、甲府を過ぎた山間区間に豪雨が降り始め、中央道が通行止め。甲府の手前のICで降りることになりました。

そこで、夕飯でも取り、夜中になってから走れば良かったのですが、たぶん、翌日からの予定もあって、前進することにしました。携帯電話もなかったころの話です。東京への連絡も不可能でした。

最初は明るかったのが、山間区間に入るころには真っ暗。遠いところに見える渋滞中のクルマのヘッドライトが灯ると、しばらくして進み始めるということの繰り返しが延々と続くことになってしまいました。

困るのはトイレ、今のように、頻繁に通う必要があったら、大変でしたが、そのころは20代。男性は、いざとなれば外で済ますことのできますが、女性は大変です。次第に口数も減りました。

通行止めが解除され、大月ICから中央道に入ったのはすでに夜明け、そろそろ明るくなりそうな時間でした。上り談合坂SAトイレは長蛇の列、男性トイレに入る女性を初めて見たのはこの時でした。

#夜明けの談合坂 #大渋滞 ##帰省ラッシュ

自分(の仕事)史 2021年8月9日(月)

マンハッタンのカフェで

(写真は新宿駅新南口にあるDean&Delucaのロゴ。都内に何軒かあります)

アメリカの中でも特徴がある早口のニューヨーク英語の中で生活できるかどうか不安がいっぱいでした。街に出た途端、聞こえて来るのは当たり前ですが英語ばかり。BGMのようで意味がつかめません。

日本語が聞こえてきたなと思って振り返ると、韓国語だったということもありました。文法も似ているので、音だけで聞いていると日本語と似ているように感じたのかも知れませんが、まったく、わかりません。

マンハッタンのカフェ、たぶん、Dean&Delucaだったと思うのですが、こちら側の英語に問題があるだけでなく、お店の側の英語を聞くことの方にも問題があるのではないかということに気づきました。

こちらの英語を何度も聞き返した店員が次に来た、東海岸のエリートのようなカップルともの同じようなやりとりをしていました。マンハッタンはそういうところなんだと思うと、気がラクになり、ホッとしました。

日本にいる時は、英語で話しかけられると頭の中が真っ白になって困惑したことがありました。こちらでは、その場の情景に応じて、何の話かをしているかを理解すればなんとかなるということです。

英語が上手と思っている日本人の英語が通じないという場面は何度もありました。中学や高校の英語の先生が使う正しいと思っている英語がまったく通じなかったという話を聞いたこともありました。

Dean&Delucaを見るたびに、マンハッタンのカフェを思い出します。飲み物とパウンドケーキを注文した際何度も聞き返され、絶望的になりましたが、この経験から学んだことでニューヨークくらしがラクになりました。

#Dean&Deluca #英語力 #マンハッタンのカフェ

ほぼひとりごと 2021年8月8日(日)

上野発

(写真は、一本だけある、上野発仙台行の常磐線特急ひたち号の電光掲示板です)

盆暮れの繁忙期には、郷里に帰る人々で大賑わいだった上野駅ですが、ブルートレインもなくなり、常磐線の特急もほとんどが品川発になった今、上野始発8時の特急ひたち仙台行は貴重な存在です。

ちょうど、ラッシュ時間にあたるのが、上野始発になっている理由だとは思いますが、上野駅地上ホームらしい長距離列車です。去年の3月、2011年の震災から全線復旧した常磐線経由仙台行です、

40年以上前、東京から埼玉県の久喜に通っていたころの電車は、黒磯・日光行の2つドアの急行用の車両と使った各駅停車。確か、8時発のひたち号が出るあたりの地上ホームからの出発でした。

7時13分発だったので、いつもの席にいつもの人が座っているという感じでしたが、たまに観光客が乗って来ることがあると、秩序が崩れ、なんとなく、朝の元気がなくなるように思ったものでした。

上野発夜行列車の急行十和田。青函連絡船、少し前まで、C62型蒸気機関車3重連だった急行ニセコ3号から札幌で急行利尻に乗り換え、33時間かけて稚内まで、2車中泊で行ったことがありました。

50年近く前の大学生のころ、硬いボックスシートで身体をエビのように曲げて眠って行きました。この旅程を組んだため、一緒に行った友人からは恨まれましたが、すべて客車急行、良い思い出です。

特に混雑する盆暮れでなくても、連日、遠くへ行く人たちで、大賑わいだった上野駅地上ホーム、目を閉じると、大きな荷物を持って、列車を待っているふるさと訛りの声が聞こえてきそうな気がします。

#上野発 #特急ひたち仙台行 #ふるさと訛り

ほぼひとりごと 2021年8月7日(土)

傘を忘れる

(写真は、品川駅のエキナカカフェに忘れたビニ傘を取りに行ったあと、お店の外で撮ったものです)

横浜から東京に向かう電車の中に忘れた傘を取りに、千葉駅にある遺失物保管所まで行ったことがあります。乗り越し同様、改札口の外にありましたが、運賃は取られませんでした。普通の傘です。

買ったばかりの折り畳み傘をバスの中に忘れてしまったこともあります。この時は気づくのが遅かったこともあり、そのままにしてしまいました。雨がやむと傘を持っていたという意識が薄れ、忘れがちになります。

ビニ傘なら、買えば良いと思うのですが、何回か使っているうちに情も沸いて来ます。ビニ傘でなくても、500円程度で買った長い傘を何度も修理しながら、10年以上使っています。修理代の方が高くなっています。

最近は、アウトドア用品のモンベルで出している風に強くて軽い折り畳み傘を愛用しているので、忘れることも少なくなりましたが、この間、その日、持っていたビニ傘を忘れたことに山手線内で気づきました。

気づいた五反田駅から品川のカフェ戻り、ビニ傘に再会した時はホッとしました。そのあと、渋谷からバスに乗りましたが、突然の驟雨があり、ビニ傘が役に立ちました。帰宅してから、きちんと乾かしました。

さすがに有料での修理はしていませんが、何回か強風でおちょこになり、骨が曲がったこともあります。それでも、シンプルな構造なので、丁寧に曲がった骨を修正すると、ほぼ元に戻って使えます。

ことさら、大事にしているわけではありませんが、古い傘も捨てられません。そろそろ、ものの整理をしなければいけないと思っていますが進みませんが、これから先、傘を買うことはなさそうです。

#傘を忘れる #ビニ傘 #品川エキナカカフェ